スクエニがFF14を捨てて作り上げたムービーゲー、FF16をプレイした感想

私は普段、こう言った感想をまとめることはないのだが、FF16に関しては初めから感想をまとめるつもりでプレイしていた。

なぜならFF16は『スクウェアエニックスがFF14の品質を捨てて作り上げたファイナルファンタジー』だからだ。

もちろんそんなことをスクエニが自らが公言しているわけではない。

吉田P自身も「FF14とFF16の開発兼任について、FF14には全く影響ない」とはっきり断言しているため私の勝手な妄想でしかない。

だが、FF14プレイヤーであれば多くを語らずとも、FF16の開発が本格化したと思われる暁月(の開発フェーズ、実質漆黒終盤)辺りから、FF14の品質低下、不具合と緊急メンテの山、コンテンツの不足が露骨になってきたことに共感頂けると思う。

そのためそれらと引き換えに作っただけの成果になっているのか確認する意味でも、いずれ必ず購入するつもりでいた。そして今回、PC版が発売されたためプレイに至った次第だ。

結論から述べると、私は非常に楽しめた
ただ、これを楽しめないと言うユーザーが居るのもよくわかるくらいには問題点も多く、人を選ぶ作品だった。
他人に勧められるかと問われると、私は迷わずNOと答える。

私自身、ラスボスを倒し、スタッフロールを迎えた瞬間「くだらねえーーーー!!!」と絶叫し、感想を書く気が一気に失せたほどだ。

そして長いスタッフロールを見終わった後に流れたエンディングのおかげで全てが報われた気がして、また感想を書く気になったくらいには頻繁に評価が乱高下する。

正直、この作品の良し悪しを評価するのは非常に難しい。なぜならこの作品に何を求めるか、どこに軸を置くかで評価が真っ二つに分かれるからだ。

実際私も、『スクエニがFF14を捨てて作ったファイナルファンタジー』と言う前提がなければ、ほぼ100%途中でプレイを辞めていたと断言できる。
と言うか体験版時点で買うのを辞めていた。

全部プレイした今だからこそプレイして良かったという感想だが、当時の自分に頑張れとは絶対言えない。

これは黄金のレガシー同様に好き嫌い以前の作り方の問題で、『私はこのゲームが好き/嫌い』の一言で終わる内容ではないことが致命的だ。

そこで今回は、なぜここまで極端に評価が分かれるのか?と言う部分に焦点を当てつつ、私の感想をまとめたいと思う。

なおネタバレについてはメインシナリオの項でのみ行う。それ以外の項では触りや匂わせ、公式が宣伝時に公開している情報程度に留め、未プレイのユーザーのゲーム体験を損ねないようにしている(つもりだ)。

そのためもしこれから購入を検討している人がいるのなら、どう言う層にオススメで、どう言うスタンスでこのゲームに臨めばいいのかの参考にしてもらえればと思う。

因みにここから先はかーなーりー、長い。


◆総評(ネタバレ無し)

まず総評としては
クソゲーは言い過ぎだが神ゲーには到底及ばない良ゲー

RPGとしては50点、雰囲気ゲーとしては100点、総合75点くらいのゲーム

これをRPGと呼ぶのは他のRPGに失礼なほどに杜撰すぎる構成、多すぎるムービーでロールプレイを阻害され続けるムービーゲー

ファイナルファンタジー世界を観光する雰囲気ゲー、或いはハイグラフィック版FF14としてプレイすると他の追随を許さないほどの神ゲー

雰囲気ゲーのくせにアクションRPGとして宣伝されているカテゴリーエラー作品

多感な青年期にはブッ刺さるが、自分の考えを持って人生を歩き始めた大人には刺さりにくい、純文学のような作品

そのくせ宣伝文句は大人向けのFFなのだから色々かみ合ってない作品

と言ったところだろうか。

そのため本格的なRPGやゲーム体験を求めている人間には全くお勧めできない。後述するが、このゲームを心から楽しめない一番の原因が欠陥だらけのメインストーリーとゲームプレイの阻害になるほどに多発するカットインにあるからだ。この辺りを気にするタイプの人間はセールを待ってから購入しても遅くないだろう。

逆に人喰い大鷲のトリコやワンダと巨像のような、世界のどこかにあるかもしれない異世界を感じ、思いを馳せ、時に理由がわからないながらも胸がいっぱいになって涙を流してしまう、そんな雰囲気ゲーが好きな人は買って後悔しない

またFFファンやFF14プレイヤーもハイグラ版FF観光ゲー、もしくはハイグラ版FF14のつもりでプレイすると「この技ってこんななの!?」「この名前知ってる!」「お前どっかで見たぞ!」となり、かなり楽しめる
(私はこのタイプ)

特に過去作のオマージュなどが随所に散りばめられているため、ストーリー度外視でそう言った演出の数々に絶叫できるなら100%買いだ。
FF14よろしく、FFのテーマパークと言って良い仕上がりになっている。

このようにアクションRPGとして宣伝されている割に、実際の中身はほぼ雰囲気ゲー、或いはファイナルファンタジー世界の観光ゲーであることがクオリティの高さの割に批判が多い理由の一つだと思われる。


◆ゲーム内容に対する感想(ネタバレ無し)

・ゲームを名乗るためだけに用意された申し訳程度のゲーム性

ではそもそも、雰囲気ゲーとは何か?
定義を改めて調べてみたところ、明確なものはないらしいが

・高水準のグラフィック
・世界に浸ることのできるBGM
・美しいアートワーク
・情緒あふれる世界観

或いはネガティブなところで
・戦闘が単調で簡単
・ゲーム性が薄い

と言う点が挙げられるゲームのことを指すようだ。
まさにFF16のことである。

このゲームにはゲーム性というものが存在しないと言って良い。
戦闘や装備の更新、レベリング、金銭のやり取り、サブクエストの消化、マップ探索と言ったゲーム特有の面白さは、FF16においてはゲームを名乗るためだけに用意された申し訳程度のおまけ要素でしかないからだ。
このゲームが極端なムービーゲーと揶揄される理由もここに原因がある。

装備の生産はしてもしなくても大して変わらない。装備は数値上昇しかしないので合間合間で装備を店買いするか、いつの間にか大量に溜まってる素材を使ってその時作れる最強装備を生産したら終わり。アクセサリも微妙な効果のものばかりで、後述するバーサーカーリング以外は正直なんでも良い。

装備が万事そんな感じなのでマップ探索の意義も薄い
と言うか探索するほどマップもそんなに広くない。

FF15のようにマップ探索そのものが面白く、メインストーリーの粗に目をつぶれるくらいのゲーム体験をもたらしてくれるならまだしも、出てくるのはほぼ一本道の道中大した物が入っているわけでもない宝箱、そしてその先に佇むどっかで見たような動きをする、名前が違うだけの使い回しの敵ばかり。たまに広い草原なんかが出てきたりするが、こうした理由から広いだけでゲーム的面白さは殆どもたらしてくれない。

面白いか?これ。

またメインクエスト、サブクエストの内容についてもとにかく酷い。やってることがまんまFF14のお使いゲーだ。

NPCの話を聞いて指定の場所へ移動、そこから
①そこにいる敵を倒してアイテムを回収したり人を助けたりするパターン
②3人のNPCに話を聞いて目的地に到達するパターン
③アイテム拾いをして帰ってくるパターン
の3パターンに派生。

その後クエスト完了報告をして終わり。そう、FF14プレイヤーならおなじみの、いつものやつである。

しかも序中盤にプレイすることになるサブクエストのシナリオもまあ酷い。受注時点で「あ、この3パターンのどれかに派生するタイプだ」と察してしまうくらい広がりがない。

そして案の定、落としたクリスタルの道具を拾ってこいだの急激に熱くなった温泉の原因を調べてこいだのと言われ、お使い後に設定資料集からそのままコピペしてきたかのような世界観説明用のセリフをNPCが長々並べてクエスト完了。ここもまんまFF14のサブクエストだ。

おかげでうんざりするほどのお使いゲーを、うんざりする回数やらされる。これがとにかく苦痛。

しかもNPCとの会話は全てカットイン付き。そしてセリフ回しは冗長で陳腐で脈絡もない。
NPC『こういうことがあったんだ』
クライヴ『どうして○○しようと思ったんだ?』
NPC『それはこういう理由だ。(そこから長々とした世界観設定の説明)』
クライヴ『そうだったのか』
NPC『そういう訳だから〇〇を頼む』
クソほどセンスを感じない。だから眠くなるしうんざりさせられる。

おかげでやっとまともな話の広がりやサブキャラクターたちの掘り下げ、面白い展開を見せる後半のサブクエストが出る頃には、緑色のサブクエストアイコンを見るのが嫌になっている有様。

私も中盤までは作業感溢れるサブクエ消化を義務感だけで行いながら進めていたが、終盤に10個くらいまとめてサブクエストが出てきた時は思わず「無理だ」と呟くほどだった。

しかもその10個を1、2時間使ってなんとか消化してダンジョンをクリアして戻ってきたら、また新たに10個くらいサブクエストが生えてきた。わたしは泣いた。

このように、あるのは『やってもやらなくてもストーリー進行に影響がないように作られたおまけ要素』ばかりで、能動的にこれらを自分からやりたいと思える作りにはなっていない。

正直、ゲームとしては全くと言って良いほど面白くなかった。
いつまでMMO作ってるつもりだ、いい加減切り替えらんねえのか!



・ゲーム体験をとにかく阻害する無数のムービーとカットイン

また他に、FF16が批判される理由の一つにこの大量のムービーが挙げられる。

と言うとプレイしていない人から「最近のゲームは全部そうじゃね?」と思われそうだが君はFF16を舐めている

具体的にはプレイ時間のうち体感6割がムービーを見ている時間だ。実際に計測したわけではないためあくまで体感。

だがこれはサブクエストの消化もすべて行った上での感想であるため、メイン以外の要素をやりこんでないだけ、なんて言い訳も通用しない。

プレイしている感覚としては、3分から4分ほどのムービーを見て、見終わったらイベントバトルで1分ほどの雑魚戦。

戦闘が終わったらまた3分から4分のムービーを見て、見終わったら次の目的地に移動。

2分ほどのキャラ操作後にまたムービー。そしてボス戦前の長いムービーを5分前後見てボス戦突入、カットインやムービー演出からのQTEを挟みつつ、ボスを撃破すると10分の長いムービー。

ずっとこんな感じ。

戦闘中にすらムービーが始まった時にはさすがに変な笑いが出た。
言っておくがこれでも間に戦闘があるだけマシな方だからな。冒頭なんかまともに戦闘できるようになるまで1時間近くかかるぞ。

因みに私がメインストーリーをクリアするまでのプレイ時間は(やる気を出すために放置していた時間を含めて)約60時間。

放置時間を5時間程度と仮定してそのうち6割と考えると33時間くらいムービーを見ていたことになるが、まあそのくらいだろうなと言う気がしてくる。

プレイ中に何度コントローラーを置かせるつもりなんだ?
なぜゲームをしているのにコントローラーの操作ができない時間がこんなに必要なんだ?
教えてくれ吉田。アタシはお前たちの考えていることが知りてえんだ。

あとついでに、ヘルプも多すぎて延々とプレイを阻害してくる。いつまでヘルプが出てくるんだこのゲームは。クリア後まで出て来たぞもう終わりだよ。
それから要所要所に挟まるリザルト画面もいちいち鬱陶しい。FF14やってんじゃないんだぞ

このようにFF16がゲームとして退屈な理由の一つは、多すぎるムービーのせいで没入感が削がれ、プレイヤーがロールプレイどころかクライヴの物語を眺める傍観者になってしまうことが原因だろう。

因みに映画を見ている気持ちに心を切り替えたらだいぶマシになった。
これはゲームではなく操作できる映画だ。悪い意味で。

序盤は説明が必要だからムービーが多くなるなんていうのは、物語の見せ方が下手くそな小説家が冒頭から説明文ばかりの面白くない小説を書く時のお決まりの言い訳なんですよ。

ミステリ小説の金言に「最初に死体を転がせ」ってあるのはそういう意味です。最初から強く物語を進めるフックが必要なんです。

説明ってのはストーリーを進めながらやるものであってストーリー進行の阻害になる時点で駄文なんです。
だからどうやればそれをやらずに済むかみんな頭捻って考えてるんです。ブランド名に甘えて手を抜かないで下さい。

また探索要素が退屈に感じるのもこの多すぎるムービーが原因だろう。

総評で示した通り、そもそも何かを探す面白さがほとんど用意されていないにも関わらず、合間合間に頻繁に差し込まれるムービーによって世界がぶつ切りになり、フィールドと言うよりインスタンスダンジョンを探索している気分になる。

新しいマップや次のマップに移動するときは大抵ムービー中の強制移動。もしくはワールドマップに一度出てからのマップ選択。

そのためマップ同士の繋がりを感じにくく、ある程度の区間で区切られたダンジョンのように感じられてしまう。

そのせいで行ける場所がいくら増えても世界の広がりを体感的に感じられず、ワールドマップで示された位置関係を見て「へー」と言うつぶやきを漏らす程度に終わる。

おかげで世界の一部を歩いていると言うよりは毎回イベント専用マップを探索させられている気分だ。FF14的に言うならインスタンスダンジョン探索。面白いわけがない。しかも合間合間でめっちゃムービー挟まる奴。

最終的にはちゃんと各領土は箱庭形式の広いマップになっているのだが、ストーリー上ではその箱庭をいくつかの区画に切り分けてお出しされるので、広さを体感できるのは一連のストーリーが終わった後。それでは何の意味もない。

このぶつ切りの世界もストーリーへの没入感をとにかく阻害し、プレイヤーを傍観者にしている。

この広さのマップを大量に用意することが困難で、ぶつ切りにすることで使いまわそうとした意図はわかるが、それにしてもやり方が最悪だ。

FF14がストーリー上でのマップの切り分けをしても許されているのは、それが許されるだけの広大な箱庭マップを用意できているからだ。

ただでさえ一本道感の強いマップをさらにぶつ切りにしたらどうなるかなんて考えずともわかるだろうに。
おかげであれだけ発売前に宣伝していた『蒼天編のような旅感』も全く無かった。

私が求めていた旅感というのは、広大なマップの中に人が通るための道が一本あり、その道を歩きながら辺りの景色に思いを馳せ、仲間たちと言葉を交わす。

そういうノスタルジックな雰囲気のことを言っていたつもりだったのだが(そういう意味ではマクルデュロワはよくできていた)。



・淡泊すぎるメインキャラクターと魅力的すぎるサブキャラクター達

前述の旅感が薄い理由やメインストーリーがやけに浅く感じる原因の一つに、この淡白すぎるメインキャラたちが挙げられる。

癖がない代わりに面白みもない、設定資料に書かれたことが全てでそれ以上の広がりも感じない、どこかから借りてきたかのようないかにもなメインキャラクターたちによる、メインストーリーを進行するためだけに用意された味気ない業務的会話の数々。

このせいで全くと言っていいほどメインキャラクターに愛着が湧かない。

特にメインヒロインのジルが顕著だろう。
ほぼ全てのセリフがメインストーリーのために用意されているため、面白みが一切ない。

彼女がようやくキャラクターとしての色を持ち始めるのは後半の、それも終盤になってからなのだが、その頃にはもうほぼ全てが終わってしまっている。
そんな頃にようやくヒロインアピールされても・・・と言うのが本音だ。

ちゃんと描写された魅力あるキャラクターというのは、もしここにこのキャラがいたらどう言う反応をするのか?まで克明にイメージできるものだが、ジルに関しては全く浮かんでこない。

いや、それも正確ではない。正しく言うなら「意外性も何もない予想通りの反応しかしないだろうことが誰の目にも明らかで、全く面白くない」のだ。

そのせいでジルの決意やジルの覚悟を示すシーンでもやけに業務的に感じられていまいち共感できず、そう言うキャラだから、メインストーリーに必要だから、と言う理由で用意されたやらされ感が凄まじかった。

先ほどの旅感だってそうだ。

共に旅する仲間たちは少し離れたところからクライヴの後をついてくるばかりで画面内にはほとんど写らず、戦いになると時折ジルの「ハァァァア!!」と言うドスの効いためちゃくちゃ威勢のいい声だけがどこかから聞こえてくるくらい。

NPCに話しかけてカットインが入るとNPCとクライヴの二人だけが会話し、一緒に居るはずの仲間たちは画面外にフェードアウト。だからどんなに長い間一緒に旅しても、共に歩いたと言う感覚は薄い。

そして珍しく口を開いたかと思えば、相変わらずストーリー進行用の業務的な会話か、設定資料集からコピペしてきた世界設定の解説をしてくれる。正直うんざりだった。

吉田Pご自慢のヒントトークはどうした。こんな道中にこそ、竜騎士のジャンプをリンゴ取りに使わされて辟易としているエスティニアンのようなセリフが必要だろうに。そうした雑談がキャラ付けを行ってくれるんだろ。旅感ってなんだったんだ、本当に。

なお、開発もこの辺りの描写が足りてないことを自覚しているのか、ヴィヴィアンレポートという機能で各章における各キャラクターの心境を確認できるようになっていたのはFF16渾身の笑いどころだ。
説明するな。それを見せろ。仮にもRPGだろうが。

