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#好きなことを仕事にしたい私のクソったれ就活奮闘記①

好きなことを仕事にしたい、エンタメ、マスコミ志望の私が紆余曲折、暴飲暴食(就活で7キロ増)、自暴自棄になりがらも、

映画大手会社2社
インテリア小売大手1社
IT医療ベンチャー1社
計4社

に内定できた話を自分の記録用と、誰かの為になれば(なるのか?)と思い記します。


*プロローグ

思い返せば、私の就活はいつだって絶望から始まった。

・絶望の大学受験


就活を一番最初に意識したのが高校3年大学受験に失敗した冬だった。
公立はおろか、私立大学も軒並み落ちた私は深夜ネットの掲示板を食い入るように見ていた。

・出版社を目指すなら、旧帝大、早慶、MARCH、関関同立の学歴は必要。
・学歴フィルターがある企業まとめ!

今思うと本当かどうかも分からない情報に怯え、恐れ慄いた。
今年の勉強不足が将来を脅かすのか、と惰性の罪深さを思い知った。

一つだけ受かっていた大学は、上記大学にお世辞にも届かない偏差値だった。

出版社で働くことが昔からの夢だった私は、スタートラインで負けたくない、と思い浪人を決意した。


・絶望の留学中止

1年間血反吐を吐く思いで勉強をして、努力が報われ名門大学に合格することができた。
これで就活というものに怯えなくて済むと、安心したのを覚えている。

しかし、愚か者は過去に学ばない。過ちを繰り返す。

高学歴であることに胡座をかき、2年間怠惰に怠惰を重ねる学生生活を送った。
学業もサークルもバイトも何も頑張らなかった。

そんな、私に再び絶望が訪れた。


新型コロナウイルスの襲来だ。

私は元々1年間休学して留学に行く予定だった。
しかし、コイツの所為で留学が無くなってしまった

人生設計を狂わされ、途方に暮れていた私の目の前にいたのが、就活だった。

いやいや、ガクチカにするはずだった留学ドコ?
ハハ…なんの為に大学来た?言語を学んでいた?

生まれて初めてのどうしようもない理不尽な進路変更に現実を受け入れられなかった。

こうして、絶望と共に私の就職活動は幕を開けた




*本編 1年間のクソったれ就活

私の就活は大きく4つの時期に分類できる。

①誰でも大好きカオス期(6月〜8月)
②テレビしゅきしゅき期(9月〜2月)
③苦行!コスパ悪すぎ出版志望期(3月〜5月)
④進路決定期(6月)

前半①②をこの記事では扱う。

①誰でも大好きカオス期(6月〜8月)

就活始めたてで訳が分からず、手当たり次第に媚び媚びESを書いていた。

もちろん、殆ど通過しなかった。



志望理由の書き方も分からず、その癖無駄にプライドが高く学生メンターさんの添削を素直に受け入れられなかった。(厄介すぎ)

しかし、matcherというアプリで信頼できる社会人と出会うことができ、

ガクチカは武勇伝ではなく、どんなに地味な出来事でもそれを始める動機とプロセスが光っていればいいことを知った。


そこからESを作り直し、
関西のテレビ局5daysと出版取次の専門商社の2daysインターンが決まった。

誰でも大好き!スタンスで媚び媚びESばかりだしていた私だったが、この時期から

一度しかない人生で、人生の大半を捧げる仕事は、自分が好きなものを「作る」ことに費やしたい

と思い始めた。
同じ大学の友人が目指しているような、総合商社や保険会社などの「かたちのないもの」を売る仕事にまるで興味が持てなかった。実際そういったところは一つも選考は通らなかった。

多少ハードワークでも何か、「かたちに残るもの」を作りたかった。

早々にお固い業界は捨て、

1:人の人生の糧になるような仕事
2:会社のリソースが誇りを持って売り出せるもの、自分がワクワクできるもの


これらを大きな軸として就職活動を始めた。


②テレビしゅきしゅき期(9月〜2月)

結果として就職活動の大部分を占めたのがテレビ就職だった。

奇跡的に参加することができた関西のテレビ局のインターンが大きなキッカケになった。

正直、私は全くテレビを見ない。家にテレビすらない。


そんな私が何故、斜陽と言われているテレビを目指すようになったのか。理由は大きく3つある。


(私は入社の決め手で人とか言う人大嫌いだったんだけど、今だとあの人達の気持ちも分かる。自分をどんな人間の集団に置くかって凄い大事)
・テレビを目指している学生たちが輝いていた。
出会ったことがないぐらい面白くて、自分の人生に対する意識が違った。こんな人たちと働きたい!と思った。

影響力と規模
・斜陽と言われてるテレビだけど、まだまだ見ている人は多いし影響力は大きい
・今後媒体を変えて発信力を生かすことはできるはず。
・共通認識や新たな価値観をつくることができる点に魅力を感じていた。

給料
(正直、これが1番でかい…)(お金は大事)

全くテレビを見て育ってきてない癖に、インターンに参加してからというものの、テレビ業界の魔法に掛けられて、取り憑かれたように選考を受けた


・第一関門:キー局
しかし、こんなミーハーな就活生が通用する訳がなく、
キー局はTBS書類落ち、テレビ東京以外は全て一次面接落ちだった。(テレ東は選考が遅かった為未受験)

キー局は本当に選考が早い上に、テレビ局志望以外の人たちも多く受ける為、進むことが難しい。
集団面接も経験したが、圧倒的な実力の違いを見せつけられた。

キー局の志望の方はできるだけ、早くからの準備をオススメする。




・第二関門:準キー局
キー局での失敗を糧に、準キー局では奮闘した。
3局受験し、2局最終面接まで進むことができた
(まぁ落ちたのだが…)


比較的進むことができた理由としては

①生粋の関西人で、芸人に詳しかったから。

②とにかく「オモロイ」ことが重視されたから。(私は面白く話をすることには自信があった)

③インターンで出来た友達と練習と準備を重ねたから。

以上が考えられる。
今後テレビ局を受ける人方々には強く、テレビ業界を目指す、就活仲間を作ることをオススメする。
仲間がいなければここまでは絶対に進めなかったと思う。

逆に2社最終で落ちてしまった理由としては

①テレビ自体への愛、情熱が足りなかった。
・結局熱意だったと思う。出しているつもりだったが、ここが負けていたのだと思う。

②テレビマンらしさがない。
・下世話な話題が嫌い。
・そこまでミーハーでもない。
・自分の「正義」が強すぎる。
・「とにかく数字がとれるもの」を追求し続けることに抵抗感

1社目の最終選考で落ちた時は泣いたし、

絶対最終選考に残っていた誰よりも
私が人間として魅力的だったし、
面白かった筈だ、と怒り狂った。
(自己肯定感高すぎるし、厚かましすぎる)

しかし、2社目の最終選考落ちは、
あぁ、本当に適性がないのだと
ストンと納得することができた。


志望度が超高かった、
某漫才グランプリ主催テレビ局に落ちたのが、
就活解禁日、3月1日だった。

もうテレビは向いていない、イチからやり直しだ。


世間の就活生はこの日の為にずっと準備していたのに、戦の始まりの日、
私はただのテレビを志望して「いた」
丸腰の就活生だった。

再び絶望と共に
就活第二章、出版・エンタメ就活編が始まるのだ。


睡眠時間を削り、泣きながらESを書く日々だとは、その時は思いもしなかった…。



次回、出版・エンタメ就活編!絶対に見てくれよな!!

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