碧(みどり)

怪しい者ではありません。

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最近の記事

おいおい日記 テレビのない暮らし

 還暦で隠居生活に入る時、それまで使っていた小さなテレビをあるところへ譲渡した。NHKにその旨を連絡する手続きがちょっと面倒だったが、さほどの手間ではなかった。アンテナ線も片付けた。  受信料を節約したかったし、退職後、毎日テレビの前でなんとなく過ごす隠居暮らしは避けたかった。 いずれもっと高齢になって必要と思ったらまた用意すればいい。今しばらくはいらない。  ラジオはあるし、モニターやパソコンでネット配信を見ることができる。テレビのニュースもYouTubeで見れるし、見

    • おいおい日記 鮭の切り落とし風

       スーパーで鮭の切り落とし風パックが税抜298円で売っていた。切り身にできない小さいのを、ざっくりと切って山盛りパックにしいるみたいなので「〜風」。  たくさん詰めてあるとつい安く感じて買わなくては・・になる庶民の私。 どうしようかとしばしパックを眺めていたら、30才前後のきれいな身なりの女性が近づいてきて、サッと次々に3パックかごに入れた。なんのためらいもない、みごとな手さばきだった。   え? 3つもどうすんの!? といらぬ心配をしつつ、私もその勢いにつられ、つい1パ

      •  女神の前髪

         約半世紀前のこと、事情があって大学進学をあきらめた。このままでは人生、詰んでしまう・・と思い悩んでいた時、知人を通じて大学の通信教育を知った。今のように簡単に情報が手に入る時代ではない。  何ヶ所かの大学から案内を取り寄せ、ある大学の通信学部文学部に決めた。主にテキストを読み、課題のレポートを提出し科目試験を受けて単位を得るほか、一定のスクーリングによる授業数も履修しなくてはならなかった。  当時のテキストには古めかしい旧仮名、旧漢字のものもあり、家事やアルバイトの合間

        • おいおい日記 今、何しようとしてた?

           60代も半ば、ちょうど前期高齢者と呼ばれる頃から部屋を移動しながら立ち止まることが増えた。  ん? ん? 私、今、何しようと思ってこっちへ来たの?  この問いが激増する。あ・・とうとう、認知症の兆しか・・と驚き、ネットで調べてみたりして。  年齢相応の物忘れと知って、ホッとする。そしてだんだんと慣れてしまう。  平然と元の場所に戻って数秒・・・ハッと思い出す。(思い出せない時は素知らぬ顔で他のことをやり出すよ)今度は忘れないようにソレをしっかり頭に抱えて移動。  

          おいおい日記 青山公園の木の影

           今年もだいぶ終わりに近づいてきた。印象深かったことを思い出してみる。  春先のこと、ミロ展へ行く途中、青山公園の方へ迷い込んでしまった。そこに同じような木が何本もあって、ちょうどお日さまの位置が良かったのか、地面にレース模様の影がいくつも落ちている。  影の映り具合を考えて刈り込んだわけではないだろうが、とてもきれいだった。日付は2月・・写真を見なければすっかり忘れている。  若い頃の旅はカメラを持たずに出かけた。写真を撮ることに夢中になると旅の印象が薄くなるような気

          おいおい日記 青山公園の木の影

          おいおい日記 『タニタ食堂の杏仁豆腐』

           最近おやつによく食べるのはタニタ食堂の杏仁豆腐。小さなカップ4コ組で売っている。タニタ食堂はブランド名で製造販売は森永乳業だ。  くせのない味付けで甘すぎずやわらかめ。寒天ぽい方が好みだが許容範囲だ。1個の量は少ない。赤いクコの実は入っていない。税抜218円という値段も4個なのでどうにか許容範囲。  ところが、一つだけイライラすることがある。洗ってプラゴミに捨てるとき、カップが重ならない。とてもガサばる。硬いカップで切って小さくもできない。仕方なくそのまま「空気を捨てて

          おいおい日記 『タニタ食堂の杏仁豆腐』

          朝陽があたる西の窓

           北西の角部屋の窓は当然ながら北と西に面している。我が家の狭いベランダの窓は西向きで、夏の午後からは酷い陽射しになる。外にはすだれ、中には遮光カーテンをかけても暑くて散々だ。  それでも、秋、冬、春の一定の時期、この窓からは朝陽が差し込む。向かいの建物のガラス窓に朝陽があたり、それがほどよく反射するのだ。短い時間だが、朝陽に「おはよう」と言えるのはうれしい。反射光でも朝陽はありがたい。  暑さはすごいが、西窓そのものにもいいところはある。夕焼けが見えるし、2階の窓からはた

          朝陽があたる西の窓

          祈りの地 1 遅い始まり

           半世紀ほど昔、母はハンセン病にかかった知人に頼まれ、他県で密かに治療を手配したことがあった。まだらい予防法があった時代だ。当時、母はもう看護婦(看護師)として働いていなかったが、養成学校時代の同期があちこちにいたので、手助けできたようだ。そんなこともあり、いつかハンセン病とその歴史について学び、考えたいと思っていた。  *ハンセン病は感染力がとても弱く、薬によって完治する病気です。  今年6月、ようやく東村山市にある『国立ハンセン病資料館』を訪れることができた。学びたい

          祈りの地 1 遅い始まり

          おいおい日記 受診する? 受診しない?