FF15では危機的状況でも呑気にキャンプを楽しむ主人公たちに批判が集まっていたが、キャラクター描写としてはあれが正解なのである。

何に喜び、何に悲しみ、何に笑うのか。そう言った細やかな描写があって初めて人はキャラクターに共感し、キャラクターは感情を持った人間になるのだ。

そして、だからこそ物語序盤では小さな目的を達成するために各地を冒険させ、その中でキャラクターたちの描写や掘り下げを行い、感情移入するための土台をしっかりと用意しなければならない。

FF15の場合は物語の序盤から迫る危機や時間の制限を示してしまったがために陽気なキャンプが批判に繋がった。最初の目的がいきなり大きすぎたのだ。

FF16は逆に、この部分をしっかりと描かなければならなかった。

そうすれば最終目標である世界の危機が迫る頃には彼らに愛着が湧き、場違いで陽気なキャンプをしなくても彼らと一緒に戦いたい、彼らの住む世界を守りたいと言う想いがプレイヤーにも溢れていたことだろう。

なのにそう言った掘り下げが前述の大量のサブクエストの山に埋もれてしまっている。

正直物語の終盤も終盤で今更掘り下げても・・・と言うのがそもそもの話だが、その掘り下げがサブクエストと言うのもまあまあ酷い。

もし緑の大地に心折れてサブクエストを消化せずにラスボスを討伐すると、愛着も何もないままメインキャラクターたちとはお別れすることになるのだ。

だと言うのにその一方でガブやグツ、ミドやバイロンなどのサブキャラたちは、登場した瞬間一発で感情移入が出来るほど魅力的に描かれていた。

さらに終盤の彼らの掘り下げになるサブクエストも面白い物ばかりだった。逆だろ、普通。



・最終的には面白いが、面白くなるまでに多大な時間が必要になる戦闘

戦闘は最終的な評価として、非常に面白かったと言って良い。
特に最近のスクエニのゲームは戦闘そのものがストレスになり、それが原因でプレイを断念することが多かったため、それらに比べても非常に優秀な部類だ。

但し、その戦闘の面白さを知るためには多くの時間が必要になるという問題点もある。特に序盤の戦闘はとにかく苦行と言って良い。

序盤から中盤にかけてはとにかく単調で退屈な作業ゲーをやらされる。気分は面白くない三国無双。或いは低レベル帯IDにシンクした敵だけやたら硬いFF14。

アビリティは2~4つしかなく、リキャストタイムが地味に長いため無駄うちもできず、延々と敵のスタンゲージを通常攻撃でチマチマチマチマ削り、ダウンしたところに貯めこんだアビリティをまとめて打ち込んでまた起き上がった敵のスタンゲージをチマチマチマチマ・・・

ここで心折れてプレイを断念した人が「このゲームは戦闘が面白くない」と評していたとしても文句は言えないほどに心底退屈で、私も本当に苦痛だった。

戦闘があまりに苦痛すぎて、風のドミナント戦では本当にゲームをやめようかと思った。と言うかFF16でなければとっくに辞めていた。そのくらい本気で面白くなかった。

あまりのつまらなさに感想を検索したが、どれもこれも戦闘が面白いと書かれていて「こいつら気が狂ってんのか?」と何度思ったかわからない。

FF16をプレイしてほしいと言ってきた友人も戦闘は面白いと言っていたため「こいつ普段まともなゲームやってないんだろうな」と内心かわいそうな人を見る目で見ていた。本当ごめん。

吉田P的には最初から色々解放するとプレイヤーが混乱する、と言う配慮のつもりだったのだろうが、配慮が行き過ぎてゲームとして非常につまらない。

つまらないというかもはや苦行。だったら最初から多少複雑でも面白いゲームの方が良い。何のためのオートリングと難易度調整なんだ。

しかもこのクソほどつまらない劣化三国無双は、何と最悪なことに物語中盤、3体目の召喚獣が手に入るまで続く。その頃には戦闘に期待していたプレイヤーはとっくに離脱していることだろう

逆に、3体目の召喚獣が手に入ってからは一気に戦闘が加速する

アビリティが6つに増えるためリキャストの縛りが緩くなり、通常のスタンゲージ削りにもアビリティを振ることが出来るようになるからだ。

ここからがFF16の真骨頂と言って良い。

アビリティでスタンゲージを一気に削ぎ落し、半分を切ったところでガルーダでスタンを取る。そこからダウンに備えてコンボ用アビリティを温存しながら、残ったアビリティで残りのゲージを削り切る。
ダウンをとったら温存していたアビリティのコンボで一気に大ダメージ。めちゃくちゃ面白い。

また終盤にはスタンゲージよりもHPへのダメージが大きいアビリティも揃ってくるため、ダウンをとらずに倒すことも可能になってくる。

そうなるとダウンをとって一気にダメージを叩き込むか、HPを直に削りながらスタンゲージも平行で削るかと言う選択肢が生まれ、戦術の幅も広がる。

そして、3体目の召喚獣解放と同時期に手に入るバーサーカーリングは、更に戦闘を加速させる。

これはジャスト回避をすると一定時間攻撃力がアップするというアクセサリなのだが、実際は強化エフェクトが入り攻撃モーションが専用の連続攻撃に変化する。
これがとにかく爽快で面白い。

ジャスト回避するたびにカットインが入るのが非常に鬱陶しいのだが、それを差し引いてもこの強化攻撃モーションが非常に爽快で、一度これに慣れると剣と魔法を交互に振るチマチマとした通常攻撃には戻れないほどの面白さを生み出してくれる。

これらが揃ってようやくFF16の戦闘は完成する。但しこれらが揃うのは中盤、前述の通り大量のムービーを見た後だ。私はここまでに20〜30時間くらいかかった。その前に常人なら心が折れる。

また、ここからの戦闘は面白くなっていく一方で、序盤とは別の問題点も顕著になり始める。それは召喚獣切り替えのわずらわしさだ。

当然だがアビリティにリキャストがあるということは、打ち切ると別の召喚獣に切り替えなければならないのだが、これが本当に煩わしい

1⇒2⇒3⇒1と順送りにしかできないため、使いたい召喚獣を出すのに最大2手必要になる。そのせいで戦闘中だと言うのにテンポが悪く、視線を切ってUIのチェックまで要求される。

一応召喚獣切り替え時にクライヴの周りに属性に応じたエフェクトが出るのだが、エフェクトの出るタイミングもワンテンポ遅く、エフェクトを見てから切り替えているとコンボどころではないため結局UIを見るハメになる。

また先ほど書いたガルーダは特に、スタンゲージを半分削った時に発生するよろけに対して〇ボタンの専用アクションを合わせることで小ダウンをとることができ、非常に使用頻度が高い。

しかしその度にカシャカシャカシャカシャと召喚獣を入れ替えなければならず、またボタンを押しすぎると順送りしかできないのでまた一周させられて、そうこうしている間に敵のよろけが終わってしまう、ということもあったりした。

かと言ってガルーダ縛りにしたり、召喚獣を2体に減らすと序盤の問題点である単調すぎる作業ゲーがまた顔を出すわけで・・・

そして召喚獣の切り替えに加えてアビリティのリキャスト管理も同様にUIのチェックで行わなければならず、チャンスに備えて何枚のアビリティが残っているか、今ダウンを取っても大丈夫かなどをUIの情報から瞬時に読み取らなければならない。

しかもそれらを目の前の敵と戦いを繰り広げながら、敵のスタンゲージの状況まで気にかけて行うため非常に煩わしい。

この辺りの管理を感覚的にやれるようになり、敵の攻撃を回避しながらガツガツスタンゲージを削り、1ダウンで2万5千~3万ダメージくらい叩き出せるようになると、ようやく「戦闘が面白い」と言っていた頭おかしい連中の仲間に入れる。ここまでが本当に長すぎる。

せめてバーサーカーリングの機能をデフォルト機能にするか、ジャスト回避でアビリティのリキャストを短縮できるようになれば、序盤でも自分から仕掛けに行く面白さが生まれ、単調な戦闘がだいぶマシになるのだが・・・

それからこういう切り替え式のシステムを採用するのであれば1ボタンで目的の物に切り替えられるようにするか、逆順送りの機能も付けてほしい。これは切実に。



・全く期待していなかったがめちゃくちゃに面白い召喚獣バトル

さて、ここまでは批判寄りの意見ばかりだったため、ここからは称賛寄りの意見をまとめたいと思う。

まず、今作の目玉として宣伝されていた召喚獣バトル。こいつがめちゃくちゃに面白かった。

どのくらい面白かったかと言うと、ストーリー進行で召喚獣バトルが始まりそうな空気を感じるとソワソワするくらいには面白かった。召喚獣バトルを匂わせながらQTEだけで終わった回には本気でがっかりしたほどだ。

FF16の戦闘はやたらとカットインやムービー、QTEが入ってくるため正直鬱陶しく感じることも多いのだが、召喚獣バトルにおいてはそれらがまさに極上ともいえる演出となっていて非常に興奮した。

何?所詮イベントバトルだろって?私もやるまではそう思ってたよ。

.hack//G.U.をやったことがある人にはアバター戦のようなものと言えばわかりやすいだろうか。しかも超ド派手なヤツ。ビビるくらい大スケールなヤツ。

巨大で鈍重な召喚獣たちによるド派手で度肝を抜く大アクションバトル。これまでのFFシリーズで見てきた召喚獣たちの大技の応酬。力を力でねじ伏せる、笑ってしまうほどになんでもありの大怪獣バトル。

面白くない訳がない。スマン吉田、正直舐めてた。
惜しむらくは召喚獣戦ゆえに回数が限られており、特に序盤では殆ど体感できないことと、たまに長すぎてクライヴが息を切らしている横でプレイヤーもゼーハーしていることくらいだろうか。

もし序盤で投げた人がいたらせめて最初の召喚獣バトルまでは頑張って進めてほしい。これが面白くなかったらまた投げて良いからさ。



・世界を描き出す非常に豊かな描写の数々

後述するメインストーリーの欠陥が原因でロールプレイングゲームとしては正直落第点レベルに面白くない本作だが、最初に示した通り、これをRPGではなく雰囲気ゲーとして見た場合評価が一気に覆る

最初に挙げた
・高水準のグラフィック
・世界に浸ることのできるBGM
・美しいアートワーク
・情緒あふれる世界観

この全てが見事に網羅されており、何ならその中でも最高品質に近いものを提供してきているからだ。

グラフィックに関してはもはや言うことがないほどに美しい
私自身、ゲームにグラフィックは不要論者であり、今まではこのゲームのグラフィックがすごい!と宣伝されても一切興味が湧かず、実際にプレイしてみても案の定何の感想もなかった。

そんなに綺麗なグラフィックを見たいなら映画を見れば良いし、操作できるメリットを感じたことが一切なかったからだ
グラフィックがゲームを進めるための牽引力を持つことは無いのである。

しかしFF16に関しては話が別だ。
果てまで続く地平線や空を映す水面、さざめく森に草原を駆け抜ける召喚獣。脇道を逸れた後にふと見上げると、彼方に見える次の目的地。日が傾き、夜が迫る大地。

ムービー中に戦う召喚獣たちはド派手に世界を駆け巡り、美しく輝くマザークリスタルは彼らを呑み込むかのように悠然と輝きを放つ。夜空の煌めきが画面いっぱいに広がり、夜と星のコントラストが浮かび上がる。

何もかもが噛みしめるほどの感動を生み出し、次は一体何を見せてくれるのかと期待感を掻き立てる。

普段ならうんざりするだけの要素にしかなってないダンジョン探索も、このゲームにおいては計算されつくした景色や景観を披露してくれるため、一部屋進む度にカメラをぐりぐり回したくなる。

細部まで描きつくされた神殿や細やかな輝きを見せるクリスタルは本当に溜息が出るほど美しく、感動を覚えたほどだった。

何度もスクリーンショットを撮ったが画像になるとこの細やかな美しさが潰れてしまって十全に表現出来ていないのが何とも口惜しい。
画像を見て満足せず、是非ともプレイして欲しいものだ。

またBGMに関しても言う事なし。FF14のサウンドチームを率いる祖堅正慶渾身の楽曲の数々はその全てが名曲揃いだ。

絶妙に耳に残るイントロで戦闘を盛り上げたかと思えば、黒衣の森を彷彿とさせる美しい楽曲が神秘的な森の雰囲気を演出する。
最初に書いた通り、ラスボス後に「くだらねーーーーー!!」と叫んで何もかもがどうでも良くなった私だったが、スタッフロール中に流れる名曲の数々についつい聞き惚れ、結局飛ばすことなく最後まで聞き通してしまったほどだった。

全ての曲が一度聞けばどこで使われていた物かすぐにわかるほど印象的で、プレイ当時の思い出が一瞬にして蘇る。

流石だよ祖堅。帰ってきてくれて本当に良かった。これからもよろしく頼むぞ。サントラは買っといたから。アルティメットエディションの方。
あとゲーム内のオーケストリオン名とサントラの楽曲名が不一致なせいで結局わからないまま終わっちゃったんだけど、私が一番好きなHistoireはオーケストリオンで言うとどの名前の曲なの?そもそもあるの?

話を戻して、ロード画面で一瞬だけ表示されるアートワークの数々は感動を覚えるほどに美しく、世界を切り取った一つの景色の中に世界観がこれでもかと言うほど徹底的に描き込まれている。
もはや狂気的書き込みとすら言っても良い。

草木の一本一本まで独特の味わい深い色使いで描き出されたそれらの景色はそれぞれのマップに一枚ずつ用意されているため、ついついこの絵を見るために世界各地を飛び回った。本当に美しい物を見ると、人間って美しい以外言えなくなるもんだな。

更に世界のあちこちではその世界で生きているNPCたちの生活を垣間見ることができ、時には彼らの会話に聞き耳を立てることでこの世界に思いを馳せる一助をしてくれる。

近くを通るだけで聞こえてくる会話の数々。シナリオに追従して内容が常に変化していき、彼らの想いや世界情勢を伝え、時には重要な設定すらもあっけなく開示してくれたりする。

そのせいでこれまたついついNPCたちの話を聞きたくなって、ゲーム中何度も足を止めることになってしまうのが悩みどころだ。

他のRPGでは住人の話を聞く、と言うことはほとんどしないのだが、FF16では何だかんだで気になって、結局街の中を巡って多くのNPCの話を聞いていたように思う。

また、前述の世界をぶつ切りにするムービーたちも、雰囲気ゲーとして割り切って、たまに操作できる映画として片手間に見ていると見え方が変わってくる。

苦手なトマトを皿の横に避けることで、立派な立ち振る舞いを求められながらもまだ彼自身は幼い子供であることを表現するジョシュア。

クライヴの近況を聞いて、言葉の代わりに唇を噛み締めることで想いを表現するジル。

夫が亡くなったことを結婚指輪を撫でながら思い出すように語ることで、時間の流れを感じさせる夫人。

ベアラーやドミナントと言った専門用語やクリスタルによって回る世界を描写の中に織り交ぜることで、ストーリーを阻害せず意味を伝える見事なオープニングムービー。

指や視線、唇の動き一つ一つがキャラクターの感情や想い、時間の流れを表現していて、確かにこれらはムービーでなければ表現できないと圧倒的なまでの表現力で見る者を納得させる

彼ら一人一人の中にそれぞれの思い、それぞれの正義、それぞれの意思があり、善悪は別としてその生き様を見せつけてくれる。

こう言った豊かな描写が非常に多く、何もかもが情緒に溢れているのだ。

本作を純文学のような作品、と称したのもこれら豊かな描写と徹底的に作りこまれた世界観ゆえである。

だからこそRPGとして不出来な部分が非常にもったいない。特に後述のメインストーリー。
ここさえちゃんと抑えていれば、間違いなくFF16は令和の傑作としてFFシリーズ復活の象徴になり、これから先10年以上に渡って語り継がれる伝説の神ゲーになれたはずなのに。



・素晴らしき過去作オマージュ

詳細を語る前に初めに言わせてほしい。ありがとう吉田。あんた最高だよ本当に。作り手のFF大好きオーラを随所に感じた。俺もFF大好きだよ。

空を見上げた瞬間、屋根の上でカイン立ちする竜騎士がFF14お馴染みの槍回しを披露しながら宙を舞い、クライヴ目掛けて真っ直ぐ降下するカットシーン。

召喚獣たちお馴染みの大技の数々が美麗なグラフィックと共に披露され、空が震え大地が轟き、大自然が唸りを上げながらプレイヤーに襲いかかる最高の演出。

ここぞと言う瞬間に放り込まれる美しいプレリュードアレンジによって、筆舌し難いほどのFF感を盛り上げるBGM。

特に物語序盤のプレリュードアレンジと共に始まる歩兵たちのぶつかり合い、チョコボ騎兵隊の突撃、飛び交う投石、そしてついに現れる召喚獣たち。その戦いを背景に戦場を駆け抜けるクライヴ、戦いの形勢を表現するかのように入り混じるBGM。端的に言って最高。最&高。最高です。

正直、物語の構成としてはあまり褒められない始まり方なのだが、あのOPムービーを掴みとして用意するためにここから始めたいと言われればギリギリのギリまで迷ってギリで「そのために話が面白くなくなったら意味がないからやっぱりちゃんとした始まり方にしよう」と決断するくらいギリギリ最高。
何回見ても鳥肌が立つ。プレリュードがとにかく最高。このFF感たまんねぇ~~~~~!!

