本当に誰にも必要とされてないのか?
誰にも必要とされていないのではないか?
そんなことをふと感じた。もちろんそう感じた理由があるのだけれど、いとも簡単にわたしの心はポキっと折れた。
もう心の中はぐちゃぐちゃだ。その苦しい叫びを紙に書きなぐり、自分と向き合う。書いていてまたふと思う。
あれ?わたしって自分で思っているより繊細なんじゃ……?
「繊細」と書いて思い出したことがある。わたしのすぐ下の妹のことなんだが、妹はあるときからすごく繊細に拍車がかかり、妹と話するのが怖くなってしまうぐらいだった。
そんなにまで繊細になり傷ついてるとは思わず、ケンカになったことがある。
速攻でLINEはブロックされ電話も着信拒否。謝ろうにもその手段を絶たれたのだ。
でもわたしだって傷つき怒っていたのは確か。向こうも悪いんだし、もう知らねーってなっていた。
いまは仲直りしているが、昔のようにまではなっていない。ある程度の距離をつねにお互いが保っている。
繊細がゆえに、どの言葉に妹が反応するかわからないから。でも自分のことを「もしかして繊細?」と思ったら、気づいたのだ。
妹はわたしの鏡だって。
きっとわたしは自分の繊細なところを認めたくなかった。認めてしまうと、いまよりもっと傷ついてしまうと思い込んでいる。だからそれを隠したかったのだと。
誰しも傷つくのはいやだ。でも、繊細さを周りにバレないようにしたとしても、いくら傷ついている心を見て見ないふりをしたとしても、本当に自分の心を守れてるとはいえないのだ。
わたしは今日のショッキングなできごとで、わたしには価値がない、わたしは誰からも必要とされない人間で、どうせなら消えてなくなってしまいたいなんて思い、自分にそれをすり込んで生きていたんだと気づいたら恐ろしくなった。
いま思考を整理するためにnoteに思いつくまま書いているので、全然まとまりもない、意味のわからない文章になっているのはわかるが、それでも今日はこのままでいいと思えた。
いまわたしはnoteをつかって自分をいやしてるところ。
誰からも必要とされない人間なんて本当にいるのか?わたしはいま、本当に誰からも必要とされていないのか?
ちょっと考えればかんたんに答えは出る。そんなことはないと。
夫はわたしをとても必要としてくれているし、5人の子どもたちだってそうだ。友だちだってわたしを必要としてくれているのがわかる。
それでもわたしは、自分は誰からも必要とされてないって思いつづけるのか?価値があるってわたしの周りにいる人たちが教えてくれてるじゃないか。
だからそばにいてくれるんじゃないか!
書いていくと少しづつ悲しみが癒えてきた。今日もnoteに救われる。hohoさんのステキなイラストにも癒された。本当にありがとう。