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そうだ、旅に出よう。 『グアテマラの弟』月1読書感想文

『グアテマラの弟』 片桐はいり 2007年 幻冬舎

旅に憧れる。
旅行、ではない。
旅、だ。

出掛ける時は、自分1人か気心知れた人と2人ぐらいが良い。
何となく決めた行き先で、細かいスケジュールはない。食べたい物はあっても、決めている店はない。見たい景色はあっても、宿を予約している訳ではない。

30歳の声を聞く頃に著者は、日本を飛び出しグアテマラに定住した弟(若い頃は家族と日本と不仲だった)に、十数年ぶりに海を渡り会いに行く。
短い時間だが生活を共にし、観光旅行では味わえない現地の本当の味を味わう。日本とグアテマラの違いに消化不良になりそうになったりしながらも、滞在の日々を楽しむ。
そんな陽気なグアテマラの日々に、やがて著者自身の価値観を育んだ両親へと思いを馳せていく。

読んでいてかなり羨ましくなるシチュエーションである。
誰かが、旅行は目的地に意味があって、旅はその過程にも意味があると言っていた。
自分の2本の足を動かして動かして、その先に待っている心揺さぶられるような出来事が…

などと書いてみたが、実はわたしは旅が苦手だ。


まず第一に、環境の変化に著しく弱い。
知らない場所は不安。初めての場所では眠れない、楽しみ方が分からない。体調を崩す事もある。知らない人と話すのも苦手。
子供の頃からこんな調子で、母親に外出に誘われても渋ってばかりで、遠出好きの母親にため息を吐かせていた。

さらに清潔第一。強い臭いにも弱い。
日本と同等か、それより清潔な国じゃないと無理、なんて言ってこちらも夫を呆れさせた。

そして極め付けが、根っからの日本人だ。
スーツケースの中はパズルの様にきっちりと詰めるのが好きだし、全てきっちりと計画を立てたがる。
時間も守りたいし、時間が惜しいので歩くのも相当早い。要はせっかちなのである。

海外の地で、同じ様相のアジア人の団体がテーブルを囲んでいても、せっせとおしぼりでテーブルを拭いているのが日本人らしい。
そんな記述を読んだ事があるが、なるほどね、と自分の身に置き換え納得した。

なので、こういう『旅』や『旅行』に関する書籍に出会うと、かなり羨ましくなる。

「気にするよ。気になるじゃない、日本人なんだもん!」
 そう叫んでから、なんだか落ち込んだ。
「どろぼうと薬屋」グアテマラの弟より


著者がグアテマラの弟の家で、家財を壊してしまう。自責の念で著者は弁償を申し出るが、弟の「んなこと気にしなくていいんじゃない」との返事に、いらついてしまっての台詞だ。

ある時、ふだんはめったに見せない真剣な表情で指をなめ、味を確かめながらペドラさんはこう言い放ったのだ。
「わたしの夫は幸せな夫だ。わたしは彼の食べたいと思うものをすべて作ることができる」
「鮫とシエスタ」グアテマラの弟より


ペドラさん(弟のグアテマラ人の奥さん)はとびきりの料理上手。
こと料理に関しては、著者がどれだけの賛辞を尽くしても、胸を張り臆面もなく受け止める。
これが日本人なら、まず初めに謙遜という行動が入るだろう。いえいえ、そんな、という感じ。

その他にも、どんな時間のどんな状況でも眠くなったらシエスタに一直線とか、日本では普通には入手できない劇薬がトイレの詰まり用の溶剤として普通に売っているとか、毎晩どこからかやって来る知らない人が夕飯の席に座っているとか…極め付けは、免許を持っていない弟が薬屋をやっている事を不思議に思い尋ねた答えが「友人に借りた」である。

あー、そんなんでOKなのねぇ。
読みながら思わず呟く。

旅とは、その土地その物を体験し酸いも甘いも楽しむ事だと分かっていても、きっと自分が著者の立場なら、色々な意味で自分の常識や感情が揺さぶられすぎて、早々にギブアップとなるだろう。
実際に著者も、『グアテマラでの日々が足りない』内は、混乱している。

しかしその反面、彼らが明るくおおらかで、家族を大切にし、近所同士で助け合い、細かい事は気にせず、人生を楽しんでいる姿も見えてくる。
国が違えばもちろん価値観も違うし、生きているスピードもテンションも違う。

ペトラさんは、「日本と違ってグアテマラは花が安いから、いつでもたくさん飾ることができるのよ」と自慢しながら、毎日楽しそうに父親の花をとりかえている。
「おやじと珈琲」グアテマラの弟より


ここを読んで、「ああ、良いな」と感じた。
分骨された著者の父親が、弟に連れられ海を渡りグアテマラ行きを果たす。
ペドラさんは、毎日せっせと日本より安いお花を買い父親を飾り、きっと「どうお父さん、綺麗でしょう?」と嬉しげに笑っている。そんな光景が思い浮かんだ。
どんなささやかな事にでも、喜びや楽しみを見出す事が出来る人生を送っているのだろう。それも意識せずにごく自然に。

表現がありきたりになってしまうが、自分を生きているのだと感じた。
誰かのためではなく、だ。
だから個々が強いのだと思う。


ここに行ってみたい!と思ったのなら、わたしの様に、アレが無理でコレも無理かも…などと言っていないで、何とかして行ける方法を探し当てるのだろう。
そしてニッカリと笑いながら、大きくピースサインで写真を撮ったりするのだろう。

こんなにぐちぐちと弱気な事を言っていても、やはり旅に憧れる。
本当は、死ぬまでに行ってみたい場所なんていうのも幾つかはある。
それでも費用や休みの確保とか、現実を考え出すとやっぱり及び腰になる。
超多忙なはずの著者は、行くと決めたら怒涛の如く色々と準備調整をこなしていた。
そのエネルギッシュな姿は、弟をラテン男と呼ぶけれど、さすがその姉。


ここ数日花粉症がかなり酷く、日常生活にも支障が出るほどだ。今もボンヤリとした頭でこの記事を書いている。
さらにこれからどんどん花粉の量が増えると聞くと、恐怖でしかない。
こうなったら、花粉のない所へ飛び出そう!
あれ?これは旅ではなく逃亡と言うべきなのか。
よし、今年こそ旅に出よう!多分、ね。


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