卒乳をしたよ
卒乳した
2024年10月12日の朝の授乳を最後に、卒乳した。
月齢は11ヶ月を迎える直前。日数にして331日、授乳した回数は概算でも1,500回を超えてると思う。時間にしたら200時間とか300時間なのかな。正確にはわからないけど、私と息子だけの尊くて愛しい時間は終わってしまった。
悲しいけど達成感はある。
嬉しいけど、辛くもある。
そんなごちゃごちゃな気持ちを忘れないうちに、新鮮なうちに、書き記しておこうと思う。
最初の授乳は、息子を産んだ次の日だった。
3,664gと立派すぎる体のせいで18時ごろに緊急帝王切開で生まれた息子と会えたのは、次の日の朝。保育器に入って運ばれてきた息子はわほにゃほにゃのへにょへにょで、赤くて小さくてもしゃもしゃしててかわいかった。
どう触っていいのか、それすらわからない。「これ、生きてるんですかね」「私触ってもいいですか」「潰れない?」とかめちゃくちゃ他人事のように息子と接していた気がする。
だから助産師さんに「じゃあおっぱいあげてみよっか」と言われた時「え!もうですか!?私の!?」と聞いてしまった。そりゃそうだろ。
助産師さんに促されるままに授乳クッションを巻かれ(ちなみに太りすぎてウエストが崩壊し、授乳クッションが巻ききれず恥ずかしかった)恐る恐る、まじでこわごわ、息子を横抱きにして乳を出して、吸わせた時の感想は
「は?吸わなくね?」だったと思う。
なんかこう、乳首と息子の口が合致しない。
向こうも口開けてるしこっちも乳出してるし、吸うんじゃないの?てか、母乳出んの?待ってお腹の傷痛いから無理なんですけど!!!!って感じ。
助産師さんがあーでもないこーでもないと息子の位置や私の乳を調整して(結構ガッといくからビビったよね)くれたけど、息子が乳を吸うことはなかった。
初回はこんな感じで終わってしまい助産師さんに、「あまり気負わないでね」と慰められた。正直、妊娠中から「自分から母乳が出るなんてそんなことあるんかな」くらいに思っていたし、なんなら子供を産むことや親になること自体実感がなかったからか「ッス」みたいな感じで返した。
そもそも、私の乳首は妊娠中に受ける、後期の助産師面談で「あらー、多分保護器使わないとかなあ…」と言われた出来損ないだったのだ。
加えて、出産経験のある友達から「生まれた次の日にはおっぱいカッチコチに張ってめっちゃ痛かった」と聞かされていたけど、私の乳はぺにょんぺにょんのままで、とてもじゃないが母乳が生成されている感じはないことから、私って母乳出にくいタイプなんだろうな、と思っていた。だから母乳が出ても出なくてもいい。出るならあげるし出なきゃミルクだよねとお気楽そのもの。
2回目の授乳は生まれてから2日目。
昨日と同じように授乳したら、息子が乳首を咥えて、吸うことができた、の、だけれど「い、いだだッ!!」と声が出た。結構痛い。
乳輪がちぎれそうです。乳首取れそうです。こんなに痛いの?って感じ。
でも助産師さんに弱音を吐きたくない+謎のイキりを発揮して「は、は、なんていうか、…こんな感じスカー…へーん」とか言ったと思う。正直泣きそうだったし、事前に買っておいた乳頭保護クリームなんて何の意味もないじゃんってキレそうだった。
「あら母乳出てないね、まだなのかなあ」と助産師さんがまた慰めをかけてくれたけど、出ないならそれでいいっす、結構痛いんで、と2回目の授乳も終わってしまった。はーあ。そしたら哺乳瓶買い足さないとかな、ミルクってどれがいいのかな〜産院で使ってるやつそのままがいいのかな、と傷を撫でながらスマホでぽちぽち調べながらその日は眠りについた。
ところがどっこい。3日目の朝、起きた瞬間、寒い!!!!濡れてる!!!めちゃくちゃに!!!パジャマが濡れているーーー!!!!!!!!!!水こぼれた?夜中寝ぼけて飲んだからペットボトル倒した!?と慌てて立ち上がった(実際は腹の傷が痛くてめちゃくちゃノロい)ら、パタパター…と水滴が床に落ちた。
母乳だ。母乳めっちゃ出てる。パジャマがもうびっしゃびしゃ。てか待って、乳カッチコチなんですけど!!!!!!!!!!痛すぎ…痛すぎ何これ。乳首もズキズキするし怖いヨォ…。即座にナースコールをして助産師さんに泣き付いた。
「あら!おめでとう母乳出てるね!今赤ちゃん連れてくるからね」と言ってたけど、違うの、パニックなの。母乳出てるのなんで?あと痛いんですけどこれどうにかなりませんか。行かないでー!
