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#41 道具から理想の剣道を探す 〜甲手について①

本物の甲手は存在するか

メーカーなどの作り手側が研究開発したオリジナルの甲手が今、たくさん売り出されています。
定番モデルとして思いつくものがいくつかあると思いますが、甲手は人によってまったく評価が違うものです。

Aこそが至高という人もいれば、Aはよくない。Bこそ至高だという人もいます。
いやいやCこそは…実はDこそがと、もうキリがありません。

私自身も色々な甲手を試してみました。自分で選んだものから、人にオススメされたものまで。
振り返ってみても、その時々によって評価が変わったりします。
だから「他人のオススメの甲手」というのはなかなかあてにならないものだなあと思っています。
自分の感覚で「これ!」と感じたものを使うのが最もストレスがないのは確かだと思いますが、それを貶(けな)す人もいるでしょう。
結局は「人それぞれだから」と割り切るのがいいと私は思っています。
筆者は根底ではこういう考えを持っているということをおことわりした上で書き進めていこうと思います。


良い甲手とは

◼️ナンバーワンかオンリーワンか

改めて「本物の甲手」があふれています。
全米ナンバーワンの映画がたくさん出てくる状況とよく似ている気がします。

「このコテを使ったらもうほかのコテは使えなくなる」という件(くだり)は、聞いたことがある人は多いのではないでしょうか。
作り手がそう言うこともあれば、使い手が言うこともありますが、作り手がそれを言ってしまうのはどうかなと実は思っています。
バイヤーが言うのとはまた違って、です。

◼️自由度の高さは「私にとって」メリットではない

「自由自在に竹刀を操ることができるか」が良い甲手の判断材料となると考える人は多いと思います。

手首を最初から曲げておいたり、指の股を深くしたり、可動する箇所を増やしたり、色々な工夫がされているさまざまな甲手があります。
進化を模索するのは良いことではありますが、自由に竹刀が振り回せることは果たしてメリットなのでしょうか。
竹刀を真っ直ぐに振ることすらできない私には疑問に感じることがあります。

自由度はなくてもいいから「余計な力を入れずに真っ直ぐに竹刀を振れる甲手」があれば最高だろうに、と真っ直ぐに打ち出せず悩んでいる私はよく考えます。
加える力が自在に変化させられるのではなく、そもそも余計な力がいらない甲手があったら…と他力本願気味に考えてしまうのです。

「昔の剣道における」剣豪の構え、手の内、竹刀の操法が正しいとします。それは書籍に残っていたり、教本に出てきたりはします。
しかし現代では、それよりも若い剣道人が巧みに竹刀を操って勝ち上がる動画の方が多くの人の目に届いているはずです。
刀法とか関係なしに竹刀を振り回すアスリートのそれをベースに「◯◯モデル」が開発されて行くと、源流にあったはずの昔の剣豪の構えなんてどこに行ったやら、ということになっていきかねません。

「いきなり試合で使える、慣らし不要の甲手」というのもあります。
聞こえは良いのですが、それはもしかすると
「竹刀の握りが正しかろうが間違っていようが使えてしまう甲手」
だったりするのかもしれません…批判は覚悟します。

理想の剣道と甲手の関係性

◼️その考え方に出逢う

理想は、まず使い手が刀法を意識しつつ、ムリなく構えて竹刀を振ることができる「基本」を身につけていること。
その使い手がそのまま使うことができる甲手こそが理想ではないかと前々から考えていたところに、とある職人さんがほぼ同じことを仰ったのに私はかなり驚きました。

その職人さんの甲手は、今の私にとって使いやすいかどうかと言えば「使いにくい甲手」でした。

かといって、だからそれはダメな甲手だとは断言できません。
なぜなら私自身が、普段の自分の構えや竹刀を操作する手の内に納得がいっていないからです。

とある剣豪と共に考え、作られたというその流派の甲手について、考え方をよく聴かせてもらい、何度も吟味して、自分の剣道がどのように変わるかをイメージしました。
そこから先はもちろん口出しなど一切せず、完全にお任せして甲手を作ってもらうことにしました。
サイズなども測ったりしていないし、どんな剣道をするかも伝えていません。(ただ、やり取りの中で見抜かれてはいました)
その職人さんと甲手に対する期待は、剣道への影響という視点でとらえれば、今までの何よりも高かったと思います。

◼️あえて道具に遣われる

道具に遣われるようなことは本末転倒とも言えますが、この甲手をはめると「本当はこういう剣道ができればいいのに」と抱いていたイメージが明確になり竹刀を手にすると無意識に、イメージどおりに形が決まってくれるのが不思議でなりません。
このイメージとは、これまでの自分の剣道に合致しているという意味ではなく「将来的にこうしていきたい」というイメージです。
使い始めてすぐの頃は、違和感だらけでした。それは私自身の竹刀の握り方、構えが将来的なイメージとは異なっている状態だからでした。

それでも私は、その甲手に込められた理想を信じ、甲手に逆らわずに稽古を重ねればいつか自分の剣道が変わるはずだと信じることに決めていました。

そのイメージについてあれこれ講釈することはできなくもないのですが、百聞は一見に如かずということで画像を載せておきます。
(どちらがビフォーでアフターかはご想像にお任せします)

その後、この甲手と付き合い続けることで、さまざまな変化が生じました。
結果的に私の剣道は、将来的なイメージに近づいてきていると実感しています。
そのことも後日書いていこうと思います。

◼️面倒だなと感じた方へ…

私が出逢った甲手は「本物の甲手」なのかと言えば、そうとも断定はできません。
言うならば「理想に近づく手助けをしてくれる甲手」です。(職人さんの意図とは違うかもしれません)

ゴチャゴチャ言わないで好きなのを使ったらいい!
という方もいると思います。基本的には同感で、冒頭に触れたとおりだということを添えておきます。

では、今日のところはこの辺で。

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