きみはメタモン
うちの息子、最近は穏やかに過ごしているけれど
「勉強」を意識すると、一瞬で表情が強張ります。
昨日は高校の願書を書くため、志望動機について話していたのですが、
勉強は「嫌でもやらなければならないもの」という意識が強く、でも辛いものだという認識があり、心が拒否して逃避しているように見えます。
(あくまでそう見えるだけで、本人の意識と合っているかどうかはわかりませんが)
義務教育では面白さを感じることができなかったとしても、
学ぶことは辛いだけのものではなく、楽しい要素が必ずあるはず。
例えば、興味を持って何かを調べることは楽しんでいるように見えます。
どうしたら先入観にとらわれず楽になれるのかな…
としばらく考えていましたが
「人のことが気になる時は、自分を見るべき」だということを思い出しました。
…あれ、私か?
メタモンは、自分を相手に似せることで相手がどんな姿なのかを見せてくれます。
うちの息子は、今、私にとってのメタモンなのかもしれません。
(「他人は自分を映す鏡」とも言いますね)
私の中で見るべきところはなんだろう…としばらく考えて、
私の仕事に対する意識と、息子が勉強を避ける気持ちが似ていることに気付きました。
私は、仕事は辛いものという固定観念をずっと持ってきました。
ひとり親なので働かない選択肢がないけれど
時間的に中途半端にしか働けないことに負い目を感じ
辛いので時々他のものに意識を逃避させてやり過ごしてきました。
そんな気持ちで働いていても楽しくないのは当たり前だと、こうやって文章で見ると思います。
だけど元々こうだったわけではなく、15年ほど前に仕事が原因でメンタルの調子を崩したことがきっかけでした。
・困っていても誰も助けてくれない
・自分の意見は聞いてもらえない
・休みの日にも呼び出され、精神的に休まらない
という環境にいたことで病んでしまいましたが、
その時からこの考えがずっと染み付いていて
今でも、「困ってもどうせ助けてもらえない」と直感的に思ってしまいます。
もう、あの頃いた職場ではないのに。
メンタルの調子が戻った頃に、仕事についての誤認識を改めるために掘り下げておけばよかったと思いますが、すぐに息子を妊娠して世界が一変してしまったので、振り返ることもなく今まで来てしまいました。
そして、メンタル不調が表面上は治っていたので自分の意識に問題が残っていることにも気付いていませんでした。
あれからだいぶん時間が経ってしまったけど、でも気付くことができたので、今から修正できそうです。
今の環境なら、困っていたら助けを求めれば助けてもらえるし、自分の意見を言っても聞いてもらえます。
負の思い込みを消すチャンスだと思うので、生かそうと思います。
息子の勉強については、意識を変えることができるのは、本人の意思だけです。
(親は、楽しくできる環境を作る手助けをすることはできるけど、手助けまでしかできません)
でも私が仕事に対する認識を改めて、日々を楽しめるようになったら
今度は私が息子のメタモンに…
もしかしたら、なれるかもしれません。