それでも、助産師さんの助けがあって初めて、息子におっぱいを飲ませることができた。でもひと吸いするごとにすぽんと息子の口から乳首が外れてしまう。「保護器が必要だね」と言われ、宇宙船みたいな、はたまた麦わら帽子みたいな、そんな形の柔らかいプラスチックを被せ、長さを出した擬似乳首が完成した。
「これあると痛さもマシになるから」と言われたけれど、めちゃくちゃ痛い。より引っ張られて本当に痛い。
痛すぎて「こ、これ、…乳首切れませんか…」と聞いたら「うーん、そういう人もいるけど、慣れてくれば大丈夫^^」と言われて泣きそうになった。
ここから私の授乳に囚われた人生が始まったのだ。
結果的に言うと、私は生後2ヶ月まで混合、その後完全母乳になった。
産んでから一週間後に退院し、実家へと里帰り。当時の授乳は1〜2時間おき、回数は10回を超えていて、毎授乳後にはまだ母乳量が足りないからミルクを60mlくらい足していたはず。
兎にも角にもずっと乳首がズキズキする。乳全体が濡れたように重くて、横向きに寝ることすら叶わない。それが辛かった。
四六時中滴る母乳。ベタベタするし服につけば黄ばむし割と臭い。風呂に入ってもバスタオルで髪を拭いてる間に母乳がポタポタ溢れ出す。
加えて息子は寝ない子で、夜は1時間おきに起きた。母乳が足りていないのか、粉ミルクが少ない?多い?なんで寝ないの?ミルクが多ければ寝るの?でもそうしたらもっと乳が張って痛い。でも眠たい。片方飲んで寝ちゃった。最悪。乳首切れて痛い。腰も痛い。お腹の傷も痛い。
睡眠不足と帝王切開の傷と、乳首の痛さで常に限界状態。もうなんでもいいから寝てくれ、とミルクの量を増やしたら、今度は母乳が乳の中で滞って乳腺炎になった。
40度の熱が2日くらい続いて、それでも授乳はしなくちゃいけない。割れそうな頭と高熱に凍える体で息子に授乳して、ミルクをあげた。
もちろん親にも手伝ってもらったけれど、結局授乳するのは私だから、と寝不足も痛みも解消されなかった。(でも両親には大変お世話になった本当にありがとう感謝感謝ァ〜)
毎日毎日、授乳を軸に回る生活。張りすぎてまた乳腺炎になったら怖いからと授乳から2時間もすればもうあげなきゃと怯えていた。
乳首が切れて、血が混ざった母乳を飲ませる。切れた箇所は1〜2時間では治らなくて、また授乳するたびに切れていた。
あげる時は痛くて怖くて、体が強張る。夫の手をこれでもかと強く握って、「いだぁい…!」と泣きながらなんとか耐えた。
それでも我慢できなくて、ぽろぽろ泣きながらもうやめたいと何度もこぼした。
乳腺炎が怖くて、少しでもしこりができたら息子に無理にでもあげて、搾乳機で絞って。
そうしているうちに、体質もあってか、母乳は溢れるほど出るようになってしまった。
(母乳が出なくて悩んでいる方、悩んでいた方、ごめんなさい)
母乳過多で本当に本当に辛かった。なんで私ばっかりこんなに出るの。ミルクをあげたい。そうすれば人に任せて休めるのに。母乳が出ない体が羨ましい、とまで思った。
授乳しようとすれば乳を出した瞬間にピュー!と溢れてしまって、息子の顔面に噴射。なんとか吸わせても、勢いが良すぎて息子は飲めず泣いてしまう。こんなに母乳が出るのにミルクをあげて搾乳機で絞ってアホらしいなと思っていた。搾乳機も使いすぎて、次第に痛くなる。搾乳するシャコシャコという音を聞きながら何度も泣いた。
正直な話、つわりよりも出産よりも、授乳の痛みと生活を奪われるのが私は辛かった。
母乳育児がこんなに大変ってなんで誰も教えてくれなかったんだよ!って思ったよ本当に。
じゃあなんで、やめなかったんですかって言われたら、それは本当に本当に、息子が可愛くて、愛しかったからだ。
