8月にホットコーヒーを買う。
19歳で不動産業界に就職した。
「自分の力を数字で示したい」という思いと、”スーツ着て、若くして大きなお金を動かす男”への憧れだけで、自分のファーストキャリアを決めた。
20年近く経って、今思う。
あれはとんでもなくブラック企業だった。
2年5ヶ月。
しっかり覚えてる。2003年1月31日から2005年6月20日まで働いた。
最後は上司である専務に電話口で怒られて、「そんなんやったら今日辞めてまえー!」と言われ、「ああ辞めますよ!」と言って辞めた。
絵に描いたような売り言葉に買い言葉。見事な喧嘩別れだった。
周囲からは「いつ辞めるの?」としょっちゅう聞かれていた。内容がひどすぎた。
朝は7:30に出社し、家に変えるのは23:00前後。売上が上がっていなければ休みなんて許されない。
ノルマとペナルティも半端なかった。毎月給料からペナルティ分を差し引かれていた。
僕が19歳で入社した会社の社長は27歳だった。若くして起業するほどのスーパー営業マンはとにかく厳しかった。社内の空気の緊迫感たるや、平和な日本を忘れるくらいだった。
身長173cm、体重54kg。
当時の僕は、めちゃめちゃ細かった。毎日胃が痛かった。顔色悪いとも何度も言われた。
なんでこんな会社に2年5ヶ月も勤め続けることができたかというと、「初めての会社、初めての社会」だったことである。
田舎から大阪という都会に出てきて、初めて社会に出て、人並みに〜なんて言わずに「男として一旗上げてやる!」という気で就職した。
目の前の27歳の社長を見て「若くして結果を出すには、このくらいのことは普通なんだろうなぁ」と呑気に信じきっていた。
僕より少し背が低い社長は、もっと小柄で細く見えた。短髪で横分け、縁無しのメガネに少し肩幅が大きめの高級スーツ。
毎日のように「この人多分ヤ○ザなんだろうなぁ」と思ってた。※もちろん違います。
社長。
しかし、体格とは裏腹にとにかく豪快な人だった。
たまに接客すれば、身振り手振りが大きく、でっかい声で笑うのが特徴。バックヤードまで聞こえてくる大きさで「わっはっはっは」と笑いながら、一方でコミュニケーションは、嫌味が無くてトークも聞きやすい。
営業力は誰が見ても突き抜けて一番だった。
たくさん食事にも連れて行ってもらった。どれも高級なお店で、二軒目、三件目も決まって高級クラブ。
キレ所が全然掴めない短気な人でもあったが、一緒に遊んでいる時は良いアニキだった。
ある8月の暑い日に、営業所の電話が鳴った。
いつも通りワンコールで受話器を取り、「ありがとうございます。●●●の矢野でございます。」と電話に出ると、社長だった。
「おう、矢野。今すぐ来い」
移動はダッシュ。
営業所から社長のいる本部事務所までは徒歩2分の距離。走れば30秒でいける。
電話はワンコールで出る、移動はいつでもダッシュ、夏でもジャケットは脱がない、全ては自己責任、努力はいらないから結果を持ってこい。。。
いわゆる軍隊のような会社だった。
社長から直々に呼び出されたとなれば、30秒も待たせるにはいかない。機嫌を損ねるとその後が長いのだ。
「わかりました」と言いながら事務所を出る準備をして、商店街を走り抜け、本部事務所があるビルの三階まで階段を一段飛ばし、二段飛ばしで駆け上がる。
「失礼します!お疲れ様です、矢野来ました!」
買い物。
社長:おお、元気にしてるか。ちょっとコーヒー買ってきてくれへん?
矢野:はい!
「コーヒー飲みながら何を話すんやろう」と思いながら走った。社長がいつも飲んでいる缶コーヒーは把握済み。ビル入り口の自販機で売っているジョージアのエメラルドマウンテン。
一秒でも早く。
自販機のボタンを押しながら、反対の手は取り出し口で構えとく。
ひんやり気持ち良いエメラルドマウンテン片手に、階段をまた一段飛ばしで駆け上がって行く。
矢野:買ってきました!
社長:・・・
矢野:こちら置いときますね!(社長の机に)
社長:・・・
矢野:???
社長:俺、今ダイエット中やねん。
矢野:・・・
誤算。
しまったぁ!!!!!!
完全にミスしてしまった。
これは潔く謝って、すぐにリカバリーするしかない。「コーヒー=いつものエメラルドマウンテン(甘い)」と思い込んだ自分のミスだ。
「すみませんでした!すぐ買い直してきます!」
社長に文句を言わせるスキを与えずに走った。
もう階段はフロアごとに踊り場へジャンプ。
小銭を入れて、ブラックコーヒーを連打。もちろん反対の手は取り出し口。一刻も早く社長の元へ。
息を切らして帰ってきた僕を見て、「おまえ、そんなに早く自販機(一階)を行き来できるなんてオモロいな!わっはっはっは」くらい言わせないと、空気が重すぎる。
「コーヒー買いに行くだけで全力かよ」くらいの笑いの空気に持って行くしかない。
行くぞ新記録。
気合の三段飛ばしで階段を駆け上がった。もう汗だくだし、最初の目的がなんだったのかも忘れた。
社長は言った。
矢野:何度もすみません。買ってきました!
