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三者面談と卒業アルバムのその後(不登校の話)

中学校の三者面談に行ってきた。
一応、息子に声はかけたけれど、今回も先生と私の二者面談だった。

教室前に生徒たちの書道の作品が並んでいて、どれも、とても上手に書かれている。

だけど、たったそれだけのことなのに、異世界に来たような感じがして、心がザワザワして苦しかった。

この苦しさにはおそらく二種類があって
ひとつは、自分の子がみんなと同じになれなかったことに対する苦悩。
もうひとつは、学校教育の窮屈さに対する苦しみ。

自分も昔はその中にいたし、むしろ率先してその窮屈なところに入っていくような子だった。
でも、自分の子が不登校になり、親子とも枠外に出てしまったら、その普通であるはずの世界がとても苦しそうに感じるようになった。



面談では、先生からの話はあまりなかった。
完全不登校で通知表は評価不能だし、進学先も決まっているので、あまり学校側から話すことは無い。

私の方から、息子の最近の様子と卒業アルバムの話をした。
先日先生から聞かれていた、卒業アルバムの写真についての息子の返答をお伝えする必要があった。

卒業アルバムには、息子の気持ちとして写真は載せたくないこと、名前の表示はあってもなくてもどちらでも構わないことをお伝えしたら、あっさりと受け入れていただけた。
先日電話で話していたこともあり、この返事が来ると予想されていたのだろう。

「アルバムの購入も無しにしますか?」
と言われたのには少しびっくりした。
買わないという選択肢があるとは思わなかったから。
手元にあっても一度も開かないと思うので、買わないことにした。

今の担任の先生は、去年も息子の担任だった先生だが、器の大きさを感じる。
不登校状態を受け入れられていることが、言葉や態度からわかる。

以前の担任の先生は、不登校に一定の理解は示してくれてはいるけれど、受け入れられているとは感じられなかった。
でも、その頃の私も、息子の不登校を完全に受け入れられていたかどうか怪しい。
「できれば学校に少しでも行って欲しい」という気持ちが残っていた。


これからも息子が直接関わることは無いかもしれないけれど、今年の担任がこの先生で良かったと思う。

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