『骨を彩る』 彩瀬まる 月1読書感想文
『骨を彩る』 彩瀬まる 2013年 幻冬舎
昔の人にしては大柄だった祖父の骨は、大きく立派だったが、抗がん剤治療を行っていたためか、所ところ骨が淡いピンク色に染まっていた。
大正生まれの頑固で厳しく男尊女卑的な時代の男性を絵に描いたような人で、娘にも孫娘にも厳しくいつも真一文字に結ばれた口は幼いわたしには恐怖の対象だった。
その祖父は晩年、わたしがプレゼントしたピンク色のセーターを嬉しそうに着ていた。祖父の骨を見た時、なぜかそのセーターを思い出した事を覚えている。
治療の為の薬の影響だとは分かっていたが、白い骨に散る淡いピンクに不思議な物を見た気がした。
祖父は体の奥にこんな物を抱いていたのか、と。
参加しているメンバーシップ『cafe de 読書』の今月の課題図書の彩瀬まる。
彼女の作品が好きだ。
もちろん他に好きな作家は何人もいるが、自分に合う作品もあればちょっと違うと感じる物もある。当然だ。
しかし彼女の創り出す世界は、いつも自分にカチッとハマる音が聞こえる。
悲しさと希望が折り重なり、そして僅かに不安定さが増す。いつもそんな感覚に襲われる。
本書は5篇の短編からなるが、登場人物たちはそれぞれが何かしらの形で繋がっている。
どの話の登場人物も生きる事に対し時に傷つき恐怖し、怒り涙し、足を踏み鳴らしよろけながらもそれでも歩き続ける。
3話目『ばらばら』の主人公の玲子。
学生の頃からしっかりものでみんなのまとめ役。家庭も仕事も充分にこなす優秀な人。玲子に任せておけば大丈夫。周りからはそんな評価を得ている玲子だが、両親の離婚や再婚、転校先でのいじめなど、積み重なって行くものに誰にも言えない不安定さが増していく。そして家庭を持ちまた問題に直面し、とうとう心が限界を迎える。
玲子の訴えに夫は「お前の骨は、ちゃんと、足りている」と答える。
そう。玲子の骨はちゃんと足りているのだと思う。
しかし感じる欠落感も本当なのだと思う。
「骨が足りない」
心の隙間とか、心の穴とか、自分の中で何かが足りていない表現はよくあるが、骨が足りないというのは、なかなかの表現だと思った。
骨という人間の基礎の基礎、あるべき物必ず必要な物がないと言う、激しい欠落感を感じさせる。
年齢を重ね、いい意味で鈍感というか見て見ぬふりが出来るようになると、その欠落感は時には薄くなり、忘れている時間も長くなるだろう。しかし綺麗に無くなると言う事は多分ない。そしてその欠落感ですら自分を形作る重要な一部となっていく。
そんな玲子を2話の中で、元級友の真紀子がこう言い放っている。
人の解釈は本当に様々だ。
玲子の優秀さやちょっと冷めた考え方や行動は、彼女がそう成らざるを得なかった環境による部分も大きかったのだろうが、それを他人の心が分からない傲慢な人間だと言われてしまう。例え様もない欠落感を抱え苦しみながら生きているとは、気がつかれない。
仕方がない、のだろう。
みんな違う骨を持ち、違う色を纏わせながら生きているのだから。
自分の中心に深く仕舞われた骨の色は、誰にも見えない。
そう言えば、何かが骨に染みると表現される時は、痛いとか悲しいとか辛いとか大抵ネガティブなイメージだ。
本作の中の登場人物たちも、骨にまつわる表現は、苦しくて悲しい物が目立つ。
最終話『やわらかい骨』の主人公小春も、幼い頃に母を亡くした影響による己の同世代の友人たちにはない屈折を『自分の骨を蝕む黒いしみ』としている。
もっとこう、幸せとか喜びとかが骨に染みるというのはないのだろうか。
…そもそも、幸せの色とはどんな色だろう。
1話目『指のたより』で主人公の津村と亡き妻との思い出の中のシーンである。
この場面は、本書の中で最も美しいシーンだと思う。
津村はこの風景をたまたま1人の外出時に見て、妻と娘に見せたかったと思う。
結局、見せたかったはずの妻はすでに亡き人となり、その思い出も美しいものだけではなく後悔や恐れが付き纏う。
しかしその過去の瞬間は『心が、川みたいにあふれ、まっすぐに向かった』と表現されている通りに、今目の当たりにしている奇跡のような光景を分け合いたいと願う存在が、直ぐに思い浮かぶ幸せが確かにあった。
彼はイチョウの金色を見る度に、その時の幸福を思い出すのだろう。
そして彼の骨のどこかは金色で彩られているのかもしれない。
その美しい金色の思い出は、最終話に津村の娘である小春へと引き継がれていく。
それを知った津村は確かにあった幸せを再確認できる。妻との幸せだった記憶すらあやふやで、どれが本当なのかと自分自身を疑っていた。
きっと彼のくすんでしまいそうだった幸せの色は、輝きを取り戻したのではないかと安心した。
悲しい色、苦しい色、そして欠落感。そんな物を抱えているそれぞれの登場人物たち、そしてこの本を読んだわたし達自身も、骨のどこかに幸せの色が滲んでいるようにと願わずにはいられない。