このようにあらゆる要素の数々が何もかも最高としか言えなかった

この感動を、この興奮を、この盛り上がりを最高という言葉でしか表現できない己の無力が何より歯がゆい。
これらを文字で表現するために私は文学を学んでいると言うのに、肝心な時に全く役に立たないのだ。不甲斐ない限り、痛恨の極みだ。

ただ・・・一つだけ言わせてもらうなら、初めてオーディンが登場して斬鉄剣を放つも空にからぶるシーンあるじゃん?
昔のあんたならここで雲を真っ二つに叩き切っていたはずだ吉田。何でそれができなかったんだ。俺悔しいよ。

でもその後のバハムートが滑空して草原を見下ろすシーンは最高だった。差し引きすると結果最高。でもやっぱ斬って欲しかったよ俺は。雲を。



◆メインストーリー感想(ネタバレあり)

・総評(総評のみネタバレ無し)

さて・・・遊びは終わりだ
ここからは今作一番の問題児でありこの作品の評価を『RPGとしては50点』にまで貶めてしまった最大の原因、メインストーリーの評価に入る。

まぁ・・・評価と言いつつほぼ酷評しかないのはお察しの通り。

50点の内訳だって、恐らく宣伝都合やシナリオ構成を欠片も知らねえような上意の意向と言う場外バトルせいで無理やりねじ込まざるを得なかったのだろう要素達を、何とか無理矢理にでも畳んだその気概に30点を。
そんなぐだぐだなシナリオの中でも胸が高鳴るような見事な演出を見せてくれた手腕に20点をそして仲間に立ち向かう勇気を見せたネビル・ロングボトムに10点を付けているだけでストーリーそのものは全くもって面白くない。

他のゲーム性を全てかなぐり捨ててメインストーリーを用意したにも関わらず、そこから紡がれる物語が欠陥だらけだからこそRPGとしては落第点なのだ。

正直、ここまでの問題点なんか可愛いものだ。メインストーリーさえ面白ければ全部チャラにできたレベルでしかないのだから。

まずはネタバレ無しの総評から。

とにかく構成の欠陥と描写不足が多発し、感情移入がかたっぱしから阻害され続けるロールプレイのロの字も無いメインストーリーだった。

吉田Pだか誰かが発売前に「ジェットコースターのようなストーリー」と言っていたらしいが、まさにその通り。

ただし、プレイヤーは感情移入もロールプレイも阻害されるためジェットコースターには乗れず、ジェットコースターに乗ったメインキャラクターたちがキャーキャー言ってるのを地上から遠目に眺めているだけ、そんな感じ。

ゲームとして面白かった部分とメインストーリーの悪かった部分がぶつかり合い、私の中でお互いがせめぎ合って、結果50点になった。まるで召喚獣バトルのように。うっせえわ。

泣ける演出や盛り上がる演出はあるのだが、それらは演出として素晴らしいだけでメインストーリーの欠陥を補う役割を担ってはくれない。

だから「うおーーーおもしれーーー!!!」となってる横で、置いてけぼりになってこちらを見ているメインストーリー君からは必死で目を背け続けることになる。

脈絡と描写がとにかく足りてない。びっくり箱みたいな設定開示ばかりされてセンスのないジョークかと疑った。

そうなってしまう原因は色々ある。ありすぎて正直どこから手を付ければいいかわからないほどに。
だが一番の原因はとっ散らかった話の軸とぼやけたテーマのせいで話が畳み切れず、それらを無理矢理畳むために用意されたラスボスにあるだろう。

そこで、まずはこのとっ散らかった軸とぼやけたテーマの話をすることでFF16のメインストーリーが欠陥だらけだと評価する理由を示し、その上でメインストーリーの各部(私はFF16のストーリーを全三部作だと考えている)が本来担うべきだった役割の話をしたい。

ここからネタバレを含んだ具体的な批評を行う。
ネタバレが嫌な人は◆まとめの項まで飛ばしてほしい。






・取っ散らかった話の軸とぼやけたテーマ。そしてそれを畳むために生み出された機械仕掛けの神様

さて、まず始めに取っ散らかった軸の話をする。

ストーリーには基本的に、各章の軸となる話が存在する。それらが最終的には『ストーリー全体のテーマ』ひいては、『この作品を通じて作者が言いたかったこと』の前振りになって、最後に現れるテーマに収束して行くわけだが、この軸がとにかく取っ散らかっている。

プロの作家ですら本編に組み込む軸の数は精々二本だ。三本は多すぎて持て余すし、それ以上ではそもそも扱いきれなくなる。

だというのに本作ではなんと(恐らく)四本もの軸を用意している。
そして案の定全部の軸がちゃんと使い切れず、そのまま全て共倒れした。あーあ。

この多すぎる軸を畳むことにどれだけライターが苦慮したのかは「全部アルテマって奴の仕業だったんだ!!」とか言うラスボス便利舞台装置化、通称デウスエクスマキナ現象が起きていることからも明白だ。
ほら、FF15のアーデンとかまさにそれだろ。

ではなぜそんなに多すぎる軸が必要になってしまったのか。私の考えるそれぞれの軸を一つずつ解説する。

一つ目の軸は人が人らしく生きられる世界を作ること、ひいては人間の救済や世界の救済。

恐らくこれがFF16一番の軸。ただし前述の通り他にも軸があるせいでたまに思い出したようにクライヴが「人が人らしく生きられる世界を!」と言ったりサブクエストでベアラー助けてるくらいで具体的に何をしているかと問われると言葉に困る。

一応マザークリスタルの破壊もここに関わってるが正直後付け感が強く、人らしく生きるためにマザークリスタルを破壊する、と言う部分がとにかく回りくどい。

そもそもベアラー絡みの話については、とにかく何もかもが描写不足と説明不足が重なり全く感情移入出来ないので、この目的自体クライヴが一人盛り上がってプレイヤーを置いてけぼりにしている。

その一番の原因は『なぜベアラーは差別されているのか』。この点に関する説明が一切ないことだ。

「いやいやベアラーが差別されてる理由は終盤のサブクエストでやってるから」
それをサブクエストに持っていってしまった時点でセンスがないという話をしている。

その話はメインストーリーに必要なピース、軸の一つのはずだ。それをなぜサブに持っていった?自分たちの話に必要な要素すら理解していないのか?だからグダグダになるんだ。

大体、真実の歴史はそうだとしてもその真実が伏せられている以上、なぜ今も差別が続いているかの論拠にはなっていない。実はここが一番の問題だ。
だから「ベアラーを助けたい」というクライヴの想いにいまいち共感ができない。

作中では頻繁に「ベアラーは差別されている」「ベアラーは道具のように扱われている」「ベアラーは人として見られていない」とベアラーが差別された『結果』ばかりを描写する。
だが、なぜそうなったのかの『原因』は頑なに描写されず、結局メインストーリーでは最後まで一切語られなかった。

本来こういう理由は一番最初の、ベアラーの話の掘り下げが始まった時に触れるべき内容だ。
なのにその説明が一切ないから「なんで?」と言う疑問がずっとノイズになって没入感を削ぎ続ける。

クリスタルを使わずに魔法を使える人のことをベアラーと呼ぶのはわかった。だがなぜそれが差別されているのかがわからない。

魔法が使えるから?便利だから?いや、普通に考えてむしろ逆だろ。クリスタルが無くても魔法が使えるならそれは圧倒的強者側のはずだ。権力者側だ。魔法が使えるから上、使えないから下。この方がよっぽどわかりやすい。

なろうみたいになるから敢えて逆張りしたのか?そのせいで面白くなくなってんだから世話ねえな。逆張りオタクかよ。

何ならベアラーが反乱起こせば一瞬で街一つ落とせるだろ。なのになぜ奴隷の身に甘んじているんだ?

体が石になるったってどの道死ぬんなら一か八かで下剋上狙う奴だっているだろ普通。ずっと奴隷として扱われてきたから意思が~ってその割にシドのアジトの奴らは何かしらのきっかけで自分から立ち上がったベアラーばっかだぞ。

きっかけさえあれば立ち上がれるなら世界中のベアラー煽動する方がよっぽど早いだろ。なんでマザークリスタルを壊すなんていうくっそ回りくどいことをする必要があるんだ?

これが子供向けゲームならそれでいい。子供のような幼い正義で「あの人を助けなきゃ!」となっただろう。

だがこれは大人向けFFを自称するRPGだ。だったら肯定できるかは別にしても、納得できるだけの理由を提示しなければならない。それが出来ていないからお話にならない。

結局この謎は終盤に起こるとあるイベントで、とあるNPCが言っていた「下手にベアラーを刺激するんじゃねえぞ。奴はクリスタル無しで魔法が使えるんだ!」みたいな発言を聞くまで続くことになる。
因みにこれもサブクエスト。しかもムービーですらない一般モブNPCのただのセリフ。

このセリフをたまたま聞いたお蔭で私はなぜベアラーが差別されているのか、がやっと腹落ちした。
きっとこの世界では「クリスタル無しで魔法を使えるから危険、だから国で管理する」みたいな理由付けでベアラーが管理されてるんだろうな、と。

そうなれば何も罪を犯していないのに勝手に罪人のような扱いをされているベアラーへの理不尽さに怒りも沸く。

ここでようやく私はベアラーに感情移入が出来たし、クライヴの「人が人らしく生きられる場所を作る」という目的にも共感が湧いてきた。
もうメインストーリー終わりかけてたけど。これをメインストーリーの、それも早い段階で描けていれば何も言うことはなかった。

同じ人種差別を扱ったゲームのお手本として、戦場のヴァルキュリアが挙げられる。

作中ではダルクス人と呼ばれる人種が徹底的に迫害されていて、強制労働は当たり前だし何なら仲間の中にもダルクス嫌いの人間が居る始末。それもメインキャラクターのダルクス人に対して別のメインキャラクターが公に差別発言するくらいには迫害されている。

そしてそこまでの扱いを受ける原因は過去の歴史にあるとして、早々に理由が開示される。

かつてダルクス人は大陸を支配していて、醜い争いを繰り広げた末にダルクスの災厄と呼ばれる被害までもたらしたと言い伝えられている。

そのダルクス人たちを討ったのがヴァルキュリア人であり、だからこそヴァルキュリア人は崇拝の対象に、ダルクス人は侮蔑の対象になっている。

そしてこの過去の罪でダルクス人が今迫害され、時に理不尽に命を落としている。
果たしてこれは正しい事なのか。
ここが物語の核として触れられているし、何ならFF16同様に物語終盤ではこの歴史に隠された真実も明らかになる。もちろんメインストーリーで。

それらの物語が軸となって、差別とは何か、人と人は分かり合えるのか、人が分かり合うにはどうすれば良いかと言う部分を克明に描き出しているのだ。

このように、例え歴史に隠された真実があったとしても、それとは別に納得できる理由を提示しなければノイズになって没入感を阻害する。だから説明が要る。これは行間がどうのじゃなく必須ページの話だ

そんな必須要素が何かも考えず、人種差別の話を安易に物語に組み込もうという姿勢が既に物語を舐めているとしか言えず、だからこの話は面白くない。だから結局何をしたいのかがぼやけているのだ。

せめてFF12の「歴史を人間の手に取り戻す」くらいわかりやすいとすんなり飲み込めた。あのセリフめちゃくちゃ好きなんだよね私。

さて、そんなわけで早速ぐだぐだな一本目の軸の代わりにキャッチコピーの役割を背負わされることになったのが二本目の軸であるマザークリスタルからの解放だ。

そりゃあ「人が人らしく生きる世界を作る物語」じゃユーザーは釣れねえもんな、と言うメタ的都合が透けて見えるくらいメインストーリーとの絡みは薄い。

世界を救うと言う漠然とした目的と、ベアラーを救うと言う回りくどい二つの目的を絡めるための舞台装置として、次の目的地にプレイヤーを誘導すると言う重すぎる役目を背負わされている。

そのせいかストーリーの重要な要素である黒の大地に世界が飲み込まれていく絶望も、大陸が黒く染まる衝撃も、作中では描写されることがほとんどない。

精々黒の大地から逃げてきた難民たちが困っているくらいで、何故侵食を止めないといけないのかと言う動機付けがあまりに弱すぎる。

そのせいで物語の目的がマザークリスタルの破壊になった途端、一気に物語が失速する始末。中盤から盛り下がると言われる一番の原因がコイツ

あまりに黒の大地の描写がふんわりしすぎていて、仕舞いには「なんか上手いことやればどうにかなんじゃね?」と言う気さえしてくる。

実際、黒の大地の上にあるアジトではあの手この手でクリスタルを使わずにインフラを作り出している。じゃあもう良いじゃんそれで。アルテマすら絶望させた黒って何なんだよ。

アルテマにとって魔法を使うことはそんなに重要だったのか?だったらその重要さを表現してくれよ。高度魔法文明を知っているから今更原始生活には戻れないんだろうな、って察することは出来ても頑なにそういうところをストーリー上で表現しないよな。

しかもそれあくまでアルテマの絶望の話だし。人間にゃ関係ねえし。クリスタルが使えなくなるくらいしか影響ねえし。アジトじゃ土持ってきて作物すらどうにかしてたぞ。そういうの全部腐らせるのが黒の大地じゃねえのかよ。

シビアな世界観や大人向けのFFを謳い文句にしている割に、こう言う絶望を描ききれてないところが実に手緩いと言わざるを得ない。

人々が絶望している、の一文で人間の絶望を表現した気になるな。描いて見せろ。救いようのない、どうしようもない、どん詰まりの世界の絶望って奴を。

最終的にはいよいよ持て余し、これも全部アルテマの企みだったことにされた。

最後までろくに物語に絡んでくることもなく、正直あってもなくても話の大筋は変わらないだろうことが容易に想像つく時点で相当処分に困ったらしい。

そりゃあ黒の大地から逃げてきたって割に黒の大地を生み出すマザークリスタル置くわ、別世界に渡るのにエーテル集める必要があったとか言うくせにそのマザークリスタル破壊されてももう問題ないとか言い出すわ、何ならその破壊すらも目的だったことにするためアルテマの仲間たちがマザークリスタルの中にいましたとか言い出すわ、色々後付けとしか思えない雑な設定を盛りまくれば話がとっ散らかるわけですな。

でも何とかしてメインストーリーに絡めようという意思は感じた。なので50点。

三つ目の軸は復讐譚。

しかしこれは早々に放棄された。多分やりたかったから入れたんだろう。吉田Pとか前廣とかそう言う話好きそうだし。

これも見せ方が下手。活かし方はもっとあったがとにかく活かしきれておらず、メインストーリーの役に立っていない。ただの宣伝文句だ。

復讐譚って言っとけば大人向けFFをアピールできそうだとでも思ったのだろう。実際、これを目的に買った人はあまりにあっさりと放棄される復讐譚に度肝を抜かれたに違いない。

はっはっは!なんつってもこの話は『ジェットコースター』だからな。
笑えないっつうの。

マザークリスタル同様に復讐のくだりがあってもなくても同じような話になるだろうことが容易に想像つく辺り、舞台装置としても機能していない。

物語の導線としては非常に優秀なので、こいつをうまく料理してやれば退屈な第一部はもっと面白く、ダレる第二部からももっとテンポ良く、そしてもっと世界への感情移入も行えたはずなのに結局それも出来ていない。だから結局50点止まり。

物語の始まりである復讐編で描くべき要素が一切描かれていないため、物語終盤の「世界を救う」と言う最終目標にやらされ感が出ているのも酷い話だ。
この辺りの詳細は次項で記述する。

そして四つ目の軸が大陸戦記。

これも多分やりたかっただけ。だから複数の国々の戦いを描く戦記物を謳いながら、その国々の戦いとやらは常に1vs1。ウォールードとダルメキアが同盟をしている、と言う割にこの両国が連動してザンブレクと戦う描写も無い。

鉄王国も海上から旧ロザリアを狙う圧力として置かれているだけでザンブレクと鉄王国がしのぎを削る描写も無い。何にもない。

そのため混沌とする戦場が描かれることもなければ、クライヴ達が後ろから侵入してマザークリスタルを破壊したらその国は混乱している、と言われて出番終わり。本当に何にもない。

そんなありさまだからウォールードに至っては風の大陸進出の絶好の好機に、なぜか静観するとか言う間抜けな構図ができ上がってしまう始末だ。
謀略のため?はは、そりゃ結構なお手前で。

どうせ揺れ動く勢力図を見せたいだけだったんだろうな、と言う浅はかな考えが透けて見えるほど雑に扱われているため、戦乱の時代の割に戦争感が全くない。クライヴの居る場所とは別のどこか遠くで戦いが起きている、そんな描写が行われるばかり。

これも便利な舞台装置ことデウスエクスマキナのアルテマがミュトスと言う器を完成させるために裏で糸を引いていたことになった。
たださすがに苦しすぎてやってることが遠回りだな・・・という印象が拭えない。
その結果アルテマがやけに間抜けに見える。かわいそうに。

