図書館本42冊目『世界ぐるぐる怪異紀行―――どうして ” わからないもの ” はこわいの?』奥野 克巳[監修]
著者の方々は、奥野克巳、川口幸大、イリナ・グリゴレ、近藤宏、平野智佳子、福井栄二郎、藤原潤子、古川不可知、村津蘭、以上、9名の文化人類学者さん達です。
気になりますね。「怪異」です。
学者さん達それぞれが、フィールドワークなどで滞在していた土地で、見聞き体験した「怪異」談です。
私が読んできた本で言えば、『山怪』シリーズや『里山奇談』シリーズが思い浮かびます。
心霊現象とは違う感じの、ローカルな不思議話的なものかと。
アフリカ大陸ベナンの妖術師
ネパールのイェティ
現代ロシアの呪術信仰
パナマの悪霊「アントミャ」
ヴァヌアツの魔女
中央オーストラリアの人食いマムー
インドネシア、カリマンタン島での呪詛
中国の「鬼」
「妖術師」「怪物」「謎の生きもの」「精霊」「鬼」…
ワクワクします。
初っぱなから興味深かったのが、ベナンでの「妖術師が夜に木のうろで集会を行う」話です。
奥深い田舎の村で語られるのではなく、大きな町に住む人々がとても具体的に語るのです。(見たことなくても…)
「人を食べる」「鳥に変身する」「出世した人が狙われる」「親族に一人は混じっている」…
「偶然」や「コントロールできないもの」が妖術師の仕業にされているようですが、” 自分ばっかり責めているよりも辛くない社会なのかも ” と著者の方は書かれています。
他の地域でも、住民たちは「怪異(不可解な出来事)」を、「怪物」「悪霊」「精霊」などの仕業であると捉え、恐れたり、畏敬の念を感じたりしています。
それらの存在(?)のおかげで、
耐え難き苦しみをなんとかしのいだり(自分で背負い込み過ぎることなく)
コミュニティでの緊張を緩和したり(精霊のせいならしょうがない)
道から外れないよう心がけたり(自分が疑われないよう、または狙われないように行いに気を付けよう)
など、
地域で昔ながらの「怪異」の存在を共有することが、互いを助け合う、豊かなコミュニティを作り上げることに一役かっているようです。
キリスト教が布教された地域では、「怪異」に対抗するために、聖書などキリスト教的なものに頼ったりすることもあるようです。
(上記の「人食いマムー」にはゴスペルソングが効くとか…)
文化人類学者の方々は、調査地で共に生活する住民たちから聞いたり、自身で体験したりしたこれらの「怪異」を、「こじつけだ」「迷信だ」と否定したりするのではなく、「実のところは、こういうことかな」という目線も持ちつつ、興味と敬意を持って深堀りしてくれています。
大変そうだけれど、これは、やめられないお仕事ですね。(「怪異」抜きでも)
ちょっと違いますが、いや、そんなこともないか、
アニメ『ダンダダン』が今の楽しみです。