           ずいぶん老けてしまったものだ・・若い時から見ている役者さんたち。複雑な気持ちになる。みんなで老ければ怖くない・・とホッとするような、同じく私も老けたよね・・と。  同い年の友達は「もう鏡を見たくないわね・・」と。  ・・そんなにマジマジと見なければいいのに・・ね。  顔に皺が増えてもシミができても「一般」の隠居に不自由はない。聴こえが悪くなり、味覚が衰え、ものが見えにくくなり、足腰は弱まるetc.・・老け顔よりそっちが大変だ。  老いの変化による症状は受診してもどうに

          おいおい日記 受診する? 受診しない?

          おいおい日記 iigomibunn

           先日思い立って少し遠いがスーパー銭湯へ。平日の昼近く、混んではいないが、人気の浴槽はいっぱいだ。  銭湯には開放感がある。たまにはいい。露天風呂もあるので、秋の空を見上げながら湯船につかり生きててよかった状態に。こういうのを「いい御身分」というのだろう。  おぼつかなくなってきた足のため、着替えの時は腰掛け椅子を使った。高齢者に人気の『きくち体操』の菊池先生は、「立ったまま服を脱ぎ着きし、バランス感覚を鍛えておきましょう」と言ってるが。  出先で下手に転んで騒ぎになる

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          おいおい日記 先行車がいない道

           バスに乗るといつも前の方の一人がけに座る。年寄りはたいてい優先席のそこに座る。昨日は平日なのに混雑していて座れなかった。後方の席は空いていたが、長時間でもないのでしっかり手すりをつかみながら前の方へ進んだ。  すると(あたりまえだが)フロントガラスから道が見える。いつもの横の車窓からの景色とは違う。目の前に広がるゆるやかな下り坂には先行車が一台もいない。坂道の曲がり具合がすっきりと美しい。大きなフロントガラスから前を眺めたのは久しぶりだった。 (表題写真の道ではない。とっ

          おいおい日記 先行車がいない道

          おいおい日記 チョコレートの旬

           最近は若い頃よりチョコやお菓子をよく食べる。2年ほど前から老いの食の細さをおやつで補うようになった。ユーラクのイチゴチョコ、ミルクチョコ、明治の『ストロベリーチョコ』、ロッテの『ラミーチョコ』などがお気に入りだ。廉価なものでもの十分おいしいのでありがたい。  ユーラクのミルクチョコは薄型で一口で食べられる小さいものと、分厚い板状のものがある。先日、初めて分厚いのを買ってみた。割ると小さな四角っぽいチョコになる。チョコのかたさが今の気温のおかげでちょうど良い。口に入れると溶

          おいおい日記 チョコレートの旬

          おいおい日記 広重(三代)の名所絵(東京ガス所蔵)

           先日、東京ガスのガスミュージアム(小平市)の企画展『銀座クロニクル』展へ行ってみた。平日のためか入館者は私だけで、1階展示室をゆっくり見て歩いた。 (撮影は1階のみ可)  ガス燈はなかなか普及しなくて大変だったようだ。『点消方(てんしょうかた)』というガス燈を点けたり消したりする仕事があったという。名前の通りの職業なのがちょっと面白い。下の写真に写る名所絵は三代目広重のものである。  出入り口近くに大きなガラスのエッチングがあり、床のタイル模様も素敵だった。  今では

          おいおい日記 広重(三代)の名所絵(東京ガス所蔵)

          暮らしを「支え」てくれるもの

           その昔、依存症治療の第一人者のような立場にある方が「人は誰でも何かに依存しなくては生きていけないものだ」と述べていました。その時は、そうだ、そうだ、と思いました。  「やりだすとなかなかやめられなくなる」のが病的な依存の兆候だとすると、私の場合は子どもの頃の読書がそれに当てはまりました。本を読み出すと読み終えるまで、途中で辞めるのが大変で、手伝いに呼ばれても生返事で返し、叱られたことが度々あります。  病的な依存はそれによって心身を害し、自分だけではなく周囲にも害を及ぼ

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          忘れえぬ人々 4 服を作ってくれた人

           はま子さん(仮称)のことをリアルタイムで覚えている人はもういないかもしれません。はま子さんは私が小学生の頃、服を縫ってくれた方です。旧家の娘さんで洋裁で身を立てて暮らしていました。  当時は手頃な子どもの既製服が少なく、普段着は母が縫ったり編んだり、時に「お下がり」でした。その時は多分、学芸会か何か行事のために「よそゆきの服」として奮発して仕立てを頼んでくれたのでしょう。  はま子さんは品がよくきれいで繊細な感じの方でした。なぜか母と年長の従姉妹はたまにヒソヒソとその旧

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          おいおい日記  地獄に仏のバス路線

           私はロングスリーパーで低血圧で、現役で賃労働をしていた頃は毎朝が地獄だった。起きるのがとても大変で、その当時どうにか仕事を続けられたのは家の前にバス停があったからだ。  とにかく1分でも長く寝ていたかった。8時21分のバスに乗るために8時5分に起きるという荒技も使った。近くに踏切があり、次のバス停までの距離がとても短かったので、踏切で止まっているバスが見えた時はモタモタと走ってどうにか追いつけた。    さらに幸いだったのは始発駅が近いバスだったこと。いつも同じ席に座れた

          おいおい日記  地獄に仏のバス路線