これら四つの軸を時折思い出したようにクライヴが反復横跳びして、あっち行ったりこっち行ったりしながら話が進むのがFF16のメインストーリーだ。

ベアラー解放も、マザークリスタルからの解放も、国々の衝突も、何もかもが半端なまま次の課題が提示されていく。そのせいで目的がどんどんとっ散らかって、ふわふわしたまま最終課題の「世界救済」に挑むことになる。

話がそうやってあっちこっち行くもんだからどれもこれも中途半端の消化不良、だからいまいち乗り気になれない。

あれだけ宣伝で擦ったマザークリスタルからの解放も「もしやこれもアルテマの・・・!?」とか言い出したあたりで察したよ。やっぱ何も考えてなかったんだなって。

そう言う作り手都合の浅はかな考えが随所に透けて見える作品なのだ。
やりたかっただけなんだろうな、メタ都合でやらなきゃいけなかったんだろうな、でも物語としてはそもそも要らないよな。そういう雑味があちこちに溢れている。

こんなにグダグダになったのは、偏にシナリオの作り方を理解していないからとしか思えない。FF16は恐らく、先にある程度のやりたいことや設定を作ってから話を書き始めたのではなかろうか。

先にざっくりとした設定だけを作って後から物語を考えるやり方が通用するのは、MMOや連載作品だけだ。最初から最後まで作ってから売るコンシューマーのやり方ではない。

世界は舞台だ。舞台に置くのはメインストーリーと言う一つの演目の中に必要なものだけ。置いたからにはちゃんと使い切る。それが出来て初めて一つの話になる。

ロミオとジュリエットの演目見てる時にデカデカとドラゴンの置物があったらそれだけで気が削がれる。しかも最後までろくに使われない。あれなんだったの!?って言いたくなる。そう言うことをしているんだ君たちは。

使い切れないなら舞台装置を舞台から降ろせ。だからあらゆる設定が中途半端に持て余したまま話が終わって、ベアラー解放もマザークリスタルの破壊も片手間ついでにサブクエストでまとめて終わりになるんだ。だったら始めからメインストーリーに絡めるな。

邪魔な舞台装置をごちゃごちゃと舞台に並べても世界に深みは生まれない。ただただ目障りで邪魔なだけだ。使わないならさっさと片づけてもらって良いか?気が削がれるから。

さて、ではこの取っ散らかった軸を一体どうすれば良かったのか。答えは簡単だ。『明確なテーマを示すこと』である。

テーマとは物語の根幹を担う柱のこと、ひいては『この作品で何が言いたいのか』と言う作り手の想いを指す。

テーマと聞くと重々しく感じるが、何も高尚なものである必要はない。主人公が暴れまわる爽快な話を書きたいだとか、ゆっくりスローライフを送る話を書きたいだとか、そういうレベルで問題ない。

そういうテーマがしっかりと一本あれば、ネタ切れで始まる唐突な学園編や唐突に現れる強力な魔族たち、みたいなテーマからズレた謎展開が始まって読者を困惑させることも無くなるし、もしそういう超展開に入ったとしても作品固有の面白さはブレずにいられる。

確固たるテーマはスクラップ&ビルドを何度も行い、迷走し続けるストーリーをしっかりと導く光になる。だから話が完成したとき、まるで最初からこういう話になることが決まっていたかのような美しさを見る者に与えるのだ。

今回のメインストーリーがいまいちパッとせず、ハッピーエンドなのかバッドエンドなのかもよくわからないもやもやとした最後になるのも、FF16におけるテーマが『どこに行きたいのか不明瞭なぼやけたテーマ』となっていることが原因だ。

では、FF16のテーマとは何か。これはもちろん、『人が人らしく生きられる世界を作ること』に決まっている。一本目の軸と同じ。じゃあ人が人らしく生きられる世界って何?ここが問題。

作中ではしきりに「マザークリスタルを破壊することが人が人らしく生きられる世界を作ることに繋がる」と言われるがこれが全く伝わってこない。

どこにゴールを置きたいのか、が物語の道中からはさっぱり見えてこないのだ。

マザークリスタルを全て破壊して、魔法が使えなくなった世界でならベアラーの地位が向上する?ンなわけあるか。

ただでさえクリスタルの供給が減っている世界の中にあってもベアラーたちは雑に使い捨てられているというのに、マザークリスタルが無くなった程度で丁重に扱われる訳がない。

今までより高価になる程度で、結局便利なインフラ代わりに使い潰されるのが容易に想像付く。

クライヴが言いたかったのは恐らく、
・マザークリスタルを破壊する
→魔法が使えなくなる
→魔法を使わなくても良いように人々が新たなインフラを生み出す
→結果ベアラーの魔法が必要なくなって、両者が平等になる
ってことなんだろうが、これももう・・・もうって感じだ。

まずこれがまかり通ってしまうと、いよいよ黒の大地の絶望とやらが全くもって理解出来なくなる。
クリスタルで生活できなくなるのがやばいっつってんのに、それ以外のインフラをぽんぽん生み出せるなら戦争するよりそっちに注力した方が早いだろ。

あ、そのツッコミが入らないように戦争の裏で糸を引いてたのがアルテマだったってことにしたんですねなるほど!!馬鹿馬鹿しい。

各国が黒の大地の真相を隠しているにしても、サブクエでやったみたいに一つ一つの村ごとに技術を伝播させて、クリスタルに依存しない生活を少しずつでも提供していきゃいいだろ。

その方がよっぽど『人が人らしく生きられる世界を作る』ことに貢献できる。

その上で「でもクリスタルもあるしベアラーも居るから」って頑なにクリスタルを使うことをやめない人々が居たりとか。

クリスタルを供給することで支配力を示していた国がクリスタル不要の村々に対して強い懸念を示したりとか。

はたまたその方法を広める『シド』なる人物が邪教扱いなんてされたりとかして初めて「じゃあマザークリスタルを破壊するしかない」になるんだろうが。

そうすりゃ『シド』なる人物がクリスタルを使わない方法を人々に言い伝えた直後、その地域のマザークリスタルが破壊されたってことが続くんだから『大罪人シド』にも箔がつくだろ。

この辺の動機付けがとにかくぐだぐだ。言葉を選ばずにいうなら下手くそ。終わってる。センスがない。こういうところが物語の牽引力を大きく削ぎ落とす原因になっている。

そして、もし仮にそういう設定だったとしてもまだ矛盾は拭えない。

その場合、いよいよベアラーが危険視されることは容易に想像できるからだ。

魔法が使えなくなった世界で唯一魔法を使えるベアラー。危険視されない訳がない。

そしてもうこの世界に魔法は必要ないともなれば、どうなるかはお察しの通り。

彼らは自分の意思では戦えないことを作中で散々描写しているため、ここからの未来はほぼ確実にベアラーの処分が始まるだろう。

誰だってベアラーに対して手酷いことをしてる自覚はあるんだから、やり返されるのが一番怖いに決まってる。

そうやって処分されて行くベアラーたちが唐突に反旗を翻すのか?どうして?今までは体が石になっても魔物の餌にされても黙ってやられるばかりだったのに?

クリスタルが無ければ戦えるって?今までだってクリスタルがなければいいだけなんだから、戦える場面はいくらでもあったろうに。なんで今更。

それともマザークリスタルを破壊すると人もベアラーも魔法が使えなくなるのか?それまたどうして?その両者に関連ありましたっけ?あったとしてその描写、作中で示されてましたっけ?

結局、マザークリスタルを破壊することが『人が人らしく生きられる世界を作ること』に全く紐づいてない。

だから話がぶれるし、マザークリスタルを破壊するための道中にやらされ感が出るのだ。
だから嬉々としてマザークリスタルを壊し続けるクライヴに感情移入できない。だからプレイヤーは物語に置いていかれる。

人らしく生きられる世界を作る。だからまずは世界を守る。だからマザークリスタルを破壊する。
そう言う理屈だとしてもあまりに目的が迂遠すぎる。

もしそうなら『人が人らしく生きられる世界を作ること』はどこに行った。命の危険を冒してまでマザークリスタルを破壊しようとする割に、そっちの課題はおざなりだよな。

戦記要素なんて全く関係ない。だからアルテマの企みってことにしないと回収できなくなる。復讐譚なんてもってのほかだ。

だからどれもこれもどこに着地させればいいのかわからないまま走り出して、結局どうにもならなくなって全部アルテマの仕業にするしかなくなる。

だから見てる側からすると「それがありならなんでもありやん」となって冷めるのだ。

まずは着地点をはっきりさせる。そうすれば作中で必要だった話、不要だった話の整理がつく。後は必要な話をちゃんと見せれば物語として一本の筋が通る。これがいわゆる添削だ。この添削が全く出来ていないこともストーリーが論外レベルの出来になる原因だ。

では、ここからは本来あるべき着地点とは何だったのかを考えてみよう。

スタッフロールの後、魔法の存在がおとぎ話となった世界で、かつてのクライヴやジョシュア、トルガルを彷彿とさせる子供たちが『ファイナルファンタジー』ごっこを始める。
そこに普通の人やベアラーの差は無く、理を灰にしたクライヴによって新たな世界、『人が人らしく生きられる世界』が生み出されていた。

私はこのエンディングがめちゃくちゃ好きなのだが、その一番の理由が『ようやく物語の目的が示された』からでもある。

あの『魔法のない世界』を全ての決着とするのであれば、クライヴが作中でやらなければならないこともはっきりしてくるのだ。

即ち『理の改変』もしくは『世界の創造』、つまり『神に至ること』である。

クライヴの最終目的が神に至ること、とするとアルテマとの対立構造も見えてくる。
人を愛さなかった神アルテマと、人を愛した神クライヴ。二柱の神の最終決戦だ。

クライヴがロゴスになった、と言うセリフからもわかる通り、恐らく書き手としてはこの話を書きたかったのだと思われる。
神の断片たる召喚獣を喰らい続けた結果、神に等しい肉体を持ち、クライヴは人の身で在りながら神に至るロゴスになったのだ。

そしてそのことにクライヴ自身が気付いた時、アルテマ同様にこのどん詰まりのどうしようもない、救いようのない世界を再構成することを思いつき、『人が人として生きられる世界』を自らの手で作り上げることを決意するのだ。

だが、その話を書く場合、作中のアルテマ戦の描写の数々はとにかく最悪最低としか言いようのないものばかりになる。
私が最後に「くだらねえーーーー!!」と叫んだ理由もこれ。

例えばアルテマが人を諦めた理由が『用済みだから』とか『自分以外信じてないから』とかまるで人間みたいなこと言い出した時に酷くがっかりした。
あまりにしょうもなさすぎて。あまりにテーマと関係なさ過ぎて。

クライヴを神としたいのであれば、その敵もまた偉大な神でなければならず、人を愛したクライヴの対にするのであれば人を愛さないどこまでも合理的な神であらねばならない。

人を見捨てた神にするのであれば人が意思を持ったことが罪なのだ、とかクッソくだらない理由付けする前に人の可能性を見限った話をさせるべきだったし、期待していないのであれば自分以外信じてない、なんていうくっだらねえ人間みたいな理由を付けるべきじゃない。

だというのにアルテマは「人間は用済みだから廃棄する」だ。おかげでクライヴたちが案の定反抗して結果的に負けることになる。なんつうか本当、くっだらねえ。

数多の召喚獣を喰らったことでクライヴの力が高まっていることは理解していて、仲間たちとのつながりや強固な意思のせいで身体を乗っ取れないということもわかっている。

そんな状況で「人間は廃棄する」だ。そりゃクライヴだって対抗してくるに決まっている。
そして案の定負けた。アルテマが傲慢過ぎたから?人間かよ。もうバカじゃないのと言う感想しか出ない。だからくだらない。

どうせアルテマとクライヴが戦う動機が薄いことをなんとなく察していて、両者が和解できないことを示すために安易に放り込んだ設定なんだろうなと言う気がしてくるが、その選択のせいで何もかもがとことん茶番になった。

だったらまだ、人を真に救うためにアカシアにして自分が導く、そのためにも受肉が必要だ。だからお前も意思を捨てろクライヴ、とか言ってくれた方が神感があって良かった。

意思があるから人は争う。ならば意思を失えば争いは無くなり、平和で平等な世界になる。お前たち人間にとっても幸せだろう、といかにも人間をシステムの一つとしてしか見ていない神特有の傲慢さと全能感が出てくる。

意思を持ったことが罪であるというのなら、その意思を奪うことを贖いとすべきだろうに。

しかも人が意思を持った理由もアルテマが休眠に入ったから。舐めてるのか。何でもかんでも全部お前が原因じゃねえか。くっだらねえ。

このくだらなすぎる理由を提示してしまった時点でアルテマの神秘性は消え失せ、ただの人に成り下がってしまった。

だからそこから先の戦いも非常にくだらなく、信念ではなく惰性での戦いに成り下がる。勝たなきゃアルテマに消されるから勝つ以外の選択肢がないというだけ。

勝って何かを為したいわけじゃなく、負けたらまずいから戦う。だから心底くだらない。本当に面白くない。

クライヴ君も「知ったことか・・・何者であっても倒すだけだ」とか言っちゃう。そりゃそうだ。戦う理由が適当すぎるからそうやって補足入れないとやらされ感でちゃうもん。

アルテマ戦前にクライヴが、自分の力が神に至ることに気付いて「この世界の理を自分が改変する」とでも宣言しておけば。
或いはジョシュアがそのことに気付いて、自分の力を分け与える時にクライヴに伝えておけば。

その決意にアルテマが反発して最後の戦い、人が神に挑戦する決戦に至り、神を越える構図に説得力を持たせられたのに、それすらない。

そのくせ全て終わった時に唐突にクライヴが「この力は俺一人には大きすぎるからアルテマの作った理を灰にする」とか言い出しちゃう。

大したジェットコースターだよ本当に。乱高下激しすぎて完全に置いて行かれた。安全バー降ろしてたつもりだったんだけどな。何なのこの話。

挙句クライヴですら「貴様と俺たちは何も違わない」とか言い出す始末。神と神の戦いを描きたいくせにクライヴもアルテマも人扱いしちゃったよ。何なんだ本当に。

アルテマを人扱いしてクライヴと争わせるなら、それは神vs人ではなく同じ生命による世界の奪い合い、つまり『生存競争』になってしまう。全く別の話になってテーマがぶれるのだ。

グレンラガンや漆黒のヴィランズのように、世界や同胞を救うために人の可能性を否定し、意思を捨てて己の身すらもなげうち、神に等しい存在となったラスボスと、人の可能性を最後まで信じぬき、彼らの守ってきた世界を受け継ぐことを決意する主人公。そういう構図の話になってしまう。

この場合、当初の『クライヴが神に至る話』はもう描けない。やっちゃいけない。何故なら生存競争の果てで世界改変をしてしまうと、本当に全てが茶番になるからだ。

踏み越えた敗者の想いを受け継ぎ、人の可能性を示し、無限の明日に進み続ける。そういう話を書く必要があるのに『だから全部なかったことにします』と言う最悪最低の夢落ちエンドになってしまう。

実際そうなった。だからくだらないんだ。

それにこういう両者の生存競争の構図にしてしまうと、今度はアルテマたち神に対する正当性や感情移入の提示、その上で「それでも人は」と言いたくなるような可能性の提示が必要になってくる。

何故なら生存競争である以上そこには必ず勝者と敗者が生まれるからだ。勝者が敗者を踏み越えて先に進む。その敗者に対して正当性を持たせることで『他者を蹴落としてでも前に進む』と言う決意に繋がる。

或いはここでお互い手を取り合って、新たな道を模索するのも良い。ただし、敵を倒して終わり、だけはダメだ。それではラスボスがただの障害物になる。何の達成感も何の情緒もない。

FF16にそういうアルテマへの感情移入が出来る描写あったか?まぁ、ないよね。だってそういう話のつもりで書いてないもんね。

何かいい雰囲気になってそれっぽくなるからそういう感じの演出を入れただけだもんね。わかるよ。だから話がとっ散らかってんだけどね。

ほんっとうにくっだらねえ。自分たちの話に何が必要な要素なのか本当に理解してないんだな君らって。

それにほら、戦いの途中で仲間たちが力を貸す演出とか。クライヴが「つながる心が俺の力だ!」みたいなこと言い出した時あるじゃん。あれもどうせそれっぽいから入れただけでしょ。

だって、本当にその演出に意味を持たせるなら敵は孤独でなければならないんだもの。

孤独で完全な神と不完全故に仲間と手を取り合う人間。その構図が生まれるからこそ『仲間たちと共に歩む無限の可能性、人間たちの可能性』を示して全知全能なる神をも凌駕する説得力を持たせられるんだもん。

実際クライヴも「アルテマは自分以外の誰かと共に生きる道を選べなかった」、「自分は想いを託された」ことがお互いの違いだと戦闘中に語っている。

なのにアルテマは実は複数居ました、って何のギャグ?しかもクライヴ同様に人々の思念が渦巻き強固な自我を持っている存在だって説明してましたよね?

