女神の前髪
約半世紀前のこと、事情があって大学進学をあきらめた。このままでは人生、詰んでしまう・・と思い悩んでいた時、知人を通じて大学の通信教育を知った。今のように簡単に情報が手に入る時代ではない。
何ヶ所かの大学から案内を取り寄せ、ある大学の通信学部文学部に決めた。主にテキストを読み、課題のレポートを提出し科目試験を受けて単位を得るほか、一定のスクーリングによる授業数も履修しなくてはならなかった。
当時のテキストには古めかしい旧仮名、旧漢字のものもあり、家事やアルバイトの合間の勉強は遅々として進まなかった。1年半が過ぎても単位はほとんど取れず、愕然とした。地域の同学の志は大卒資格を取りたい公務員がほとんどで、皆のんびりと勉強しているようだった。
はたして通信教育で大卒の資格を得て私の人生が開けるだろうか。そんな不安に押しつぶされそうだったが、それは卒業の目処がついてから考えよう、今は卒業が目標だと気持ちを定めた。とにかく最短で卒業できるスケジュールをたててみた。私の道は、高校卒業後、すぐに進学や就職した人たちと同じではない。その現実を、覚悟を持って受け入れた。
家族を説得し、スクーリングへ参加できるようになった。台所、トイレ、風呂場でも、アルバイト先でもテキストを手放さずに過ごした。徹夜でレポートを書き上げ、数時間仮眠をとって家事やバイトをする日々が続いた。そして、どうにか4年半で卒業証書を手にすることになった。
9月、卒業が決まったもののすでに29歳になっていた。二十歳の頃、ボランティアで2年半ほど色々なことをしていたが、あとは父の仕事の手伝い、家事手伝い、アルバイトしかやったことがない。まともな就労経験もツテもなければ体力もない。文学部だったので特別な技術もない。もっとも得意なことは・・勉強することか?
それなら進学はどうだろうか。しかし・・文学修士で就職先が増えるわけでもない。何か関心ある分野で仕事につながる学問はないかと探し、幼児教育にたどり着いた。その頃の情報源は主に本と雑誌だった。大学院の試験日程を調べたところ、その時期で受験できるところが幸運にも1ヶ所残っていた。
幼児教育の仕事をしている知人から役にたちそうなテキストを貸りて試験に備え、どうにか合格することができた。年下の人たちと机を並べて学ぶ日々は楽しくもあったが、学習内容についていくのが辛い科目もいくつかあった。奨学金を借りながら、アルバイトと勉強に明け暮れた。経済的にも体力的にもあいかわらずハードだった。
修了が決まると、さっそく安定した職を求め、就職課へ足を運んだ。ちょうど残業なしの求人が一件あった。事情があって残業できない私に、ピッタリの条件だった。応募を申し出ると「学部生がキャンセルした求人だから・・」と言葉を濁された。確かに会社によっては院卒は取らないところもある。しかし応募できないわけでもなかったので、学歴詐称にならないよう院卒を明記して願書を送った。幸い、問題なく採用試験を受けることができた。
2人採用のところへ7、8人の応募があったようだ。新卒らしき人は少なく、転職希望者が多いように見えた。誰かが「一人は〇〇さんに内定しているらしいよ」と隣の人にそっと話している。なんだ、実際はあと一人なのか・・と気落ちした。
試験は簡単な作文と面接だった。面接では思いがけず若い頃のボランティア活動、院生になってからのアルバイトや実習経験が役に立った。数日後、採用の連絡が届いた。ようやく私は常勤職を得ることができた。手取り14万円、これでどうにか家賃を払いながら暮らしていけると安堵した。
通信教育を始めてから7年半が過ぎていた。この間、失ったものも多かった。左手で大事な何かを手放し、右手で別の何かを掴み取ったのかもしれない。どんな選択をしても、いいこともあれば悪いこともあるのが人生だ。
それでも、あの時の私にとって、大学の通信教育に関する情報は「幸運の女神の前髪」だった。
今は誰もが情報を簡単に手に入れる機会を持っている。女神が多過ぎるのも難儀なことだ。もしも今の時代に二十歳だったら・・・私はどうするだろうか。女神の前髪を見つけることができるだろうか。