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2024年9月の記事一覧

飛び立つ

飛び立つ

 石ころまどうは桃を流した川の色に似ていてきれい。晴れた日の昼の光に照らされて、光の屈折には濁りがなく、敷かれた雲の白さに透明な影が揺れる。
「一言余計だったんじゃない」とつづらおばけが云った。
「余計なお世話だよ」と私は返した。つづらおばけのいう通りだったのだけれど、それを認めることにむかついていた。僕は道の真ん中に捨てられた花束のことを思い出していた。誰もいない公園の赤錆た手摺り、猫、何かを咥

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月の国の狩人

月の国の狩人

 繁栄が向かう先も、地球最後の人の死に方もきっとわからない。外はもう暗くて、窓越しの空に見えたのは金の大弓を構えた狩人の姿だった。
 狩人は夜の支配者だった。星も、背の高い草木も、窓を揺らす風も、一様に彼の僕のように見えた。窓の枠に切り取られた月の光が床に青白く伸びてそこだけ濡れたように見える。部屋の中は暗い。家族はもうみんな寝てしまって、静かな夜に私は身を浸していた。
 もう誰もいないようだった

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米粒衆

米粒衆

 スケトットから貰った袋から米びつに米を移すとき、手が滑って米粒がちょっぴりだけ床に落ちた。ぱちぱち音を立ててフローリングにぶつかったそれらは、落下した座標を原点として互いにぶつかり、転がり、床を滑って好き勝手散らばる。ホウキを持ってきて掃き集めた米粒は全部で七つ。落としてしまってすまない気持ちになりながら片付けを済ませた。
 それからひと月と二日経ち、我がキッチンの床では十二匹の米つぶたちが目撃

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行方探し

行方探し

 雲が過ぎ、晴れた空には白い星が現れた。辺りにはほとんどなんにもなかった。どこまでも続く真っ青な地平に建つ一軒の白い箱のような建物と、塩の柱が建つのみだった。
「もう誰もいない」とミスタ・スーツサットは云った。ほんとうに誰もいなかったのだ。僕らは建物の方へ向かった。

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九月

九月

 街の人々はみんなくたびれた顔をしていた。それはまだ暑さの残る九月のせいかも知れないし、街に坂が多いせいかも知れないし、高すぎる税金のせいかもしれなかった。背の低い男がいて、眉毛のない女がいた。また顔の小さい女がいて、足の長い若い男がいた。SNS越しに見る世界は意外にちっぽけで醜く、ごくありふれた心地よさの中に街はあり、その街の中に僕がいた。駅前のコンビニではすでに中華まんを販売していて、お菓子売

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マシュマロを炙る

マシュマロを炙る

 テンテコという女の子は職場でもとびきり可愛いというわけではなかった。ちょっと下を向けば二重顎になるし、基本猫背だし、趣味も褒められない。けれどもわたしのこころにぴったりはまり込むような気持ちよさが彼女にはあって、それはちょうど草野球してる休日なんかに、フライが捕手のミットにストンと落ちてくるような気持ち良さであった。

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坊主が似合う

坊主が似合う

 このまえ流行りに乗っかってモテ髪センターパートとかいうのにしてみたけれど、結局僕は長ったらしい前髪が嫌いで、行きつけの1000円カットで丸坊主にしてもらった。3mmの髪の長さは頼りなくて、風に吹くたび耳の裏とかおでことか寒いくらいだ。頭が軽くてずいぶん心地いい。
 彼女は僕の髪型を見て、えろ坊主、と云った。えろの要素が分からないな、と僕は返した。無視された。「なんでまた坊主にしちゃったのよ」

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堪忍袋

堪忍袋

 堪忍袋の尾が切れて中身がこぼれる。取り返しがつかないと思っても今更遅かった。苛立ちは牙の形を取り、噛みつき、腹の底から沸き立つ真っ黒い感情に支配された言葉で彼を切りつける。
 もう元には戻らないのだ。鶏がヒヨコに戻れないみたいに、もうどうすることもできないのだ。互いに傷つけあって、罵り合って、互いの正義すらばかにして生傷は絶えない。
 かなしみは部屋の隙間に降り積もり、もはや足の踏み場もない。

女たち

女たち

 外は生ぬるい空気でみたされていた。雲の暗さのせいで、辺りは雨のせいで薄いフィルタがかかったみたいに見える。雨傘を指してゆく人の群れや、路面にぶつかって、ぱちっぱちっと軽い音を立てる。雨つぶたちは真っ逆さまに空から落っこって、ぶつかって、はじけて、水たまりの仲間になる。
 濡れて黒くなったコンクリートの壁面の無機質さが黒い潮のように視界を圧迫して恐ろしい。
 今、きゃあきゃあと声が立ち、何かと思え

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不純動機

不純動機

 もう糞尿垂れるだけの肉になっていた。もう三日も部屋を出ておらない。仕事を辞めて人とも会わずの生活をもう二年続けていた。家族はなく、僕はひとりだった。
 僕には夢があった。小説家になりたいという密かな企みだった。有名になれるんなら、なんでもよかった。けれども僕には秀でたところがまるでなく、学生時代も他の同級生と比肩する特徴も特技もなかった。ただプライドだけは一丁前に高く、そのせいで友人はもうほとん

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瘡蓋とたまごフィリング

瘡蓋とたまごフィリング

 瘡蓋を剥がしたら血が出るのとおんなじくらい当たり前に今日は日曜日で、僕は駅前のパン屋で買ったたまごサンドを食べていた。彼女はいない。好きな子はいる。背丈は僕とおんなじくらいで、下がり眉げ、髪は黒のセミロングのストレート、たまにしっぽが生える。その子は笑いのつぼがトーストの皿くらい浅いから、文字通り、箸が転がっても笑っちゃう。よく笑う女の子って素敵だ。それが僕に向けられたものだったらもういうことな

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破壊

破壊

 愛は劇物です。分量を間違えたら取り返しがつかなくなる。公園のひまわりはみんないじけたみたいに俯いて、暗く、悲しい陰のところで咲いております。
 二月にわたしは身籠りました。この子は彼の子。彼は、わたしを好きと云ってくれました。右の目の下の泣きぼくろも、肘のあざも、背中の傷も、彼は綺麗と云ってくれました。
 初めて遊んだ日、彼は真っ白なリネンのシャツを着てやって来た。待ち合わせ場所の黄色いカフェで

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画面の中の猫

画面の中の猫

「猫と遊んでたのよ」と遅刻してきたケプカは云った。
「はい嘘」とわたしは言った。「猫なんて飼ってないじゃないの」
「ほんとよ。ここへ来る途中にいたのよ」とケプカは携帯に撮影した猫の動画を見せてきた。黒い毛の猫。ケプカの足許に擦り寄りながらくすぐるように鳴いている。
「かわいい」と私は笑みをこぼす。目を細めて、口角をちょっとだけ上げて、画面の中の様子を慈しむみたいに、上品に。歯を見せて笑うのは下品だ

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正義

正義

 暗がりから急に照明をつけたところでちょうど目を閉じちゃって、瞼の裏の血管の赤さが目にしみて痛む。
 部屋は散らかって足の踏み場もない。照明に照らされたポテチの袋の銀色がキラキラしてやかましく、そのキラキラに紐付いた記憶の砂がちょっとだけ動くさまに気を取られていた。

 救急車! 早く救急車呼んで! とトラックの運転手らしい男の叫ぶのが聞こえて、事態の処理に追いついた脳が目の前の状況に震えていた。

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