じゃあなんでクライヴ勝てたの?向こうもクライヴと同条件で仲間たちとの絆がありますけど。

一にして全だから実質一人ってこと?だったらノイズになるだけの他のアルテマの設定要らねえだろ。

召喚獣なんかアルテマの脱ぎ捨てた肉体の断片だったってことにして、そのコアに当たる部分がイフリートってことにすりゃ良かっただろうに。

ああそうか、マザークリスタルの設定を回収するためにアルテマがたくさん必要だったんだね、ははは。くっだらねえ。先に舞台装置置くからそうなるんだよ。

こうやって為すべき描写は為されず、テーマがぶれるような描写ばかりが増えていく。やりたいことをなんかそれっぽく適当に詰め込んで、テーマがどんどんブレていく。

自分たちの話に必要な描写とやってはいけない描写の違いもわかってないから、見てるこっちは何がしたいのかわからなくなって「作り手がやりたかっただけ」なんて揶揄される。

やりたいことをやるなと言ってるんじゃない。やりたいことをメインストーリーとガチガチに絡めて、誰の目にも「この話は必要だった」と納得させろと言ってるんだ。

それが出来てないからノイズになって「この話いらなくね?」って言われるんだよ。書きたかった話が要らないって言われて悔しくないのかよ君ら。

あとこれ結局謎のままだったけどフェニックスってなんだったの。アルテマの本体が二つに分たれたってこと?なんでフェニックスの方は受け継がれてイフリートの方は受け継がれなかったの?

二人で神に至る演出挟みたかったのはわかるけど、トルガルの魔狼設定考える時間があったらこういうメインストーリーに関わるところもうちょっとなんとかしようよ。アルティマニアにでも書いてんのかな。興味ないけど。

このように話の大詰めであるアルテマとクライヴの対立構造一つにしても無数の欠陥があるため、本作のテーマもどこに着地させるのか書き手が全く理解していないとしか思えず、故にプレイヤーにも全く伝わらない。

結局必要な描写はおざなりに、どうでも良い描写ばかりが手厚くカバーされている。

だから本編の話もブレブレで、感情移入が出来ずにプレイヤーは置き去りをくらうか、雰囲気だけを楽しむことしか出来なくなるのだ。

では次項から、各部の抱えた問題点と本来やるべきだった描写の話に入っていく。
ここまでも長かったがここからもだいぶ長いぞ。




・ロールプレイをとにかく阻害し、プレイヤーを傍観者にし続ける第一部

前述の通り、私はFF16のストーリーを全三部仕立ての作品だと考えている。

第一部は冒頭からラムウが手に入るまでの、クライヴが火のドミナントを探して旅をして、その先でマザークリスタルの破壊に至る話だ。

私にとっては意外だったのだが、いくつか感想を覗いてみたところこの第一部は比較的好評らしい。
むしろ第二部以降からの盛り下がりが顕著で面白くない、と言われていた。

私の感想としては全くの真逆で、この第一部こそがFF16における一番の欠陥でありメインストーリーがぐだっている一番の原因に思え、結果的に一番面白くない話だった。

まず、クライヴが火のドミナントを追う理由は復讐のためなのだが、まずこの目的の開示がとにかく遅い。

冒頭のOPから始まり、回想を経て現在の時間軸に戻り、それからシドに連れ出されてアジトに赴き、そこからややあってようやくクライヴの現在の目的が復讐であることが開示される。

そのせいで見ている者はそこまでずっとクライヴの目的を察することしかできず、傍観者で居続けることになる。これがまず面白くない。

あの回想を見ただけではクライヴの目的が『弟の復讐』なのか『イフリートの力を制御出来るようになること』なのか『祖国の奪還』なのかはたまた『寝返った母への復讐』になるのかがさっぱりわからない。

結果、この話がどう言うストーリーで何が目的なのか、どういうジャンルの物語でどういう楽しみ方をすればいいのかがクライヴの復讐宣言まで全く見えてこない。

全く見えてこないから期待もできない。期待もできないからワクワクしない。ワクワクしないからストーリーの牽引力も低く、進める気力が湧いてこない。

ひたすら長いムービーを見せられ続けるばかりで正直うんざりした。

こう言うと「そんなの個人の好みだろ、俺は楽しめた」とか言い出す人が居そうなのでもっと理屈っぽい話をしよう。

現代構成論の基礎中の基礎、皆さんご存じシド・フィールドが提唱する『三幕構成』からだ。

これは現在のハリウッド映画なんかでも当たり前に採用されている構成の考え方なのだが、この三幕構成のうちの第一幕、セットアップの項による。

この項では主人公の目的や動機を明確にすることが求められる。映画であれば冒頭10分で描写しろと言っている。

そうしなければこのストーリーがどこに帰結するかわからず、観衆の期待感を煽れないからだ。

面白さとは即ち期待感である。こうなったらいい、こうなってほしいと見ている者が願った時、そこに期待が生まれる。

しかしその期待を叶えるための障害が立ちはだかり、なかなかうまくいかない。だからプレイヤーの期待は抑圧され、何としても達成してほしいという強い願望になる。

その強い願望は主人公に感情移入させ、主人公がようやくその目的を達成したとき、抑圧は解放されて読者は自分のことのように喜ぶのだ。

なろう系で最初にパーティから追放されたり婚約者に理不尽に婚約破棄されたりするあれがまさにそう。

だからこそ主人公の目的は最初に開示されなければならない。なろう系で開示しなくても許されているのは、それがなろう系だからだ。

パーティ追放もの、と言うだけで「ああ、理不尽にパーティを追放されたけど実は主人公がパーティにとっての重要人物で追放したパーティは崩壊するんだろうな」と言うところまで察しが付き、いわゆるざまぁへの期待が高まる。

婚約破棄というだけで「婚約者に何らかの理由で婚約破棄されて不遇な目に合うけど結果的に幸せになる話なんだろうな」というところまで察しが付き、こちらもいわゆるざまぁ、もしくは成り上がりへの期待が高まる。

それが実質的な主人公の目的開示と、読者の期待感を煽ることに繋がっているのだ。
にも拘らずFF16ではその主人公の目的がいつまでも開示されないのだから、これがどれだけ致命的かおわかりだろう。

結局、クライヴの目的が語られたのはいつか?
戦場を駆け抜けて回想挟んでジルと再会してシドと出会ってアジトに行って、シドに一緒に来ないかと誘われてようやく「弟の仇を討つまでは何も考えられない」
ここまで2時間。映画なら一本終わってる。まだ冒頭やってんのか。次の映画始まるぞ。

こう言うことを言うと、たまに映画と〇〇は違うから~と言う人が居るが、物語を描くという軸では同じ理屈だし、そもそも媒体が違うだけで脚本の違いが生まれる訳がないだろう。ゲームの脚本はゲーム用の脚本術が無ければ書けないと本気で思っているのだろうか。

媒体の違いを咀嚼し、使えるところ引っ張ってくるのが応用力だろうに。言われたことしか出来ないのか?
どうすれば良いのか、そのまま例題を丸々提示されないと技術や理屈の活用もできないのか?

余談だが、昔の小説やゲームなんかがこの法則に則っていないのは昔はそれで許された時代だったからだ。
今はそういった脚本術が洗練され、どんな木端の話でも最低限の面白さを持ってしまった。洗練されてしまった。だから面白くない描写が入るとすぐにユーザーは離脱する。

よく最近の人間は文章を読めなくなったなんて言われるがそれは正確ではない。正確には「演出や脚本術、文章力が洗練されすぎてユーザーの求めるレベルが途方もないほどに高くなった」のだ。だから舐めた作り方をするとすぐにそっぽを向かれてしまう。だから娯楽は一切の手抜きを許されない時代になってきている。苦しい限りだが。

話を戻すがこの冒頭の問題提起について散々文句を言ったものの、恐らくライターは理解はしていたのだと思う。

あのタイミングで回想を挟んだ理由も、その目的開示の意味があったのだろう。この回想から行間を読んで、目的を理解してねってことだ。

ただ、祖国奪還と弟の復讐の二枚看板になったのが良くなかった。この二つでは全く別の作品になってしまう。

宣伝時に復讐譚であることを示しているためそれで良いと思ったのかもしれないが、誰も彼もが宣伝文句を調べているわけではないため英断とはいいがたい。FFのようなブランド力が強く、名前で買うユーザーもいる作品ならなおさらだ。

とは言えこんな問題は些細なもので、私が一番面白くないとした論拠はここにはない。あくまでこれも問題点の一つに過ぎない。

第一部における一番の問題点は、最悪最低のネタバレをかましてくる回想シーンにあるからだ。

これは本気で疑問なのだが、あの回想ムービーを見てイフリートの正体がクライヴであることがわからなかった人は居るのか?

私には作り手側が「イフリートの正体はクライヴです。覚えておいてくださいね」って言っているようにしかみえないほどに露骨なネタバレだったのだが。

私がクライヴの目的を掴み切れなかったのもこれが原因だ。だってお前じゃん、イフリート。

だからてっきりイフリートの力を制御したいとか、なぜこの力を持ってしまったのかを知りたいとか、そういう話が始まるのかと思ったらクライヴの口から語られるのは「もう一体の火の召喚獣、それを駆るドミナントを探している」とか言う言葉。

これはもう本当にぽかんとした。本気でその話で行くつもりか?もう自分でネタバラシしたぞ?って。
ここから先、俺はどんな感情でこの物語を見守ればいいんだ?

そしてそこからの話は案の定、感情移入もロールプレイもあったもんじゃない。まるでクラウドの過去をネタバレされた状態でプレイするFF7のようだった。全く面白くない。

道中で村人に火のドミナントのことを聞いて回ってるシーンなんか真顔だよ真顔。だってプレイヤーは知ってるんだもん。その正体がクライヴだって。公式にネタバレかまされたから。

クライヴの心境を察して一緒に怒れば良いのか?だったら最初からそのネタバレしない方が良かっただろ。何であそこでネタバレかましたんだ。本気で理解できない。

しかもこの第一部、まだ最悪なポイントがある。プレイヤーにだけ先行開示されるジョシュア生存のネタバレだ。

あれも本気でポカンとした。え、バラすの?って。
そりゃ生きてんだろうなとは思ってたけどさ。プレイヤーが予想するのと公式でバラすのじゃ意味が違うじゃん。
クライヴが立ち直ってないのにもうばらすの?って。

しかもしかも、その後始まるクライヴの決意編。精神世界でのイフリートとの対峙。第一部の総仕上げ。

「ジョシュアは死んだ・・・俺が殺した・・・」

もうね、ギャグかと。生きてるやんて。君らが自分でネタバラシしましたやんて。どんな感情でこのクライヴの戦い見届ければいいの?
あの回想とか描写は本当にあのタイミングで必要でした?

クライヴが一人で憎んで一人で悩んで一人で決意して一人で立ち直ってぜーーーーーんぶネタバレかまされてるこっちは全く感情移入できないんですけど。

仮にもRPGを名乗るのなら、クライヴと一緒に火のドミナントを探し求め、一喜一憂させてくれ。クライヴと一緒に苦悩し、真実に衝撃を受け、そこから決意して立ち上がるというロールをプレイさせてくれ。そのためにRPGをやってるんだ。

ジョシュア生存を匂わすならそういう一連の復讐譚に決着が着いてからにしてくれ。

イフリートの正体を知り、挫折を乗り越え立ち上がるクライヴ。イフリートは俺だ。自分を受け入れ、決意を新たに一歩踏み出したところで場面は変わり、火のドミナントがフードを外す。

ここでジョシュアが生きていることがわかれば「え、生きてんの!?なんで!?」となって次に繋がる強い牽引力になる。これが物語における引きだ。

ビックリドッキリメカをあっちこっちに配置してただ驚かせるだけじゃ面白い話にはならないんだよ。
スターウォーズEP8を見てみろ。ビックリドッキリメカのおもちゃ箱だから。見たら面白かったかどうか教えてくれ。多分その感想とこの第一部に対する私の感想が同じになると思うから。

そしてそう言う臨場感削がれる描写は山ほど差し込まれるにも関わらず、クライヴに感情移入するための描写はとことん足りていない。

まず、クライヴのベアラー時代が殆ど描かれていないことが致命的だ。

火のドミナントへの復讐だけを糧に生きてきた、なんて言う割にクライヴの口から過去が軽く語られるだけで、その当時の描写が一切ない。

だから感情移入もできなければ共感もできない。ベアラーになるとはどういうことなのかもプレイヤーに伝わらず、後のベアラー解放運動にもいまいち共感できない。

地を這い、泥を啜り、仲間のベアラーたちが雑に命を落としていく中、それでも復讐だけを理由に生に縋るクライヴの姿を描写して初めて、クライヴにとって火のドミナントを追うことが生きることに直結している描写になるんじゃないのか。なぜ省略してしまったんだ。

こういうことを言うとどこかから『行間を読め』とうるさい行間星人が湧いて来るため、皆さんご存じ脚本術の教科書、ブレイク・スナイダー著『SAVE THE CATの法則』よりこの言葉を引用して盾とする。

出来の悪い脚本にありがちなのは、<セリフでプロットを語ってしまうこと>”"<語るな、見せろ>"なのである。
プロットとは物語の設定集のようなものだ。つまり、設定をセリフで語るなと言っている。まさにベアラー時代を語るクライヴに対しての忠告だ。

このベアラー時代の話が物語にとってさほど重要でない要素なら、確かにこの語りだけでも十分だった。だが違う。第一部のテーマは『復讐』だ。ならば復讐の動機、そこに至るまでの主人公の意思の強さ、復讐を達成するための困難、そして何よりその復讐を完遂するまでのストーリーを描かなければならない。

前述の通り、クライヴはこの復讐だけを支えに生きてきたと語っている。だからこそ復讐の相手であるはずの火のドミナントが自分であったことに、とてつもない絶望を覚えたはずだ。生きる意味を見失ってしまうほどに。

なのにその苦しいベアラー時代が描かれないため全く共感出来ない。感情移入が出来ない。だからロールプレイも出来ない。そしてトドメに公式ネタバレ。何これ。どういう感情でこの話見てればいいの。

しかもこのベアラー時代のクライヴさえちゃんと描いていれば
①ベアラーたちの過酷な現実をいきなり見せつけることでプレイヤーに衝撃を与え、後々クライヴの目的となる『ベアラーの解放』に説得力を持たせられる。

②その過酷な扱いの中で復讐の炎を瞳に宿らせ「なんとしても生き延びなければならない、あの男に復讐するまでは」とかクライヴに宣言させればクライヴの目的が2時間後に判明するとかいう間抜けな展開にもならない。

③その上でプレイヤーにも「クライヴの過去に一体何があったんだ?」と興味を持たせる引きを作れて、そこからの回想に入ればダレることなく回想編を挟むことができる。

④そして火のドミナント登場シーンはクライヴを「信用できない語り手」として嘘の回想を挟み、まるで目の前で火のドミナントがイフリートに顕現、フェニックスを襲ったように見せればクライヴに感情移入完了、と良いことずくめだったのだ。
(心の弱さが生み出した妄想だとでも闇クライヴに言わせておけば良い。こう言うのはご都合主義とは言わない)

こういう作りにするだけでクソ退屈だった第一部に一気に彩が出る。なぜわざわざ下手にひねって面倒くさい構成にしたんだ。だから訳わからない話になるんだ。

それからゲームとしての問題点もある。物語の最初こそプレイヤーにはゲームをさせろ。そのために起動しているんだから。
なのに早速始まる歩いてムービー見て歩いてムービー見て歩いてムービー見て歩いてムービー見て・・・私は一体何をさせられてるんだ。

いきなり戦場のど真ん中に居るクライヴ描いて戦闘させながら走らせればよかっただろ。

敵の投石器で蹂躙される地獄のような戦場のど真ん中に、ベアラーと魔物の混成部隊が雑に投入され、その中の一人としてクライヴがいる。
魔物は敵味方区別なく襲い掛かり、味方のベアラー達が次々無駄に死んでいく。

そんな中でクライヴが召喚獣かなんかの攻撃で吹っ飛んで意識が飛びかけ、それでも復讐完遂までは死ねないことを告げて回想。これで良いじゃん。

そして、この第一部の問題点はまだまだある。豊作だ。しばらく飯には困らんぞ。

まず、このパートは単純に短すぎる。この短さのせいでゲームそのものの構成が歪んでしまっている。

ゲームの序盤は世界観の描写と設定の描写、そして各キャラクターの描写をやらなければならない。
なぜなら、序盤でしかその尺を用意できないはずだからだ。

まともな話なら、中盤から終盤にかけて物語は一気に加速し、キャラクターの掘り下げや世界観の描写を悠長にやっている暇が無くなる。

と言うかその時点でもたもた描写している時点で、プレイヤーが世界やキャラクターに愛着を持つわけもないので臨場感が生まれない。

だからこそ、こういった掘り下げ描写は物語が加速し始める中盤までに終わらせなければならず、そうなると序盤でやるしかないのだ。

しかしそういった説明パートはとにかくだれる。面白くない。黄金のレガシーが特に顕著だったが設定の開示というのは書いてる側しか楽しくない。

プレイヤーは物語を見に来ているのであって、設定資料集を覗きに来ているわけではないからだ。

だからこそ、設定を開示しながらもストーリーの牽引となる目的が必要だ。

序盤は小さな目的でストーリーを牽引しつつ、世界観や人物の描写を行う。
そうして丁寧に足場を固めた後で中盤から終盤にかけて目的がどんどん大きくなり、序盤で丁寧に描いた世界の人々を救うためにプレイヤーは最後の戦いに臨む。そういう話が面白い話になる。

