その土地だから息吹く暮らし
いろんな土地に暮らしたことがあってよかったなと思う。生まれてから住んだ地域は大きく4つ。半都会、都会、田舎、都会の順に暮らした。幸運だっただけなのかもしれないが、その環境も生活も日々も愛せなかった記憶がない。都会にも田舎にも良さがあり、ないものねだりを時折しつつ、私はその土地ごとの暮らしの心地よさを都度学んだように思う。
親しい人の日常を聞く時、映画を観ている時、何年か先の未来を想像する時、過去の私の暮らしが引き出しとなる。子どもの頃遊んだ近所の公園はとんでもなく広かったなとか、14歳にとっていちばんの楽しみはプリクラだったとか、田んぼの横を深夜、アイス食べながら同期と歩いたなとか。なにをしたか、誰としたか。それも大事なのだけれど、そこがどんな土地だったのかも実は思い出には重要なのだと気づく。その地域が生んだ文化の範囲で生きているのだ。
親や自分の仕事の都合で住む場所が決まった場合が多く、そこに私の意志は反映されなかったけれど、結局どこも居心地が良かった。「住めば都」はポジティブに聞こえてネガティブな言葉だと思っているのだが、とはいえ私にとってはどこも「都」に違いなかった。大切なのは、棲家の素敵なところに気がつけるゆとりがあるかなのだと思う。
よく眠ること。よく食べること。よく笑うこと。元気なくしてなにをも愛せない。どんな物事を考えても最後はここに辿り着く。私たち、できるだけ健やかにいましょう。主語が大きいかも知れないけれど、多分そういうことなのだ。
再開発で取り壊される予定の街が描かれた、『わたしは光をにぎっている』を観た夜の私。