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江部航平
2024年11月5日 18:49
穏やかに過ごしたい日に限って家の鍵を無くしたり、犬に吠えられたり、鼻紙がゴミ箱の口を外れたり、不注意な石ころ兵が脛に直撃してきたり、彼女が不機嫌だったり、ガソリンの残量が心許なかったりする。これはなにか幸福について一定の基準値というもが定められていて、僕はそれによって幸運を調整されているように思えてならない。 一体誰に? 僕の知るべきところではない。少なくとも特定の何者かが僕にそうなるように仕
2024年10月8日 00:05
「ねえ見て、これかわいい」彼女はそう云って、イエローのワンピースのページを見せてくれた。携帯をつかむ指の先にネイルの光沢がまるく光っていると思うのと同時に、ぼくの肩に乗せられた彼女の頭から、モーターの回転する音を聞いていた。
2024年9月10日 07:30
彼女は奥行きのない平坦な白い霧の中に呑まれていった。十月の晴れきらない空のところに、太陽の光がぼんやりとしている。枯れたいちじくの木の下で、丸っこい小さな石ころ兵がこちらを見つめていて、僕は彼を見つめ返した。 石ころ兵はものを云わない。彼は黙って僕を見上げるばかりだった。
2024年8月29日 15:00
十一月最後の日曜日、最後に彼女と寝ておくべきなんだろうか。 雨の紗幕が信号や車のテールランプの赤いひかりをぼんやりとぼかしていた。 都会にはにおいが溢れている。すれ違う女の香水の甘いにおい、ぼろぼろの服を来た初老から漂うしょっぱいのと酸っぱいのが合わさったにおい、ラーメン屋から漏れる豚骨のにおい、トラックの黒い排気ガスのにおい、口許からこぼれる煙草のにおい。このまま夜の街の隅を歩きながらにお
2024年8月28日 11:49
丸窓の向こうで銀色に垂れた雲が空の姿を隠そうとしている。「すっかり寒いね」とこぼした。十月の暮れの空だった。灯油ストーブの前を陣取る彼女は爪をふうふう乾かしながら首だけで頷いた。彼女の爪は青い水晶を嵌め込んだみたいで、ストーブの火のちろりやら天井のぱっぱの灯りのせいで、幻想の生き物のように光の変容を見せた。「できたわ、見て」手指の先の宝玉をまじまじ見つめて彼女が云い、ついと指の先を揃えて見せ