#47 温故知新〜2023年 ありがとうございました
noteへの登録自体は数年前に済ませていたのですが、実際に書き始めたのは2023年3月のことでした。
この1年間、「昇段審査の都市伝説」「生地胴=ジーンズ論」を中心に、剣道具に関して感じていることや剣道を通じて感じ得た出来事を私なりの視点で書いてきました。
私はたいした実績もない、普通のアマチュア剣道愛好家です。
自分の剣道はクセだらけという自覚があり、それを正すためには何が必要か?ということを日々試行錯誤しています。
失敗の方が多く、たくさんの課題はひとつしか覚えられず、また一度身に着けたはずのことを忘れたり、またひとつ身に着けるとふたつの欠点が生まれるなど、まあ不器用な日々を繰り返しているなあという自覚があります。
剣道を始めた時点から基本がしっかりと身についていて、そのまま歩みを進めることができるのが理想だと思います。
しかしその一方で、基本の習得というものはそう簡単にできるものではなく、昭和の剣聖と言われた持田盛二範士十段の「剣道の基礎を身に着けるのに五十年掛かった」という言葉には年々重みを感じます。
身体能力は加齢とともに良くも悪くも変化していきますので、昨日の自分と同じ動作ができるかどうかは自分にもわかりません。
それでも同じ動作ができるように。それが自分にとって理想的なものであるように…そもそも剣道の基本ってなんだろう?
そう考えながら日々繰り返していくのが稽古なのだろうな、と漠然と考えています。
私の剣道とは、そういったことの探求が柱となっているため、試合や審査がなかったとしても、モチベーションが低下することはまずありませんし、上手くいかないからと落胆することもありません。
また、たびたび触れている剣道具に関しては現在、いろいろな変化が生じているのは皆さんもご存じのとおりです。
それが良いことの場合もあれば、どうやら良くないこともありそうです。
なんだかんだと言ってもそれらは「商品」なので、ニーズに応えなくては売れないし、売れないものであれば剣道の普及自体にも貢献しうるものではない…それも理解しているのですが、元々どのような意味合いのあるものなのかなど誰かが追及していってもよいのではないかと個人的には感じています。
何事もバランスが大事です。
剣道が生涯スポーツ(※)として今後も継続されていくためには、変えていくべきものと守っていくべきもののバランスが大事です。
どちらか一方に拘っても成立しないと思いますし、その両方が剣道という大きな枠の中で共存するからこそ、剣道は楽しく、幅広い世代に愛されるのではないかなと思います。
そのバランスを維持するためにあえて偏った発信をすることも出てこようかと思いますが、その根底には「否定」ではなく「共感」があるのだという予防線を張りつつ、2023年最後の更新といたします。
ここまでお読みいただき、またリアクションをくださった皆さんに感謝いたします。
2024年もどうぞよろしくお願いいたします。
※体を動かすものという意味合いであえてスポーツと表現しています。ご了承ください。
なお、筆者自身は剣道は「運動」よりも「文化芸術」だと認識しています。