前述したように、私は母乳育児になんのこだわりもなかった。はずだったのに、こんなにも母乳が出て、息子も求めてくれていて。私の体液で息子が腹を満たし、安心して眠り、育っていく。必要とされている。それが嬉しかった。もちろん母乳をあげることだけが育児じゃない。私が授乳に困難を感じていたからこそ、より「育児頑張ってます感」を覚えてしまっていたのかもしれない。
授乳は尊い。乳を吸うあのアングルの息子を見られるのは私だけだ。腹に触れる温かい体温。呼吸。とても愛しかった。
腹が減ったと泣くのは、私を求めているという叫びでもあるのだと思うと、何をしててもすぐに駆けつけた。
息子はよく授乳でそのまま寝落ちしていた。口を開けて、母乳を口の端からこぼしながらくうくう眠る。起こさぬようにと微塵も動かず、そおっとタオルケットをかけて30分くらいずっと寝顔を見る。授乳したての満足げな顔も、それはそれは可愛かった。
たまにする添い乳で、息子は安心して眠っていた。小さな体をフルに使って、私から受け取った母乳で大きくなっていく。
生後3ヶ月になると、保護器も使わなくなった。母乳量も安定してきたのか、吹き出すことは少なくなっていった。
それでも3時間おきの授乳は大変で、イオンの授乳室には大変大変お世話になったものだ。
生後5ヶ月を過ぎると、毎回塗っていた乳頭保護クリームもいらなくなった。出血することもなくなり、痛みもなくなった。私の乳首もたいそう強くなったものだ。
息子も成長して口が大きくなり、吸い方も上手になったし、1回に飲める量もどんどん増えていく。
その頃からちらほら、先輩ママたちの卒乳ツイートを見るようになった。
「いつか息子も、飲まなくなる日が来るのかな」と思いながら、そのいつかはいつなんだろう、とそわそわしたものだ。
9月のある日、月齢は生後10ヶ月になったばかり。息子は風邪をひいてしまった。鼻水を垂れ流し、咳をして、常に口呼吸。眠りも浅くて1日中ぐずっていて大変だった。
その頃の息子というと、離乳食も3回食になり、それはそれは順調に食べ進んでいた。
お米が好きで毎食おかずも含めて250gくらいはぺろりと平らげて、おやつも食べる。離乳食後に授乳はしていなくて、夜間も含めると1日3〜5回くらいあげていた。
しかしその晩、息子は乳を飲めなかった。鼻が詰まって飲めなかったのだ。乳首を咥えても呼吸が苦しくてすぐに口を離して、飲めなくて大泣き。
仕方がないからお茶をたくさん飲ませて、抱っこで眠りにつかせた。夜中に起きても授乳はできず、夫と交代で抱っこで眠りにつかせるなんとも大変な夜だったのを覚えている。そして授乳できない私の乳は岩の如く硬くなり、夜な夜なリビングで手絞りをしてやり過ごした。
そしてその次の日の朝も、息子に授乳することができなかった。絶望。
その時になって初めて【卒乳】という言葉が私の中にやってきたのだ。
いつかは来るであろうその時がもう迫ってると感じて、私は泣いた。普通にえんえん声出して泣いた。寂し過ぎる!!!こんな辛いことがあるかよ!!!って夫にブチギレながら泣いた。
それでも息子は両手で乳を押し返して授乳を拒否する。
でもそこがいいタイミングだと気付き、夜間断乳をしてみることに。夜間も飲まないし3連休で夫も夜勤に参加できるなら、と決行。
そしたらしれっと成功して生後10ヶ月にしてやっと夜通し寝ることができるように。これは本当に助かった。ハッピー。
でもおかげで卒乳はさらに近づいた。
この日を境に、もういつ卒乳がきてもいいようにと覚悟しながら授乳をした。
夫にも「授乳姿を撮っておいてほしい」と頼んで撮影してもらった。(めちゃくちゃデカいゴリラがかわいいあかちぇ〜んに授乳しててダイエットしようと思った話は別でします)
そしてその2週間後、また息子は風邪をひいた。前回と同じく鼻水がドバドバでて呼吸ができないタイプの風邪を。同時に覚悟した、卒乳を。
