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【エッセイ】年の瀬
今年もいよいよ終わりが近付いている。
若い頃は年末ともなると今年も1年突っ走ったなという思いと疲労とで
身体の力が満足と後悔で徐々に抜けて行き、温泉にでも入って一年の垢を落としてゆっくりするか、と思いながらも年末の慌ただしさでそれもままならず、何となく新年を迎える、というのが毎年であった。
しかし新年を迎えるとまた気持ちも新たになり、さあ今年も、と新年の清々しさにあおられるかのようにまた走り出していた。
年末の過ごし方に人によって違いがあるな、とは齢を重ねるごとにわかってきたことである。カウントダウンパーティとは縁がなく、年越し蕎麦を食べて年を越し映画を観て、というあっさりとした過ごし方もなかった。
僕の場合は自宅で過ごすのが子供の頃からの常であった。30日は寿司を、大晦日はすき焼きを食し、22時を過ぎたあたりで蕎麦をすすり、その後NHKTVで放映されている番組で除夜の鐘を見つつ聞きつつ新年を迎える。
子供の頃は0時を回ると初詣へ出向いたこともあった。
しかし段々と齢をとるにつれ寒さや酒のせいで真夜中に出掛けるのが億劫になっていきそれが元旦の日中にとなり、人出で混むからと2日や3日の日中に、と変わっていった。
三が日はほぼ家でTVを付けっ放しにして家にあるものを食していた。おせち、すき焼きの残りに入れたうどんや餅、唐揚げの残りやお歳暮で頂いたハムやらなんやら。残り物や火を通さずとも良いものである。昭和の時代の頃は食べきれずにホールのまま余していた幾つかのクリスマスケーキも冬休みのおやつ替わりであった。松の内が過ぎて朝に炊き立ての白米を食べると、何だか気分が重たくなるような嬉しいような気がしたものだ。
きっとまた日常が始まる、という思いがそうさせたのであろう。
ここ数年サイクルに変わりはない。年末に正月の準備をして掃除を済ませ、寿司とすき焼きを食べて日本酒を飲み、風呂に入り、といったところか。初詣を済ませると家で映画を観るか、SCを訪れてひやかしたりする。
ただ新年の新たな気持ち、といった気構えは年々薄れていっている気が徐々にしている。惰性になっている気がしている。折り返し地点がとっくに過ぎていることにハタと気付き、怖くなる。齢の澱が溜まっていっているか。
いよいよ自身の終わりが近付いているという意識が新年を迎えるにあたって昇ってきた、などとは思いたくもないのだが。