[エッセイ]『イグアナの娘』を通して考える。私が母親になっていたらの「もしも」のシナリオ
もしも私が子どもを産んでいたら、「イグアナの子」を産んでいたかもしれない。
これはあくまで「もしも」の話だが、私自身の特性を考えると、その可能性が高いと感じる。
まず、私はADHDを抱えている。
と、ここで本題とはずれるのだが・・・
現在、私はADHDの特性で仕事ができないでいる。現在の収入源は障害者年金のみだ。年金も免除制度を利用しているが、老後の不安が常につきまとう。
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さて、本題に戻ろう。
もし私が子どもを産んだ場合、その子どもが「イグアナ」に見えてしまう可能性があると考える理由の一つは、そのADHDによる感情の共有が難しいという特性にある。
私は、他人の気持ちを理解することや感情を共有することが苦手だ。特に、母親として子どもに寄り添い、適切な距離感を保ちながら愛情を注ぐことができるかどうか自信がない。
子どもの頃から、自分に温かい血が流れていると感じなかった。
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