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【小説】ウザいって

ピントが合わない。目のピントと耳のピント、その両方がひどくズレている。毎月のことだから慣れてきたんだけど、慣れてはいけないと自分に言い聞かせることで今は精一杯だ。
「それでな、こないだ言ってたところ行ったねんけどな・・・」
広大が帰り道にいつもの調子で下手くそな関西弁を使う。僕が広大と関係を持って以来、意識して使うようになったらしい。初めはイラッとしていたのだが、最近はむしろ可愛らしくさえ思えてきた。今回も、「こないだ言うてたところ行ってきてんけどな」と訂正したいところだが、あまりに自信満々と話す姿に今日も押し負けた。
「ふーん。やっぱ広大は元気だな。てか、うるさい」
「おい!うるさいってなんやねん!ほんっま口悪いなあ」
「いや、だいたい関西人がみんな声大きいわけじゃないからな。四次元ジャックみたいにテクニックで笑いをとるタイプも山ほどいるんだぞ」
四次元ジャックは最近上京した勢いのある若手のコンビだ。関西では有名な賞レースを2連覇。そして平場に強いというのが売れている何よりの理由だ。2人ともボソボソと離すのだが、パンチが効いていて良い意味で全員を敵に回す。2人がボケ、その他全員がツッコミという、四次元ジャック劇場を見事に作り上げるのだ。公言はしていないが、僕は密かに大ファンであった。
「四次元ジャックって関西の人らなんや。面白いよなあ。おれも今からシフトチェンジできるかな?」
「イキった英語使うなよ。広大には無理、バカにはできない芸風だから」
僕は前を向いて答える。前というよりは地面に。昨晩吐かれたと思われるゲロや痰が干からびている、汚い地面。夕日が映す僕の大きな影がそれらと重なる。広大は「んん・・・」と、難しい顔をして唸った。
これでも広大はクラスの人気者だと聞いている。どうやらこの関西弁のウケが良いらしい。上京前に東京人は面白くないという忠告を散々聞かされたおかげで、耐性はついているつもりだったが、いざ目の当たりにするとやはり気が沈むものだった。こっちにきて半年が経ったが、帰りたいという思いはまだ静かに僕の裾を引っ張る。
「あっ、マサ見て!野良猫!」
突然広大が大声を上げる。大声は関西人のモノマネではなく授かり物だったようだ。
広大が指をさす方へ顔を向けると、路地裏で親子の野良猫が同時にあくびをするところだった。ほぼ真っ暗の路地裏でよく見つけられたなと少し感激した。
「うっわ、間抜けな親子やなあ。あいつみたい。あいつ」
どうせ面白いことは言わないから深掘りはしなかった。目を合わせることすらなく、僕は広大の一歩先を歩いていた。一点を見つめて歩いていたせいで周囲がぼやけていて、時々後ろから聞こえる自転車のブレーキ音でようやく視界が広がる。それほどには広大の話が頭に入ってこなくなっていた。
「おいマサ、気をつけて歩きや。今日ずっとボーッとしてるで。もしかしておれの話、面白くない?」
「今日に限らず」
「お、おい。厳しいな関西人は。なかなか喰らうって」
雑音が直接耳に入ってくるのが本当に不快だった。7時に鳴る目覚まし時計を聞いている気分だった。
「ごめん広大、今日一人で帰らしてくれへん?なんか今日疲れてんねん、ごめんな」
「大丈夫か?ゆっくり休みな。ちょうどおれ靴紐結ぼうと思ってたから、先帰っといて」
自分の口からものすごく自然に関西弁が出たことに違和感を覚えた。それだけこっちに来てから話し方に神経を研ぎ澄ましていたらしい。そして広大の意味の分からない気の遣い方を家に着いてから思い出し、少し面白いと思ってしまった。