社長:おう。
矢野:ここ置いときますね。
社長:おう。
矢野:(お、これはいけたんじゃない?)
社長:・・・
社長:言ったん?
矢野:はい?
社長:誰が言ったん?
矢野:えっと・・?
社長:・・・
社長:誰がアイスって言ったん?
矢野:%0#*!!?%|¥!!!!?
夏のコーヒー。
そう。
確かにそう。
社長は「コーヒー買ってきてくれへん?」としか言ってない。
僕はそこで、「社長がいつも飲んでいる、ジョージアのエメラルドマウンテンのアイスを、ビル入り口の自販機で買ってくればいいですか?
ダイエットしてるから今日は無糖の気分とか、お腹調子悪いから夏やけどホットが良いとかないですか?」と聞くべきだった。
なんて軽薄な自分なんだ。
決めつけすぎだ。
社長の機嫌は完全に損ねたけど、そこはもうあきらめよう。明日からもっと働こう。将来お互いおじいちゃんになったときに「昔あんなこともあったな、わっはっはっは」と酒を酌み交わせることを期待して、寝る間も惜しんで働こう。
そして今は、とにかくホットコーヒーのブラックだ。
事務所を飛び出した僕は、走って行ける範囲のコンビニで片っ端から「ホット売ってますか?」と聞いて回った。
ホットなんてあるわけない。だって今は8月のお盆前。
でもとにかく走った。まずは社長の目の前にホットコーヒーのブラックを置かないことには酒を酌み交わす未来は無いのだ。
残ったもの。
10軒近く走り回ると、なんとホットを置いてるコンビニに遭遇できた。すぐに買って帰ると、事務所に社長はもういなかった。
「社長、笑いながら出ていきましたよ」と、事務員さん。やや笑ってる。
息を切らし、スーツで汗だくの僕の手元にはエメラルドマウンテン(アイス)と、ブラックコーヒー(アイス)と、ブラックコーヒー(ホット)だけが残っていた。
あの時ほど本気で社長をぶん殴ってやろうと思ったことはない。
しかしこの夏以降、僕の営業人生は明確な変化を遂げることになる。
お客さんからのクレームやトラブルが格段に減ったのである。
思い込みの外側。
僕は周囲の人全てを疑うようになった。もちろん社長も。
言われたことを鵜呑みにしなくなった。
自分の見解も、容易に疑うことができるようになった。”思い込み”が極端に減った。
というより、思い込んでしまっているかもしれない自分が怖くなった。
思い込んでしまって、視野が狭くなって、ちゃんと直視しなきゃいけないモノが見えなくなると、
僕は平気な顔して”8月にアイスのエメラルドマウンテン(甘い)”を買ってしまう男なのだ。
僕がブラック企業で過ごした夏は、背筋の凍るような思いを抱えながら、汗だくになって走り回ったことで、忘れられない夏となった。
おまけ。
専務と喧嘩別れをして、会社を辞めた以降ずいぶんと気まずくて社長とは疎遠だった。
しかし2007年にクジラ株式会社を創業するときに、やはり一番最初に挨拶に行くのは社長しかいないと思った。
「何を生意気言ってんねん。100年早いわ」的なことを覚悟していた。
数年ぶりに会う社長。数年ぶりに凍る背筋。
矢野:ご無沙汰しております。
社長:久々やなぁ。
矢野:(あれ?今日は上機嫌?)
矢野:・・・実は起業することになりまして、挨拶に来ました。
社長:そっか、おまえも社長か。やるなぁ!
矢野:!?
耳を疑った。
褒められたことなんて、ほとんど無かった。
でも褒めるときは「やるなぁ!」と言う人だったことをすぐに思い出して、泣きそうになった。
一番認めて欲しかった人はこの社長だったということにもそのとき気づいた。
そして、あれから10年以上経った。
お互い、まだおじいちゃんという歳では無いけども、年に数回スーパー銭湯に行くという過ごし方をしている。
38歳になった自分が”怒られても良い相手”なんて、社長を入れても数人しかいなくなった。
まだまだ若造扱いしてくれる社長が本当に心地良い。ご飯も全部奢ってくれるし、いつもマッサージまでつけてくれる。笑
あのとき、「夏にホットコーヒーとか頭おかしいんちゃう?」って思ってたら今の関係は無かったかもしれない。
真夏の缶コーヒー3本分の失敗が今の自分を支えてくれてるのかもしれない。