その点この第一部は、ストーリーを牽引する目的の提示だけは最高だった。
復讐。良いね。わかりやすくていい。それに感情移入もしやすい。
どういう話になるのか、がわかりやすいからプレイヤーに期待感も煽れる。最高の導入だ。

後は火のドミナントを追いかける過程でまずは世界各地、最低でも旧ロザリア領、ザンブレク領、ダルメキア領の三箇所、できれば北部も含めた四箇所を巡るところから始めるべきだったのだが、そうはならなかった。ここが問題。

このせいで後々に顔を出すアルテマだったり、黒の大地だったり、ベアラー救済だったり、世界救済に至るまでの話がどうにもふわっとしたままで動機付けとして弱く、プレイヤーのやらされ感の原因になっている。

生憎と人はよくわからん奴らのために自らを犠牲にできるほど高尚な存在でもなければ、それに喜びを感じるマゾでもない。だからストーリーを進めるためだけに作業的に世界を救う羽目になる。

前述したマップのぶつ切り感、世界の広さを感じない、メインキャラに魅力を感じないという問題も、この最初の土台作りに失敗しているせいだ。

最初に世界を巡らせて各地を歩きまわることで世界の広さやそこに住む人々の描写を行う。

その上でこの世界が抱える問題、黒の大地の話やベアラーの話を提示して、プレイヤーに『何とかしたい』と言う漠然とした思いを抱かせる。

そしてその過程で共に旅するジルやシドの掘り下げを行うことで、この辺りの問題を全て解決できたのだ。

例えば欲に塗れた貴族によるベアラー狩りの話などはサブクエストではなくメインでやるべきだった。

とある街に立ち寄るとベアラー殺しが起こっていて、犯人を探すと魔物だった、だがこんな魔物はこの辺にはいないはず。おそらくどこかに連れてきているやつが・・・のような。

その上で犯人の貴族を罰することができない不条理も描き、ベアラーが人ではないという描写を挟む。そうすることでプレイヤーにはどうにもできないことに対するもやもや感が生まれ、勧善懲悪が起きてほしいという願望が生まれる。

そこまで書いて初めて「ベアラーを解放しなければならない」と言う動機付けになるし、後半でまたこの町を訪れて、今度はちゃんと解放できた時に願望の成就が行われて喜びになる。成長を感じられる。変化になる。

ゴア表現やりたがる割にこういう理不尽や地獄が全然書けていない。だから何もかも動機がおざなりでやらされ感が出てしまう。

もやもやしたまま終わらせるのが嫌なのであれば、ベアラーたちに何もしてあげられないことに無力感を感じながら町を去ろうとしたクライヴたちの後ろで、貴族の館の騒ぎが聞こえ始めるとか。

街ゆく人たちの噂では魔物が逃げ出したとか、幸い大ごとにはならなかったけど貴族が重傷or致命傷を受けたとかそういう話声が聞こえて、それを聞いていたシドあたりが「まぁあれだけ大量の魔物を飼ってりゃ、檻の鍵を閉め忘れることもあるだろうな」なんてわざとらしいセリフ吐きながら何かの鍵を弄んでるとか。

ジルあたりがそれに気づいて「シド、あなたまさか・・・!」と咎めようとしたところで「何せ俺は≪大悪党≫シド様だからな。さあ、もたもたしてると火のドミナントに逃げられる。いくぞクライヴ」と町を去る話を差し込むとか。

こういう描写を挟めば後のマザークリスタルからの解放を描く際にも、悪を持って正義を成すと言う説得力が増すのだがそういう描写も一切なし。そういうところだよ。

それにこういうちょっと心が軽くなる描写が一つあるだけで陰鬱とした道中にも波が出来る。だから次に進むための力になる。ずーーーーーーーーっと陰鬱、ずーーーーーーっと下がる一方で何が面白いんだ。

ジョジョの荒木が描いた「荒木飛呂彦の漫画術」を読んだことあるか?そこに書かれてる「プラスとマイナスの法則」は?
この漫画術には「少年漫画においては」なんて前置きがあるけどプラマイの法則は物語の大原則だぞ。

「主人公は常にプラスで上がっていかなければならない」

マイナスからスタートしても良い。ゼロからのスタートでもいい。だが一度上がってからマイナスになるのだけはダメだ。どんな敗北でもどんな挫折でもそこから何かを得てプラスにならなければならない。

幸せになってから落ちたり、停滞して悩んだりすると読者はそのうちウンザリする。

一見マイナスに見える展開でも面白い作品では必ずプラスの要素がある。だから盛り上がる。ワクワクする。
強敵に敗北しても傷を付けられて「ほう・・・」と敵が主人公を認めるシーンとか。ああいうのがあるから次の期待感に繋がって許される。

だからこういう変化球は使うとしても一度きり。それも慎重に使い方を考えないといけない。どうせそこまで考えてないだろ君ら。

因みに紅蓮のリベレーターが面白くねえって言われてるのもこれが原因の一つ。ゼノスとの初戦で圧倒的すぎるゼノスを描いたせいで主人公が下りに入ってプレイヤーがいきなり萎えたからなんだよ。
あそこで「我が獲物を・・・面白い」とかゼノスに言わせるだけで全然評価変わったと思うよ。

・・・と言うかこれも余談ですけどやってることがまんまテイルズオブヴェスペリアなんですよねFF16って。

リメイクも出てるんで一度プレイされてみては?FF16がやるべきだったことが全部ちゃんと出来ているんで勉強になると思いますよ。

話を戻して、この第一部でやるべき描写の例として、あとは前の項で記述した『人が人らしく生きるための世界を作ること』の前振りに、この三人旅でシドが各地にクリスタルを使わずに生活できる術を伝授して回るとかさ。

案の定どこ行っても相手にされず、興味持つ人は居ても国から目を付けられるのに怯えて手を出せず、結局何も変わらない。

そのうちクライヴに「なぜそんなことを?」なんて聞かれて、シドが「これが俺の使命だからさ」とかぼかしておけば、シドの目的を知りたいという気持ちをプレイヤーに抱かせて物語の引きも作れる。

そうした数々の描写と演出、引きの先でシドがクライヴを仲間と認め、「マザークリスタルは破壊しなければならない」と口を開くのであれば納得感もあったし葛藤も生まれる。だから話が面白くなる。

なにせ今まで見てきた『クリスタルが当たり前の世界』をぶっ壊すんだから。

緩やかに破滅に向かう日常を維持するか、世界を破滅から救うためにこれまで見てきた日常を破壊するか。究極の二択がクライヴの目の前に提示されてしまう。

その葛藤が話に深みを持たせて面白さを生む。あっさり「よしじゃあマザークリスタル壊そう」とかノータイムで決意できるわけがなくなる。それが出来てしまってる時点で描写が足りてない。

いやわかるよクリスタルがインフラなのは。行間を読めば。でも実際問題、ストーリー上でマザークリスタルが破壊されたことによる弊害、なんかありました?

大抵NPCが「マザークリスタルが・・・!」って驚いてる程度でなんも無かったですよね。そういうところだよ。

「いやいや、メインストーリーでもヴィヴィアナがちゃんと説明してるから」ってか?じゃあもう一回これ書いとくな。
<語るな、見せろ>

しかし今回は二段構えだ。「その描写もサブクエストで描いている。マザークリスタルの傍の村じゃ大型クリスタルが使えなくなってる描写あるから」
「クリスタルを日常的に使ってる描写がサブクエストにあるから」

何でサブクエストを全てのユーザーがやる前提で物語作ってんだ。全員が知らないといけない情報こそメインストーリーで提示しろよ。

大体、サブクエストってのはメインストーリーが面白くて初めてやりたくなるもので、サブクエストをやらないと理解できないようなメインストーリーを出されて一体誰がサブクエストまでやりたくなるんだ。

後々出てくるトルガルの魔狼設定とかもそうだけど、これを導線のつもりでメインストーリーに組み込んでいるなら本当にセンスがない。目的と手段が逆転している。何がやりたいんだ君たちは。

18年経っても元気なトルガルの理由付けのつもりか?そんなところばかり辻褄合わせは万全だな。肝心なところがガッタガタなのに。

どうせ吉田P辺りが「こうすればサブクエストもやりたくなるでしょ?w」ってFF14のPvPよろしくしたり顔で言ってるんだろうなってのが目に浮かぶよ。だからPvPもいつまで経っても盛り上がらないんだよ。根本的にずれてんだよ。

その話の補完はDLCで~とか小説で~とか映画で~とか他媒体を持ちださないだけまだマシだが、何がメインストーリーに必要な情報なのかも理解せずに話作ってるから50点。

アサリの砂抜きレベルの基礎すらできてないせいで、ノイズだらけのメインストーリー。
そのくせ「その砂、気になるでしょ? 実はあえてやってるんですよw」とでも言わんばかりのサブクエスト。

そういう浅はかな部分がプレイヤーに「面白くない」と言われる原因になっているのがもう本当に救いようがない。

ちゃんと世界を巡って、この世界の広さや繋がり、世界観やキャラクターのことをプレイヤーに教える。

そして十分に描写を行った後、今回のテーマの一つであるマザークリスタルの破壊を提示する。そこまでやって初めて葛藤が生まれて面白さにつながり、物語になる。

そうすればマザークリスタルから解放されるとはどう言うことか?をもっとわかりやすくプレイヤーに見せつけることもできるし、何より吉田Pが散々推していた旅感も演出出来た。

そういう"メインストーリーに絡めた"世界の描写が全然出来てないのが大きな問題点だ。

だからマザークリスタルの破壊がプレイヤーにとっての目的じゃなくて、次のマップにプレイヤーを誘導するための手段になる。

だから段々物語の中心からマザークリスタルがフェードアウトしていって、なんかついでに破壊してる感が出てくる。

だからしまいにゃアルテマに畳んでもらわないと回収できなくなる。
全部この第一部がグダグダなせいだ。

クリスタルで回る世界を提示するなら最低限、クリスタルで回ってる世界を描け。メインストーリーで。背景の井戸にクリスタル釣っただけで満足するな。ムービー中にクリスタルで火をつけただけで満足するな。必要な要素はメインストーリーに絡めろ。

第二部で差し込まれたクリスタルの裏取引の話とかは面白かった。それをこの第一部で出来てれば100点だったが遅すぎるから50点だ。

結局物語終盤の、アルテマの影響で空が変色してクリスタルが使用不可になっている事ですらヴィヴィアナに語らせて終わり。

そのせいで疑似的にクリスタルのない世界が生み出されたにも関わらず、何が変わったのかさっぱりわからない。RPGを舐めてるのか?

それら描写不足のせいでこの世界にとってマザークリスタルがどれだけ大切で、そこから解放された世界はどうなるのかがいまいち伝わらず、大罪人と呼ばれるような所業を繰り返す割に葛藤も一切湧いてこない。

人を殺してはいけませんと言われて育ち、しかし世界を救うために人を殺さなければならないとなった時に、その人を殺してはい終わり。
その人を殺したことによる影響も残された家族についても自身の葛藤も一切メインストーリーでは触れず、では次の人を殺しに行きましょう。
そんな話が本当に面白いと思っているのか?

君たちが書いたのはそう言う話だ。
行間を読め?まず読めるページを用意してから言え。

それから黒の大地の絶望感を描くのも本来はここのパートの役割だった。人々が逃げ惑っているとかいうクソ手ぬるい地獄とも呼べないような描写だけ差し込んで、黒の大地を通りがかった時に設定開示して終わりにするな。

エーテルが無くて作物が育たない死の大地なんです。そうですか。魔法も使えないんです。そうですか。
それが何で全能にも近いアルテマを絶望させ、逃げ出すほどに恐れさせてるんですか?
まさか高度魔法文明で生きていたから魔法を使えない生活が考えられない、ってこと?人間かよ。クソしょーもねえ。

いや人間よりひどい。リアルだってオゾンホール問題が発生したとき、世界中で協力してこの対策に乗り出したぞ。
今まで当たり前に使っていたフロンがオゾンを破壊することが分かって、脱フロンを掲げて世界中が協力した。

結果今では解決までは至らずとも、少しずつ改善に向かってる。人間にすら出来たことが神には出来ねえのかよ。クソしょーもねえ。

神が逃げ出すような黒だというのであれば、その黒とやらを描いて見せろ。住む場所を大地に呑まれる人々や呑まれていく街の描写をちゃんと表現しろ。

そして黒の大地に蝕まれるとはどう言うことか、を克明に描いて世界の絶望をプレイヤーにちゃんと伝えろ。黒の大地通りがかって説明して終わりにするな。

ここさえしっかりしていればこの後の世界救済に説得力が増す。これがないまま説明して終わりだからやらされ感が出て目的がぼやけるんだ。

それからここからは個人的な感想だが、そもそもの話、大地が死んで終わりは正直世界の絶望としては地味すぎると思う。環境問題かよ。世界サミットでも開いて「脱魔法」掲げりゃ解決か?あまりに手ぬるすぎる。

いっそのこと魔物は黒の大地から生まれるとか、アカシア化は黒の大地にエーテルを乱されることで起きるとかそのくらいの設定の方が面白かったんじゃないか?

そうすれば世界が死の大地に飲み込まれていく絶望感と閉塞感、どん詰まりの世界のどうしようもなさをプレイヤーに余すことなく伝えられて、この世界を救わなきゃならない動機付けも強くなっただろうに。

そしてその原因が他でもないマザークリスタルなら、そりゃあ破壊しなきゃならないに決まってる。

と言うかアカシア化と黒の大地を紐づければ、アルテマ陣営側の「人の意思は欲望や争いの元になる。だから人は意思を捨て、無垢なる人にならねばならない」「アカシア化し、人が意思を捨てた時、人は真に救済される」って大義名分に説得力が増してマザークリスタルの設定も「そのために黒の大地を押し広げ、アカシア化を進めている」「だからバルナバスはマザークリスタルを使うよう各国に仕向け、人間自らの欲によって破滅するよう糸を引いている」ってメインストーリーにちゃんと絡んでくるだろ。

あ、でもそうするとシドのアジトが使えなくなるから、各国に拠点となる街を作らないといけなくなってコストがかさんじまうか。じゃあダメだな、ハハハ。

けど俺バカだからわかんねえけどよ、それならドーナツみたいに真ん中だけが取り残された、周りを黒の大地に囲まれた陸の孤島にアジトを置けば良かったんじゃねえか?

そうすればベアラーが人として生きられる場所はそんな地獄のど真ん中にしかない理不尽さを描けるし、ベアラーが人として生きることの難しさを表現できると思うんだよな。

体の弱い奴やアジトまで辿り着けなかった奴らは黒の大地でアカシアとなって彷徨い続け、奇しくも外界とアジトを隔てる楽園の防壁になるんだ。

そんな彼らに弔いの意味を込めて、時折増えすぎたアカシアを間引く意味でもアカシア化しにくいドミナント(公式設定)がアカシア討伐してることにすれば、救いのなさも表現できるだろ。

それにチョコボはアカシア化しにくい(公式設定)から都合よく出入りできる理由付けにもなったはずだぜ。

マザークリスタル周りの雑魚敵がいなくなる問題は、それこそエーテル溜まりに絡めたモンスターを別で用意すればいい。前廣得意だろ、そう言うの。

どうせ畳むのが大変だから黒の大地の設定を小ぢんまりしたところで納めたんだろうが、そういう手ごろに畳める感が随所に出てしまっている。そのせいで圧倒的な絶望感が足りていない。だからいまいち世界救済という大義名分にいまいち乗り気になれない。

君が救う世界とは一体何のことだ?君が打ち破る絶望とは一体何だ?
それらを明確にして初めて人は勇者になれるんだ。わかるか?わからないだろうな。

そしてうんざりすることに、第一部の問題点はまだデカイのが一つ残っている。勘弁してくれ。

問題の場所は第一部の最後、シドの死だ。
何あれ。不意打ちで死ぬって。ギャグかと思った。

いやいやリアルなら死んでるくらいのダメージだから^^;ってか。
確かに世の中には理不尽な死が溢れてるし、ああいうあっさりした死に方をする人もいるだろう。だがこれは物語だ。しかもシドの死は物語の重要な要素の一つになるはずだ。その最期がこれ?バカにしてんの?