熱はそれほどなかったけれど、やはり息子は乳を飲めなかった。この頃の授乳回数は夜寝る前と朝起きてすぐの2回だけ。正直息子はもう欲しがっていないと薄々気が付いてはいた。朝の授乳後もお腹が減ったと泣くほど離乳食の方が好きなようだったし、成長指数も申し分ない。それでも授乳していたのは、私がやめたくなかったからだ。私のわがままに、息子には付き合ってもらっていた。あれだけ辛かった授乳は、息子と私だけの大切なコミュニケーションだと実感するまでになっていたのだ。
それも、潮時だ。そう気付かされた。
案の定今回の風邪も、息子は鼻が詰まって乳を飲めず、寝る前の授乳をせず眠りについた。今回はぐずることもなく、夜中に起きることもなく。
そして朝起きても飲まなかった。毎日迎える朝と同じように、お茶をあげて朝ごはんをモリモリ食べた。あぁやっぱり。もういらないね。次の日も、同じように1回も飲むことはなかった。そしてそのまま卒乳になる。
ビールを買った。卒乳したからだ。今日から飲む。2日前に卒乳したことにする。そうするために。妊娠中からずっと飲みたいと思っていた銘柄の缶ビールを。今日の夜飲むんだ。終わったんだ。
夫は珍しく夜に出かけていて、帰ってきたら2人で乾杯することになっている。
夫の帰りを待つ間、息子と2人きりの時間。風邪も治りかけになって、鼻呼吸で眠れるようになった息子に最後に「もうおっぱいは本当にいらない?」と聞いてみた。もちろん生後10ヶ月の息子はまだ話せない。
授乳クッションを持ってきてあげようとしたけれど、やはり両手で押されて拒否された。もし、このタイミングで飲むなら、お酒なんていらないし、まだまだ授乳するよ!させてよ!と思っていたが、息子は飲まなかった。
そっか、と授乳クッションを外して、息子と向かい合って座った。服をめくって乳を見せた。これで欲しがったら、まだあげよう。未練がましく。息子は乳を見るとニコニコしながら寄ってきて、吸い付いた。あれ、と思ったら一瞬で口を離してニコォ〜と笑った。なんだこれ。もういらないよってこと?よくわからないけど、息子にはもう必要ないみたいだ。そこでやっと、やっとだ。本当に諦めがついた。
だから、2人だけで卒乳式をした。ぎゅーっと息子を抱きしめて、たくさんありがとうを伝えた。泣きながら感謝と愛をたくさん伝えた。息子はなんのこっちゃわかりましぇんという顔をしていたけれど。
こうして私と息子の授乳期間は終わった。
寂しいな、寂しい。悲しい。何が辛いんだろうと考えた。
息子は「私」の中で作られた。そして「私」の栄養を吸って育って「私」が体を痛めて産んだ。
出産は、息子と対面できるのは嬉しいけれど、同時に自分の一部を失ったような喪失感ががあった。
そして産まれた息子は、「私」の乳を吸って大きくなる。
「私」だけだったのだ。授乳ができるのは。
息子の成長は嬉しい。でも息子が大きくなればなるほど「私」じゃなくても息子を育てることができるようになる。どんどん、私が必要なくなっていく。そんなふうに感じてしまうから辛いんじゃないかと思う。
もちろん、前述したが授乳だけが育児じゃない。でも、喪失感があるのは当たり前だと思う。
これからは息子に、授乳がなくても愛を伝える時間をうんと増やそう。言葉でたくさん伝えよう。抱きしめよう。ほっぺにチューしちゃおう。
息子くん、本当に本当にママは幸せでした。2人だけの時間をくれてありがとう。独占させてくれてありがとう。
これからはもっともっと一緒に過ごそうね。
死に際のメッセージみたいだけど、元気です!
とにもかくにも、達成感あるよ!後悔してない!戻りなたくないって言ったら嘘だけど、これで満足です!ありがとう!感謝!
息子くんマジのガチで本気でやばいくらいスペシャルハッピーウルトラ愛してる!
えーーーーん泣いちゃう!!!!!!!!!これも打ちながら泣いちゃってる!!!!!!!!!!でもハッピー!!!!!!!!!!俺やり切ったよー!!!!!!!!!!
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