理系女と文系男/第17話;夕暮れの洋上で
修学旅行で乗ったフェリーの展望デッキで、たまたま私とケイは二人っきりになった。
私がツケルに何をされたのか、ケイは何となく知っていた。
「喋りたい」と言った私のわがままにケイが応える形になった。
私たちはデッキの上にあった小さなベンチに、横に並ぶ形で腰掛けた。
風がかなり強くて、ヘアピンが吹っ飛ばされそうだった。水平線の下に沈もうとする夕陽も眩しかった。
「取り敢えずツケル、タケ君をトイレで殴って先生に怒られたけど、それは私のせいだって思ってたみたいで…。ツケル的には報復だったみたいだね。本当は私の恥ずかしい写真をSNSで撒くつもりだったみたいだけど、サセコの案で痴漢に切り替えたみたい。写真は証拠が残るとかそんな理由で」
私は具体的にされことではなくサセコが語ったこと、ツケルが凶行に及んだ理由を説明した。その内容は、ケイが想像していたものと大きく異なるものではなかったらしい。
「二人ともクズ中のクズだな。ふざけた真似しやがって」
ケイは怒っても、声が大きくなることはないし、元々ポーカーフェイス気味だ。なんだけど、そんな彼だから怒ると怖かった。静かに怒りの炎が、胸の中で燃えている感じが伝わってくるから。
そんな静かな怒りを滲ませながら、ケイは言った。
「まりかにまで手を出すとはな。ツケル、見境が無くなって来やがった。だけど、もう終わりだな。まりか好きの男どもにバレたら、袋叩きだぞ」
そう言った時、ケイの口許が僅かに緩んだ。私はその表情に、何処となく不穏な空気を感じた。
「この話を誰かにするのは止めて。もしシュー君が知ったら、気に病むかもしれないじゃん。タケ君が殴られて、次は私が痴漢されたなんて知ったら…。自分のせいで、私たちが巻き込まれたって…」
私は相変わらず、サセコに吹き込まれたことを心配していた。それを聞いて、ケイは眉間に皺を寄せていた。
「だからって、泣き寝入りすんのか? ここまでやられて、黙ってられるか!? 確かにシューは気に病むかもしれないけど、あいつが気に病み過ぎないようにするのが、俺たちの役目だろ!? 実際、あいつはお前やタケと同じ被害者で、あいつがお前に危害を加えた訳じゃないんだから」
この時のケイはやたら熱かった。まるでスーパー戦隊のレッドみたいなことを、この捻くれ者が言うなんて…。
私は普段なら笑っていたけど、この日は笑えなかった。
「確かにそうだよ。その通りだけどさ…」
ケイに賛同したいハズなのに、何故かできない。私は歯軋りした。
(あんな奴に痴漢されたとか、知られたくないじゃん!!)
実のところ、これが一番大きな理由だったのかもしれない。それを正当化する為に、サセコに吹き込まれたことを私は利用していたのかもしれない。正直、自分の本心が解かりかねた。
私が難色を示しているからか、ケイの方も悩むように唸っていた。
こんな感じで、私たちは暫しの沈黙を迎えた。
(なんで、こんな会話しなきゃいけないの? 夕陽をバックに船の上とか、凄いロマンチックなのに! “ずっと好きだった!” とか言ってよ! 言われたいよ!)