道中散々見せていた喀血も石化もなーんも関係なし。マザークリスタル壊そうとしたら不意打ち受けて、それが致命傷でそのまま死にます。こりゃあすげえジェットコースターだ。その展開は予想してなかった。面白くもねえけどな。

こういう何も考えていないんだろうことが透けて見える間抜けな描写が多すぎて、感情移入が全然できない。ノイズが多すぎる。

同じ死に方にしても、テュフォンとの戦いの後に満身創痍のクライヴをアルテマが取り込もうとして、それをシドが阻止するとかやり方はあっただろ。

クライヴやジルの代わりに怪我を推してアルテマとの戦いに臨み、体が石化するほどの魔法を使い、何とかアルテマに勝利。しかし石化した手足が崩れ落ち倒れこむとかさ。

こうすることでドミナントも魔法を使いすぎると体が石化して死ぬというどうしようもなさの描写になるし、今まで共に歩んできたシドの最期が人としては到底あり得ない終わり方になる衝撃もプレイヤーに与えられるだろ。

そうした描写の先で「いい悪党になれよ、クライヴ」と小粋な言葉の遺すからプレイヤーの胸に刻まれるんだろうが。

その先でアルテマが当然のようにまた蘇って、シドの死が無意味だったみたいなことを言うからアルテマに対するヘイトがプレイヤーにも溜まっていって、最後の戦いの前振りになるんだろうが。

なのにその重要なポイントがこの雑さ。もうほんと、勘弁してくれ。

本気であそこはポカンとした。シドは好きだったが涙の一滴も出なかったし悲しくもならなかった。余りに雑過ぎて。
そしてその直後に放り込まれる五年後――。
どこまでプレイヤーをコケにするんだ、このシナリオは。

これらの内容をちゃんと書いて、でもそうなると尺が溢れるから余計な部分を削ぎ落して、無駄な部分が減って必要な部分だけが固まって行って、そうして洗練されていくから雑味のないうまいスープが出来上がるのだ。

どうでも良い余計な描写ばかり多いのはそれだけ必要なことを書ききれておらず、無駄なことを出来る尺が有り余っている証拠だ。だから雑味ばかりが際立って肝心のスープの味が全然味わえない。

そりゃあそれでも気にならない奴はいるだろうけど、スープの中に魚の小骨が大量に混ざってたらそりゃあ苦い顔されるだろ。
もう少しちゃんと推敲しましょう。





・漠然としすぎている主目的と面白過ぎる演出が押し寄せる第二部

第二部は爆笑必至の五年後――。からクリスタル自治区でバハムートに勝つまでの話を指している。

正直この第二部に関しても問題点ばかり――と言いたいところだが実は良い意味で言うことがない。と言うか私はこの第二部に関してはめちゃくちゃ楽しめた。めっっっっっっっちゃくちゃ面白かった。もうほんとにめちゃくちゃ面白かった。めっっっっっっっっっっっっちゃくちゃに面白かったのだ。

悪くいうとこの第二部はノルマ達成のために世界各地を回るだけの話のため、正直メインストーリーの影響を受けにくく、メインストーリーに影響しにくい話でもある。

それがこの場合は良い方に働いて、私がこのゲームで一番楽しめた場所になったのだろう。

ただ、例によって巷の感想では第二部からは盛り下がる一方だと言う評価を良く見かける。

個人的な考察だが、恐らくこれは第一部の復讐譚をしっかりとした尺を描き切れていないせいで不完全燃焼になり、メインストーリーを引っ張る物語の軸もマザークリスタルの破壊に移行したため物語を牽引する導線が無くなったからではないかと思っている。

第一部の尺をちゃんととって、必要な描写が十全にされて、マザークリスタルを破壊しなければならない動機付けさえちゃんと出来ていれば、恐らくこの第二部も楽しめたことだろう。いや勝手な想像なのでわからんけども。

そんなわけで第二部が面白くないというより第一部が欠陥だらけ過ぎてその余波を喰らっているだけ、と言うのが私の感想なので第二部はあまり指摘するところがない。

そこでこの項では今までとは逆に、どこが面白かったのかに焦点を当てていきたいと思う。

ただ、注意点として私はFF14で言うところの2.X(改修前)のストーリーを「おもしれーw」と言いながら進めていたタイプの人間のため、私の言う面白いは一般的な面白いではない可能性が非常に大きい。

私の面白いを宛にして進めた結果、クソほどつまらなかったとしても責任は負いかねる。
(FF14の2.Xのストーリーは非常に評判が悪い。どのくらい悪いかと言うと、ここで離脱する新規ユーザーがあまりに多すぎて最近改修が入ったくらいには面白くないらしい。心外だ)

さて、話を戻して。
第一部の終わりは結構唐突なのだが、第二部の始まりである五年後――はそれ以上に唐突だ。思わず「は?」と言いたくなるくらいに。

この五年後演出、プレイヤーを驚かせる以上の効果があったようには到底思えない。何も考えてないんだろうな、と言うのが伝わるくらいには何も起こらなかった。

いやいやアジトをタイタンに壊されたから再建の時間が必要だったんですよ。
いやいやクリスタル自治領を支配する時間が必要だったんです。

だったらタイタンにアジト壊させんな。クリスタル自治領なんか最初から不法占拠しとけ。どうせこれもジェットコースターのためだろ、馬鹿馬鹿しい。

タイタンと因縁を作りたいのはわかるが因縁の作り方が乱雑すぎて正直ドン引きした。仲間たちがやられたという割に(ゲーム都合で)生き残っているメインキャラクター達。申し訳程度に片目を負傷するガブ。このゲーム負傷する奴みんな目ばっかだな。アンブロシアとか。

サブクエストを消化しながら進めていたためリンゴ園の人たちが亡くなっていることにショックは受けたが、逆に言えばその程度。サブクエストを進めていないとそのショックを味わうことも出来ない。何なんだこの演出は。

FF14の灯りの消えた日で批判喰らったことにビビったか?むしろあのくらいの演出が必要な場面だったんじゃないのか。

まぁ良いよ、この程度の問題でいちいち目くじら立ててたらキリ無いから。面白いところを語るっつってんのにいきなりツッコミどころから始まってしまった。

なおここからしばらくはおもんなパートが続く。
相変わらず義務的に用意された設定。義務的に用意された目的。義務的に用意された動機付け。プレイヤーの感情はそっちのけに、勝手に盛り上がるメインキャラたち。
相変わらずロールプレイのロの字も出てこないストーリーを傍観者として眺めるプレイヤー。

マザークリスタルを破壊して五年経ったのに何が変わったわけでも無く、余計な事をするなと怒り出すベアラーのような『それっぽいけど特に何の振りにもなってない演出』を挟みつつ物語は進む。

相変わらず迫害される理由が提示されないまま黒騎士に虐殺されるベアラーたち。ドン引きはしても同情の気持ちがいまいち湧いてこないのは、なぜこんなことになったのかの動機が行方不明だからだ。

ただ、このおもんなパートの空気が変わり始めるのが『種火の守り手』と呼ばれる者たちとクライヴが接触してからだ。あそこから露骨に話が面白くなった(個人の感想です)。

ウェイドとの再会が果たされ、胸熱展開に思わず盛り上がる。そうかお前、まだロザリアを守ってたんだな・・・!

戦闘中に「くたばれェ!!」とか言っちゃったけど大丈夫?と思いながら話を聞いていると、求めていた物とはちょっと違うがそれでも十分な動機付けが現れる。

なぜアナベラが黒騎士なんて専用の組織まで作ってベアラーを虐殺しているか、だ。

神皇との間に子供が出来てから、ベアラーへの固執が強くなった。あの女は自分の子供の国から不要な物を取り除こうとしているのかもしれない。そう語るウェイドが拳を握りしめる。

そうそうこれこれ!こういうのを待ってたんだよ!そんな理不尽許せねえよなあ!!

ベアラー達が理不尽な目に遭っているのが母の命によるものなら、それは俺の戦いでもある、とクライヴも決意を表明。良いね、すごく盛り上がってきた。

更にウェイドとの共闘まで挟んでテンションは最高潮。ここにきてやっと「このゲームおもしれえ!!」となり始めた。
相変わらず主目的のマザークリスタルの破壊は小脇に置かれたままで、私はその事実から目を背けていたが。

話は進み、叔父バイロンとの再会。心を閉ざし、甥の名を騙る不届き者を成敗に現れるバイロン。老将としていきなりキャラ立ちしすぎている演出を挟み、クライヴと対峙。この時クライヴが叔父の考えを全て見通しているのが気心知れた仲と言った感じで最高だった。

そしてクライヴは突然空から剣を抜くように、バイロンに対峙する。

もうこの辺から先の展開が見えて胸がいっぱいになった。

全く状況が理解できず困惑するジル。何かを感じ取り動きが止まるバイロン。一人、幼い頃に叔父と行ったごっこ遊びを続けるクライヴ。
この時のクライヴの声が若干若返っているのも最高だった。当時を思い出させるみたいで。

こういう描写は本当にうまい。極上と言って良い。最高だ。

クライヴの姿に過去の甥の姿を重ね、涙を流し、震える声でマドゥの役を務めるバイロン。私は泣いた。ガチ泣きした。第一部まで「この話おもんな」って思いながら真顔で見ていたのにここで一気に呑み込まれた。今思い出しても涙が出てくる。

こういう要所要所の描写は最高に上手いんだよこのゲーム。メインストーリーが面白くなさすぎるだけで。
だから雰囲気ゲーとしては100点で純文学のようなゲームなんだ。純文学にストーリー性を求める人はまず居ないので。

マザークリスタルの話は到底信じられないが、クライヴの話すことに嘘はない。だから力を貸すという粋な言葉と共に協力するバイロン。流れるプレリュード。クライヴに習って悪党の一員宣言するバイロン。どんどん話が盛り上がっていく。

クライヴにも、ちゃんとこうして支えてくれる人々がいることが描かれていく。

ジルの話に関しては前述の通り掘り下げが少なすぎて正直何とも言えない。この話は必要だったと断言できるが、それはそれとして面白かったかと言われると・・・
ここは単に前半でジルの掘り下げが薄すぎるせいなのでちゃんと描写しましょう。

でもシヴァって今までのFFだといまいちFF6とかFF15でメインにちょっと絡んで来るくらいで主役格ってイメージ無かったけどこうしてシヴァが活躍してる姿を見れるのは新鮮ですね。

そして申し訳程度に挟まれるイフリートが使えない描写。第一部の尺をちゃんと取らないからこういうくだらない葛藤を今頃やる羽目になるんですよ。

実際、このイフリート使えない⇒使えるようになった!の下りが胸に残ってる人殆どいないでしょ。機能してないですよ演出として。
ボス戦に使えないようにしたかったのかもしれないけど何というか雑。結局タイタン戦で特に何があったわけでも無く使えるようになっちゃうし。

どうでも良いけど来い!イフリート!のシーンは完全にスケェェェェェェェィス!だった。

さて、そんなこんなで多少気になるところはありつつも全然許容範囲のまま物語は佳境、フーゴ・クプカとの戦いに入り始める。

この辺はクライヴをおびき寄せるためとかいう理由だけで戦時中にも関わらず私兵を動かす雑さとか、こうでもしないとロザリアを舞台にした話にできなかったんだろうなとかいう作り手の都合とか、ロザリス城を壊すわけにはいかないから一旦場所変えるために召喚獣バトルは引き延ばしてるんだろうという事情とか、そういう細かいところがちょっと気になったくらいだ。あとトルガルの変身。これはもう前述の通り。

フーゴ・クプカとの戦いで描かれるのは互いの譲れぬ意思、想い、憎悪と怒り。

邂逅し、ベネディクタを討ったのがクライヴだとわかり笑い出すフーゴ。因縁と執念の連鎖。BGMが盛り上がる。お互いの怒りが最高潮に達し、奇しくもシンクロする二人の想い。

「「――死んで償え!」」ドゥトゥトゥトゥトゥトゥ↓テー↑テテー↓

最高が過ぎるな。
しいて言うならこういうドミナント戦はクライヴもリミットブレイクとしてじゃなくて演出として常時イフリートモードになってほしかった。見た目だけで良いからさ。

最高としか言えない演出と最高としか言えない激闘の果てに勝利。諸般の事情により仕切り直し、フーゴ戦一回目は決着。
「えぇ・・・召喚獣バトルまでやろうぜ・・・」と思いながらアジトに戻ることになる。

作中一のおもしれー女、ミドが登場するのはこの直後。

登場からいきなり嵐のように場をかき回し、プレイヤーにおもしれー女すぎるその印象を徹底的に刻みつけていく。皮肉で言われた「新しい風をどうもありがとう」に対して「褒められちゃったよ」は流石におもしれーが過ぎるだろ。

よくある返しだって?そのよくある返しをちゃんと出来ているところがおもしれーんだろ。あと、ミドの声めっちゃ好きなんですよね。

そして今作一のおもしれー叔父さん、バイロン卿と旅をするのもこの第二部。支援金として2000万ギル。賊を抱き込むために50万ギルをさらっと出す辺りガチの金持ち感がすごい。さすがに面白すぎるな。

こういう金持ちキャラがちゃんと金持ち描写してるゲーム、あんまり多くないので新鮮だった。

しかもこの叔父さん、戦闘中にもちょいちょい掛け合いがある。終盤のエンタープライズ出向までの時間稼ぎシーンなんか本当に笑った。
こういうのをジルとかシドとかのメインキャラとやれっつってんの。

ここまでのちゃんとした描写があるので、ドレイクファングへ入る前の叔父さんの「命惜しさに金を積み、アナベラに媚びへつらい、国を取り戻す勇気すら持てなかった」と言う告白と後悔がすっと胸に入ってくる。

酷い後悔を抱えてまで生きてくれていたことでこうしてクライヴが助けられている、だから後悔しなくて良いと声をかけたくなってくる。これが感情移入だ。

仲間は2人連れられるようにした方が良かったのでは?だからメインキャラとの掛け合いが少ないんでしょこのゲーム。それともシステム的な都合ですか。

そんなこんなで描かれるその後のタイタン戦もやっぱり最高の一言。タイタン戦のBGMも相まって大熱狂だ。オーク?マザークリスタル?そんなこまけえ話は放っておけ。いちいちそんなこと気にしてたらここからの怒涛の展開に取り残されるぞ。

大迫力のタイタン戦(一回目)。輝くクリスタルをバックに大地が鳴動する。岩が飛び交い、鈍重な見た目の割に軽快な動きでタイタンが飛び跳ねる。ジオクラッシュ!アースシェイカー!その技知ってる!!FF14で見た!!!!!

そして一回戦目を終えて「やったか!?」と思ったところでクリスタルを喰らい始めるタイタン。マジ!?そういうことできんの!?

明らかにやばい雰囲気からのBGM転調!タイタン超巨大化!走り出すイフリート!降り注ぐ岩石に襲い来る触手!何でも有りが過ぎるだろ!!!!
デビルタイタン!!?!???!??!?!?!?!?!?
最高!!!!!!!!!!

第二フェーズで更にBGMが変わり、いかにもな『タイタン感』と共に激闘は続く。このBGMもめちゃくちゃ好き。と言うかタイタンのBGMどれも良い。

どれもこれも作ってる側がウッキウキなことがわかるくらいテンションがぶち上がる。こういうのだよ。こういうのを求めてるんだ。

余談だが召喚獣バトル中にファイアライトと言う回復アイテムを使えることに気付いたのもこの超巨大タイタン戦の途中だった。
戦い長すぎて体力もたないよ~~~ってヘロヘロになってるときに気付いた。おかげで死にかけの状態で敵の攻撃をフレーム避けし続けるという謎の縛りプレイから解放された。助かった。

そして大迫力のデビルタイタンを撃破して崩れ落ちる岩と共に落下するクライヴ。やっと終わった・・・と一息つく暇もなくさらにBGMが盛り上がりまさかの第三回戦!

お互い落下しながらの空中バトル!!!タイタンお前、空中で一体どうやって戦うつもり――崖ぇぇぇぇぇ!?!!!?!???!

埒が明かないとばかりにタイタン同様にエーテルを取り込み、両腕に岩石をまとわせるイフリート!!もしかしてオラオラですかーッ!?

多分カットインに合わせてBGMのパートも切り替わるようになってると思うんだけどどこから繋がってもシームレスに繋がるの地味にすごいっすね。そのおかげで没入感もすごい。

そんなこんなでついにフーゴは力尽き、クライヴ同様にプレイヤーまでゼーハー言いながら何とか勝利。召喚獣バトルのゲーム体験だけは本当に凄まじい。

そして最後に申し訳程度にマザークリスタル壊してプレリュード流して終わり。そういやあったね、そんな仕事。

それからアジトに戻って余韻もそこそこにちょっとお使いクエストをひとつまみ・・・ここにきてまたMMOかよ。そんな感想を抱きながらテンポがダレつつ、次のバハムート戦も怒涛の展開が始まる。

散々善良な皇子として描かれていたバハムートのドミナントが、何故かクリスタル自治区の空を舞い、流星群のようなメガフレアで国民たちを焼き払う。

何があった!?と言う疑問もそこそこに、くっっっっそ美しいグラフィックで描かれるマザークリスタルの再生成。マザークリスタルが一度消滅し、再び天に向かって伸びていく。

マザークリスタル破壊のために先に進むクライヴ。その道中、空が哭く。ついにここでクライヴはフェニックスの姿を目撃し、ジョシュアの生存を確信する。

空を舞うフェニックスとバハムート。この組み合わせはFF14をやっていると胸が熱くなる。

空を流星のように駆ける抜けるメガフレアがフェニックスを幾度も襲い、フェニックスはそれを必死にかわし続ける。

「ジョシュア、今行く!」クライヴの叫びにプレイヤーの想いも交差する。ただ二人の再会を願いながら。

しいて言うならここも冒頭のタイタンvsシヴァのような、二体の召喚獣の戦いの余波で次々崩れ落ちる足場やクリスタル、背景で戦う二体の召喚獣、そういう演出を見せて欲しかった。

時折バハムートとフェニックスの声が聞こえたりはしていたが、冒頭ほどの迫力は無かった。予算か?予算なのか?

