適応障害になって仕事を辞めた話⑤周りと比べてしまう焦り
10月に退職をしてから2ヶ月が経った。休職期間も入れると4ヶ月弱といったところか。
適応障害のほうは退職したことと傷病手当金を受け取ったことで少しだけ快方に向かい、毎晩飲んでいた薬の種類がひとつ減った。
主治医やカウンセラーと相談をしながら社会復帰(と言っても前職もパート勤務であったため、次も精神的な負担が比較的少ないパートやアルバイト勤務の仕事を探そうと思っている)のタイミングを計っている最中だが、焦って同じことの繰り返しになってしまっては元も子もないのでまだ通院と相談を続けながら、少なくとも年内は療養に専念するつもりだ。
そんな生活の中で、その"焦り"というものが少なからずどうしても私につきまとう。
私の周りの元同級生・同世代の人々は皆安定した正社員の職に就いているか、結婚をして配偶者を持ちながら生活している。
そんな中で私は、結婚をせず(結婚願望がないため)、安定した職に就けずに挙げ句の果てに適応障害にまでなってしまった…と自分を責めてしまうのだ。
ただ同時に、私は今までその時の自分にできる精一杯のことをしてきたとも思っている。正社員の内定が決まったこともあったが、入社前に言われていたことと入社後に配属された先で言われることがあまりにも違っていたり上司からパワハラを受けて退職し、このまま無職ではいられない…と始めたのが、夏まで続けていたパートの仕事であった。
働いていた時はパートという区分ではあったがその分基本的に異動が無いことや上司からの理不尽を何とかやり過ごすことができたため、正社員をすぐに辞めてしまった私にとってはパートでも仕事を3年続けられたことは自信につながっていた。
しかしその中でコロナ禍と本社の理不尽な采配による異動か退職を迫られてしまい、コロナ禍で別の仕事を探すよりは…と異動をし、異動先でも1年頑張り、そこでまた上司からの耐え難いパワハラに遭い、現在につながるわけだ。
この私の人生は決して100点とは言い難いものだが、私なりに頑張ってきたものだし、頑張ってきた成果が理不尽を言いつけられても3年続けられたという何月に反映されているわけだし、辞めることになった理由だって私が全面的に悪いわけではない。
私は他の人に何と言われようが、この年月の自分の努力を「たかが3年」「たかが非正規」とは言われたくはないし、言いたくない。
きっとこれからも就活を再開できるようになるまでは不安や焦りはつきまとうだろうし、再就職もパートやバイトを検討している時点で安定性には欠けているわけだが、
「今の私は身体と心を休めることが最優先」
「未来の、就活できるようになった私も、無理をせずに少しずつでも続けていけそうな仕事を探すことが最優先」
だと思っているし、それがその時の自分の"最善"であるならば、その最善よりももっと高い理想を求めるのはまだ焦らなくて良いのではないか、むしろ理想が高すぎてはまた自分自身が崩れてしまうぞ、と自分に言い聞かせて、少しずつではあるが心身の回復とストレス耐性をつけてゆき、社会復帰を目指していきたい。
今と未来の自分や、自分と似たような境遇にある人へ
今までお疲れ様、慣れないしストレスの溜まる環境の中でよく頑張りました。
今はゆっくり休みましょう。休んで休んで、焦りからではなく心から「もう休みはいいよ」って思えるまで休みましょう。
それから次の未来のことを考えましょう。
自分で「こうしたい」があればきっとそれが正解。「こうしなければならない」は無いから大丈夫。
バイトでも何でも良いよ、少しずつまた慣れていって、その中で「こうしたい」が変わってきたらまたその時に動けば良いからね。
とにかく今は、本当にお疲れ様。自分を責めないで、焦らないで、少しでも楽しいと思えることをしてゆっくり休んでね。