「見る」ことから始まる
(髙橋良壽(ryoju) 個人のnoteからの転用です)
障がいのある人の支援場面において「(意識して)見る」ということはだいじなかかわりです。
新しい支援者がたくさん入職してくれました。新しい支援者と一緒に仕事をすることは、私にとって、だいじなことを思い出す良いきっかけになります。だいじなことの一つに、「(意識して)見る」、ということがあります。その「見る」も「予測して見る」と「全体を見る」の二つがあります。
私は、この二つの「見る」を学生時代のファミレスのアルバイトでたたきこまれました。
(意識して)見る
まず、「予測して見る」というのは、あの利用者は、次にどういう行動に出るかなぁ、と想像しながら見ることです。このときに、ただ見ているだけだと、突発的な行動に対して、すぐに対応できずに「何やってるの!」と声を荒げてしまいます。
次に、「全体を見る」というのは、一つのことに集中しすぎないということです。ひとりの利用者の対応をしながらでも他の利用者のことも視野に入れます。たとえば、ひとりの人の食事の介助をしながら他の利用者の食事の様子を把握します。目的があって、ある利用者のところに行ったときも他の利用者からの視線を意識します。
だいじなことは、「予測しながら全体を見る」ということになります。
この二つの見るができないと事故やトラブルが起きます。
事故やトラブル
以前、掃除のときに事故がありました。支援者は、掃除に夢中になっていました。そのとき、利用者が勢いよく床の雑巾がけを始めて、利用者同士が正面衝突をしてしまいました。利用者が雑巾を持ってしゃがんだら、次にどういう行動に出るか予測をします。また、その先に、危険なことはないか、全体を見渡します。これをしていれば、利用者同士が正面衝突をすることを防げます。
また、「二つの見る」をしないと人間関係のトラブルになります。支援者が、ある利用者に用事があって話しかけました。そのとき、少し離れたところで、別の利用者がその支援者に向かって「こっちを見て」というサインを送っていました。しかし、支援者は、それに気づかず、自分の用事だけでその場を離れてしまいました。その利用者は「私は無視された」と落ち込んでしまいました。
こういう小さいことを見落とさず、かかわっていくことで利用者との関係が良くなっていきます。私はこのような技術をファミレスのアルバイトで学びました。
(つづく)
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