「またその子の話?今週もう3回は聞いてるよ」
携帯電話の向こうから聞こえる声は、機械音とは思えないほど澄んでいた。
「だってムカつくねんもん、あいつ」
「いつもいつもムカつくって言うけどさ、なんだかんだ仲良さそうじゃん。ま、広大くんの顔すら知らないけど。」
即座に否定することはできなかった。肯定はしたくないけど否定はしたくない。とにかく広大とはあまり深い関係ではないことを必死に装う。今日は学校もないしバイトもない。電気も付けずクーラーもつけない。窓の外から微かに部屋に入ってくるセミの鳴き声が耳に届くが、絵美の声がすぐにかき消す。
「今回もダメだったんだなあ、お疲れさま」
「今月も僕は成果なし。あいつは優秀賞。どこで差が生まれてるんやろなあ」
僕の通う芸大では、毎月創作物を提出し、先生がそれを評価する。そこで優秀作品は学生用のホームページに掲載されるのだった。小説や絵画でクラスは分かれているが、月末にある このイベントはジャンル問わず一律の評価を受ける。自分のジャンルに偏らず、あらゆる物から刺激を受けて欲しいという学校の意向らしい。僕は一度も入選されたことがないが、広大の描く絵は頻繁に入選しているのだった。
「だってマサくんの話は全部暗いもん。そりゃ万人にはウケないよ。まあ、私はそんなマサくんの作品好きだけどね」
「万人にウケようとかはなから思ってないし。大体このイベントで賞とる奴なんか万人ウケ狙いのつまらん奴ばっかりなんかもな。そんな作品からどう刺激受けろって言うねん」
「もう、言い過ぎだよ。マサくんもなんだかんだ『今回は自信あるねん』って毎月言ってるじゃん。よっぽど嫉妬が溜まってるんだなあ」
絵美は僕の声真似を誇張したような、バカにしたと言った方が適切なようなトーンで披露した。「嫉妬」と言う言葉が嫌に僕の耳にこびりついた。
「嫉妬じゃないし。ムカつくだけや、認められるべきものが認められへんことにな」
「良いじゃん嫉妬したって。私はそれ良いことだと思うよ。本気で取り組んでる証拠だし、本気で悔しい証拠じゃん。良い刺激もらって糧にできてるんだよきっと。私はあんまり嫉妬とか抱かないからなあ、君が羨ましい」
僕の脇腹を小突かれているようで不快だった。僕は耳にピッタリ当てていた携帯電話を少しだけ耳から離した。少し耳から距離を離すことで絵美の声を外へ逃すことができると考えたが、思ったよりも声は直球で耳に届くので結局スピーカーにした。手が空いたからベッドに大の字で寝転んだ。天井の黒いシミが何かの文字のように見えた。叱責の念が込められたような気がする不快なシミだった。
「なんやあれ、汚いな」
「汚いとか言わない。みんなウケがどうとか関係なく良い作品を作ることだけを考えてるよきっと」
「あ、いや違う、こっちの話。こっちが汚いだけ」
 絵美は「んっ?あぁ」と戸惑いつつも納得した様子をこちらへ伝えようとした。本当に純粋で真面目な良い子だ。僕も絵美のように丁寧に生きたいと思うが、常に斜に構えていないと人生に刺激がなくなる気がして不安になる。結局作品を作る上で今の生き方を正当化することでしか自分を安定させられなかった。
「マサくんはすぐ抱え込むんだからさ、悔しい時は悔しいって言えばいいんだよ。マサくんがたまーーに本心を溢す時は私すごく嬉しいもん。もっと思ってること素直に吐いちゃいな。吐いた方が気持ちを成仏できるってさ、誰かが言ってたよ」
 僕は目を瞑った。徐々に意識が遠のいていきそうになったが、何か言わなければと思い、体を横に向けてなるべく携帯電話と唇の距離が近くなる体勢を取った。
「絵美に会いたい。会っていっぱい、時間忘れるほど山ほど話したい。それから抱きしめたい。キスしたい。セックスしたい。」
 少し早口になってしまい、言い終わってから恥ずかしさが沸々と湧いてきた。
「もうこんな時間じゃん、じゃ、おやすみ」
 あっさりと電話は切られてしまったが、これで良かった。こういう時にはきちんと僕の雑な攻撃をかわすところが絵美の良いところだ。僕は一つため息をつき、「嫉妬なあ」とシミに向かって呟いた。広大の作品からは何も刺激を感じない。良さが分からない。良さが分かってしまうのが怖いから目を背けているのかもしれない。ただ、広大が頻繁に賞を取るという事実そのものには大いに刺激を受けている。これこそが純粋な嫉妬なのか。そういう意味では確かに僕の執筆に対するやる気は嫉妬から生まれている。嫉妬から生まれる作品が良いものかどうかはさておき、もう少しちゃんと嫉妬と向き合うことが必要かもしれないと思ってしまった。それが悔しかった。
シミが剥がれて落ちてきそうで怖かったから、直線上から少し体をずらして眠りについた。

いつもの帰り道、いつもの時間。日常は意識すればするほど優しくて心地よい。
 広大は僕の真横で鼻歌を歌っている。今日は僕から話しかけたい気分だった。
「アーティストがCD出したらさあ、だいたいイントロも入ってるやん?あれ聴くやつおるんかな。あれ聴くやつって相当暇なやつなんやろな」
「おれ聴くで。たまにイントロ聴きながら自分で即興歌詞作ったりもする。結構楽しいで、今度一緒にやる?」
「きっしょ。やっぱきしょいな広大。良い意味で」
「嬉しいより傷つくが勝つんやけど。やっぱ関西人きついわあ」
 お互いにクスッと笑った。しっかり顔を合わせて話すのは久しぶりだ。広大の笑顔はよく見るとエクボが両頬合わせて4つもできている。猿のようにクシャッとした笑い顔は面白かった。広大の手に目を移すと、指はカサカサで全体的にグレーっぽく変色していた。顔と手が一致していなくて、とても違和感があった。
 帰ってから油性のペンで僕の指を黒くしようと思った。普段はパソコンで執筆しているのだが、手書きの方が本物と思われるだろうと、ガキ臭い考えをしてしまったことに虚しくなった。それでも僕は実行することを固く決心した。
広大は隣で棒についている飴を舐めていた。コンビニで69円で売っているやつだ。飴はすぐに噛んでしまう派だから、10分も棒を咥えている広大が理解できなかった。本当は口の中に飴はなく、棒をただ咥えているだけなのではと思った。確かめたくなってきて、僕は突然広大が咥えている棒を引っ張った。広大は驚いた様子でこちらを見た。棒には無くなりかけの飴がついていた。
「僕さあ、お前越すから。誰にも追いつかれへん速度で前走るから。でも広大も全力で僕と走ってな。お互い全力の上で僕は前を走りたいから。広大のことほとんど見てなかったけど、これからめっちゃ凝視するから、どこ行っても。だからこれからも仲良くしよう。あとちょっとはおもろい話持ってきてな、イライラするから」
僕は広大を見ることはできなかったが、飴のついた棒に向かって確かに言えた。
「そうなん?まあいいで、じゃあええ靴買うとくわ」
 広大はアキレス腱を伸ばした。

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