私はこの状況が悲しくなってきた。そんなことを思ってると、自然と涙が溢れてきた。嗚咽も漏れ始めた。
号泣ではないものの隣で私が泣き出したので、ケイは少し狼狽えていた。
「気にしないで。コンタクトがズレて痛いだけ」
私は適当な嘘を吐いたけど、最初からバレていた。
「ソフトレンズだろ? そんなに痛い訳ないだろ」
この会話も、ケイのツッコミを最後に途切れた。どうにも埒が明かない。
そんな時だった。急にケイが閃いた。
「空の色が綺麗だな。すぐ暗くなるから、その前に写真でも撮るか」
ケイに言われて、私は俯けていた顔を上げた。橙色と思い込んでいた空は、よく見てみるとピンクと紫で彩られていた。東の方からフェリーを迫って来る紺色も、良い味を出していた。
もう夕陽は水平線に差し掛かっている。
具体的に何分後かはわからないけど、この色が何時間も続かないことだけは確かだった。
ケイは立ち上がると自分のスマホを取り出し、それを頭上の空に向けた。空だけ撮る気だったらしい。
待て、それは風情が無さすぎるでしょう。
そう思った私は、自然に立ち上がっていた。
「待って。折角だから、一緒に取って貰おうよ」
私はケイの手を掴んで、撮影を中断させた。そしてケイのスマホを一時的に預かり、近くにいた30代と思しきカップルに撮影を頼んだ。その時、その人たちは海を見ていたけど、私が頼むと快く応じてくれた。
私とケイは船首の先で沈みゆく夕陽を背に、二人で並んだ写真を撮ってもらった。
ケイのスマホで撮ってもらった後、性能の落ちる私のガラケーでも同じ写真を撮ってもらった。
私がカップルに礼を言うと、遅れてケイも礼を言った。
「やっと笑ったな」
この時、ケイは安堵したように微笑みながら、私にそう言った。
「気ぃ利かせてくれてありがとう。嬉しかったよ」
私は素直に思ったことを言った。だけど、私は一筋縄ではいかない。いや、いって堪るか。
「だけど、人見知りしてるようじゃ、まだまだだね。私にやらせないで、自分で頼まなきゃ。“写真撮ってくれませんか?”って」
私はケイの至らなかった点を敢えて指摘した。笑いながら。ケイは苦笑いしていた。
「無茶言うな。それができないから、お前に副部長の座を明け渡したんだろ」
いつの間にか、最初の暗い雰囲気は吹っ飛んでいた。
私も、日中は無理やり気分を高揚させて不自然に騒いでいたけど、ようやく自然に騒げる状態に戻ったみたいだった。
それからもう暫く、私たちは展望デッキにいた。太陽は完全に水平線の下に潜り、空は暗い紺色に染まりつつあったけど、完全に暗くなるまではここに居るつもりだった。
引き続き、私たちは小さいベンチに腰掛けて語り合った。
「悪くないな。だけど、ジャージなんだよね…。風が強くなかったら、制服でいけたのに」
さっき撮った写真をガラケーの画面で確認しながらボヤく私。そんな私を見るケイは、ガラケーの画面ではなく、別のものが気になったらしい。
「このウサギ、見憶えあるな。何だっけ?」
ケイが気にしていたのは、携帯に括り付けられたマイメロだった。
ケイはこの子の出自を忘れていた。だから私は説明した。
「忘れた? 去年、私が宗教勧誘に引っ掛かったのを、ケイが助けてくれたじゃん。その後、二人でマックに入ったの、憶えてない? その時に、私が頼んだハッピーセットのおまけだよ」
私はしみじみと、当時を思い出しながら話した。ケイの反応は薄い。私はそんなケイの腹を、軽く肘で突いた。
(お守りなんだよ! あの時のあんたみたいに、この子が私を助けてくれるんじゃないかって!)
これは恥ずかしいから、言えなかった。心の中だけにしておいた。
ケイのお蔭で私は自然な笑顔を取り戻せた。修学旅行も良い気分で満喫できるだろう。そう思ってたし、実際にそうだった。
だけど…。ケイがこの一言を言った時だけは、笑えなかった。
「例えば、この船が沈没したとしてさ…。他の乗客が全員死んでも、お前一人が助かればそれでいい。俺、本気で思ってるんだよな」
要するに、この中で私が一番大切だ。ケイがそう言いたいのは理解できた。
だけど、なんだろう?
それ以外の意味…感情も含んでるのかな?
この言葉に対して、純粋な信頼感や安心感を抱くことはできなかった。
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