そして母との再会。語られる裏切りの真相。巷の評価だとアナベラはクソ女と言われていたが、クライヴを妾の子と疑われ、ジョシュアは病弱。アナベラには重すぎたと嗤われた。そんな吐露にちょっと同情してしまった。

このアナベラとの対立も安易に和解しなかったのは個人的に高評価。肉親だからって必ず和解できるとは限らないし、たまたま馬が合わない相手が肉親だったってこともあるだろう。肉親は大事に、なんて安易に言えるのは、肉親にまともな人間しか居ない幸せに気付いていないからなのだ。

そうこうしているうちに意識を失ったジョシュアが落ちてきて、弟を守るためにイフリートを顕現させるクライヴ。怒涛の展開続きの第二幕、その最終章が始まる。

おなじみのドゥトゥトゥトゥトゥトゥ↓テー↑テテー↓のイントロと共に天に伸びるクリスタルを駆けあがり、空を舞うバハムートと戦うクライヴ。このバハムート戦は全編にわたってとにかく美しいの一言。とにかく美しい。ぜひ一度見てほしい。ここまで35時間くらいかかるけど。

そして戦いのさなか、輝くマザークリスタルが百合のように花開き、両者に決戦の場を用意する。ここも本当に溜息が出るほど美しい。
因みにあれは百合じゃなくて飛竜草の花らしい。

戦いの最中、危機に陥るイフリートを助けるため降り注ぐ転生の炎。はっとして見上げれば夜空を駆ける緋翼が目に入る。クライヴとジョシュア、兄弟がついに共闘し、最強の一角バハムートと相対する。

ここからクライヴ⇒ジョシュア⇒クライヴと操作パートが移り変わり、兄弟の共闘をゲーム体験としても演出しているのが非常に素晴らしい。本当褒めるところしかねーな第二部はよ。

バハムート自体が青白く、フェニックスが赤いため夜空での戦闘が映えること映えること。
フェニックスパートでの戦闘はやってること自体はただのシューティングなのだが、背景に映るマザークリスタルや降り注ぐ光弾の数々、時折映り込む真っ白な月が驚くほどの臨場感を与えてくれる。

この感想はプレイ当時に思ったことを片手間で書き出し、全てプレイし終わった後に改めてまとめ直しているのだが今思い出してもこの戦いの体験は本当に素晴らしいものだった。

この第二部のためだけにもう一度プレイしたい気持ちになるが、そのためには20時間を超える第一部を越えなければならないので心が萎える。なのでリプレイで遊んで満足して終わり。まぁ、そうなるな。

特にバハムートはFF14でも因縁深い相手であるためメガフレアやギガフレア、テラフレアの演出に何度も何度も胸が高鳴った。ハイグラ版FF14として100点満点の仕事だ。

何ならエクサフレアまであったけどエクサフレアはちょっと思ってたのと違ったな・・・まぁ別にそこまでファンサしなくても良いけども。

BGMもやがて、この美しく迫力ある戦闘に相応しい、オーケストラのような優雅な曲調に切り替わり、踊るように互いの技が交錯する。

ジョシュアとクライヴ、二人の力を合わせてバハムートの障壁を破り、ついに戦いは決着する。夜空に堕ちていくバハムート・・・と思いきやそこからエーテルを喰らい、バハムートの体は黄金の輝きを放ち始める。
またしてもFF14プレイヤーを興奮の熱狂に包み込む演出。

そしてそれに対抗するため、クライヴとジョシュアは力を合わせ、体が炎に包まれ輝きを放ち・・・え?何それ、知らん・・・こわ・・・

合体・・・?いや、良いんだけど・・・なんかちょっと・・・ダサなんでもないや。

イフリートは空を舞い、戦いの舞台はついに宇宙へ!!!!!!!!!
宇宙!!!?????!?!??!?!!!?!!??
イフリート・リズン!!?!?!???!????!!!!??
太陽がまぶしい!!!!!!!!!!!!

降り注ぐビームをかいくぐり、バハムートに一撃を加え、成層圏で始まる最終決戦。

唐突に入るカットイン!全方向から襲い掛かるビーム!!!!ビーム!!!!ビーーーーーーム!!!!!!!!!!ビィィィィィィィィィィィィィィィィム!!!!!!!!!!!!!!!!!!

バハムートのHPが残り僅かなところで再びカットインが入り、炎に包まれて落ちていくバハムート。やったか・・・!?と思った次の瞬間には目を覚まし、再び舞い上がるバハムート。

BGMもクライマックス。舞い上がったバハムートは全身から青白い光を放ち、美しい光の粒子を画面いっぱいにぶちまける。
月光蝶である!!!!

そして画面に燦然と表示されるゼタフレアの文字。
ゼタ!?!!!??!?????!?!!??やべえ!!!!!!!!!!

ノータイムで「覚悟を決めろ!ジョシュアやるぞ!」と宣言し、押し寄せる白の奔流を真っ向から迎え撃つクライヴ!うおおおおおおおおおおお!!!!!ジョシュアまだ返事してない!!!!!!!!!!!!!!

そしてまたFF14プレイヤーへのファンサービスとばかりにバハムートの胸をイフリートが突き抜け、それに合わせたようにBGMもクライマックスを迎える。

ようやく長い戦いに終止符が打たれた。

ここは本当に肩で息をしていた。息が切れていた。やり遂げたという達成感が溢れていた。マザークリスタル? あぁはいはい。いつものね。

そして戦いを終え、人に戻った二人はようやく、ようやくの再会を果たす。ここも泣いた。
きっと色々お互いに言いたいことはあっただろうに、涙でぐしょぐしょになって、多くを語らず抱きしめ合う。最高の演出。たまんねぇ。

この後辻褄合わせのために用意されたなんかよくわからん展開を挟みつつ、なぜバハムートが暴走したかの描写が入る。

ああ、父親殺しをしてしまってそのショックで暴走してたのね。まぁ・・・フェニックスも父親の死を目撃して暴走してたしそんなもんなのかな。
別にそこの納得感にはもはや期待してないからどうでもいいけど・・・

最後にアルテマがなんか「思念を断ち切る」とか「原初の楔」がどうのとそれっぽいことを言うムービーを挟み、何とも形容しがたい微妙な色に染まる空。これ何だったの結局。

と思ってちょっと調べてみたらこの空を染める魔法のことを原初の楔と言うらしい。多分この魔法でエーテル乱して世界中の異変を引き起こしてたんだろうな。

理由?あーほら、ミュトスとか繋がりとか何かそういう・・・その辺だよ。

真面目に話すのであればこの魔法でエーテルを乱して人々をアカシア化し、無垢なる人に変えることでクライヴの繋がりも断ち切る、そういう算段だったんだろうが・・・全く説明なかったし遠回りすぎるし結局それ失敗しちゃったけど。

オーディンに対してアルテマが思念の糸を断ち切れ、汝の斬鉄剣は何のためにある。とウィットに富んだ表現をしてるところは良かった。

この第二部、召喚獣バトルが長すぎる、と言う評価もわかる。でもいいじゃん、面白いから。ダメ?

逆に言うとここに乗り切れてないと確かに第二部はつまらないだろうな、という気もした。私は乗り切れた。だから最高だった。見てただけのジェットコースターにやっと乗れた。良かった。






・面白いと面白くないが交互に押し寄せ、ずっともやもやさせられる第三部

第三部はこのバハムート戦後の空の色が変わった世界から、ラストのアルテマ戦までを指す。
実際のところ、バルナバス戦までで一区切り、アルテマ戦が最終部って感じなのだがアルテマだけで区切るのもちょっとと言う感じなのでここにまとめる。

物語冒頭から世界情勢をただただ語るヴィヴィアナ。世界各地で異常が起き、小型のクリスタルが使えなくなり、更にはエーテル溜まりが起きているとか。

恐らくこれらは全てアルテマが発動した<原初の楔>とやらの影響なのだが、その説明はアルテマがそれっぽいことを言うだけで何が起きているのかもどうなるのかも原理原則も一切合切説明はなく、それ以上誰も作中では触れないためそういうことなんだろうなぁというふわっとした理解だけで物語は進む。

ヴィヴィアナが延々と混沌だの絶望だの世界の終わりだのと語り続ける。そう、ぜーーーーんぶ説明。言いたいことはわかってるな?
そう、<語るな、見せろ>だ。

いや待て待て、今回はちゃんとこの後にその混沌とやらを見せてくれる。そう浮足立つな。

物語の最終章。ついに描かれる世界の危機。今まで巡ってきた世界各地から応援要請が寄せられ、クライヴは早速彼らを助けるため駆け巡る。

そこで目にするのは、街を襲うアカシア化した魔物の集団。起動した遺跡の遺物。そして混乱に便乗して現れる野盗たち。

野盗たち!!?!?!???!?!?!??!?!?

お前・・・お前さああああああ!!!!!(ここで頭を抱える)
世界の危機だっつってんだろうが!!!!!!やってる場合か!!!!!!!!

この物語の終着点である人の可能性を示すってところに焦点を置くなら、ここは人間の可能性を示す段階だろうがよ!!!!!!!!
普段はいがみ合う派閥が手を組み、国家を跨ぎ、ベアラーすらも関係なく危機に挑む!そういう段階だろうがよ!!!!!!!!!!

人間さんチーム早速仲間割れしてんじゃねえか!!!!!!!!
ていうかサブクエストでやれよそんな下らねえ話!!!!!!!!!!!

世界情勢が不安定になってこう言う奴らが出てくるってことを言いてえんならさあ!!!!!!!!まずは!!!!!!!それを!!!!!!!描写しろおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!!!!!!

「いや、その辺の治安の話はサブクエストで――」「人間が共闘する話はサブクエストで――」
もおおおおおおおおおおおおお!!!!またかよおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!

世界をもう一度巡らせる演出は良いよ。俺も大好きだもん。終盤でもう一度世界を巡る展開。

けどさぁ・・・理由が理由だけにあんまりすぎる。この野盗の話から続くサブクエストはめちゃくちゃ面白いけど、だったらそれをメインに持ってこいって言ういつもの合言葉。

勘違いしてると困るから補足しておくが、「メインクエストでやれ」って言うのは「メインクエストのようにクオリティの高いサブクエスト」って意味じゃない。

「本来はメインに必要だったピースなのになぜかサブに置かれているクエスト」と言う意味だ。つまり作り手が必要な要素を理解していないという意味。誉め言葉では決してない。

肯定的な意見を持ってるユーザーからもこの意見が出る時点でちょっと考えた方が良いよ君たち。

少々熱くなってしまったが、本作随一のおもしれー女ことミドの活躍がこれでもかと言うほど見られるのもこの章だ。

ジョシュアとの初対面で手の甲にキスされそうになって咄嗟に手を引き、笑いながら握手するところもいい具合におもしれ―女していた。

直後バイロンとジョシュアの再会。良かった良かった。本当に良かった。

そしてこれまで業務的会話botと貸していたジルも、ここにきてようやくヒロインの風格を見せつけ、砂浜のロマンティクスとかしちゃう。

言いたいこともやりたいこともよくわかる。方向は間違ってない、むしろ正解だ。だがここまでの積み重ねが無いせいでいまいち乗り切れない。第三部はずっとそんな感じ。

危機の演出は相変わらず下手だし理由も行方不明、何より脈絡も無ければ今までのテーマであるベアラーやマザークリスタルの話もどっかに置き忘れてきた。

物語のテーマや軸になる話が三本も四本もあるせいで、とっ散らかっていた弊害が最終章で回収する段階になってついに明確な問題として表面化する。

物語を畳むため、それら複数の軸の間でこれまで以上に必死に反復横跳びを繰り返すクライヴ。そのせいで一本一本の掘り下げが浅く、プレイヤーの腹落ちにも至っていない。

早々に最終目標が示され、バルナバスとの因縁を描く構図は悪くないのだが、このとっ散らかったテーマがとにかく気を散らして片手間でやるビーチフラッグのように、時折クライヴが駆けだして無理やりフラグを拾っていく。

結果バルナバスとの因縁を描く尺も足らず、ここで描こうとしていたはずの『人間の救済』についての掘り下げも足りていない。

明らかに灰の大陸で力尽きたことがわかる尻すぼみ感。一本道の極致のようなマップ。案の定オーディンとは召喚獣バトルもない。余計なことに尺を割き過ぎるからそういうことになるんだよ。

だから最初に言ったんだ、必要なものだけを舞台に置けって。

とは言えこのバルナバス戦、私は結構嫌いじゃない。

人が救われるにはどうすればいいのか。人間にとっての幸せとは一体何か。クライヴとバルナバスではこの答えに相違があり、そこが対立の軸になっているからだ。

言ってみればお互いの信念のぶつかり合いだ。熱くて良いね、盛り上がってきた。

人を真に救えるのは人智を超越した神なる存在か。それとも同じ痛みを知る人間か。

従順で悩み無き無垢なる獣となることが幸せなのか。それとも欲望と苦悩に溢れた意思持つ人となることが幸せなのか。

これは最初に提示したテーマの一つである『生存競争』の構図に酷似している。
神に縋る意思なき獣と己の力で立ち上がるの意思ある人だ。

であればこの戦いの決着には「相手を認め、倒れる敗者」と「敗者の意思を受け継ぐ勝者」の構図が欲しい。

ここが出来ていないのだけが勿体なかった。

お前も新たな世界を夢見た時点で自我を捨てられなかった。真あるべき世界なんてものは幻想だ。神を殺し、人の手によって人を救う。

そう言って勝利するクライヴを、バルナバスが多少なりとも認める演出が欲しかった。そうすれば一度は諦めた人の可能性に賭け、クライヴにオーディンを渡し、神と神の最終決戦に至る礎になる。

アルテマの時は何かそれっぽい雰囲気出来てたのにな。そこで出来てても意味ねえんだよな、そもそもそういう話じゃねえんだから。

そして一番の問題のアルテマ戦が始まるわけだがその前にドレイクスパインだ。マザークリスタルコアを目指すため、クライヴとジョシュアは橋を駆け抜け魔都へと突入する。

ここの演出は一つ一つが素晴らしかった。

いつか来るだろうなって思っていたベヒーモスがついにお目見えしたところは最高に盛り上がった。おなじみのエクリプスメテオの絶望感と演出も素晴らしい。

二人で力を合わせ、何とか隕石を打ち破ったところで
「まだやれるか?」「・・・誰に言ってる」
くぅ~~~~~~たまんね~~~~~~~~!

いくらメインストーリーが微妙でも、こういう極上のうまみを持った最高の演出が入るからやめられねえんだ。

ファイナルメテオまで再現されてる~~~~!!!
え、QTEじゃねえの!?やべやべやべやべやべやべやべ!!!!!!

ベヒーモスを倒して魔都を進んだ先、いよいよマザークリスタルと言うところで敵が大量に現れて奥の手を使わざるを得ないとなった時に突っ込んでくるエンタープライズ。そう来たか~~~~~~~!

駆け寄って来るジル、そして見事なジャンプと共についに合流するルサージュ卿。そうきたか~~~~~~~~~~~!!!!

ガブの気転で彼らがここに間に合ったことが明かされ、ルサージュ卿改めディオンからバイロンの言葉を伝えられるクライヴ。
「最後まで自分を信じて戦え。兄上もきっとそうした」
そうきたか~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!

そして流れるプレリュード。感動の再会はそれくらいにしとけよとガブからのお言葉。うるせ~~~~~!!!!最高の仕事だ相棒~~~~~~!!!!

余談だけどディオンが人のこと召喚獣の名前で呼ぶの好きなんですよね。イフリートとかフェニックスとか。ジルのことをシヴァの娘とか呼んでんのかな。

・・・で、こっからくっだらねえアルテマ戦の始まりです。

次元の狭間の演出は結構好き。戦闘無しでこの世界の真実が明かされながら、アルテマの真意が語られる。やってることアーモロートとかと一緒だけど。

何がくだらないかと言うと前述の通り、何もかもを茶番にするアルテマの発言の全て。

例えばついさっき、せっかくバルナバスを下して人は人が救うと宣言したのに、その直後にアルテマがバルナバスの語った神の救済が嘘だったことを明かして「人間を廃棄する」とか言い出すところ。

これがまだ、バルナバスがクライヴに充てられて意思を取り戻したことでいよいよ人の可能性を看過できなくなった。だから人を滅ぼさねばならない。とかならまだわかる。

なんだ最初から捨てるつもりだったって。なんだバルナバスは騙されてただけって。なんだ真の目的は仲間を蘇らせることって。おかげでバルナバスとの戦いが全部茶番だ。ぜーーーーーんぶ茶番。ぜーーーーーーんぶひっくり返された。

そもそも『新たな理に基づく創世を行うこと』がアルテマの目的なのに『黒の大地もその原因になる魔法もアルテマが作り出した』とか言ってるところが最高に意味が分からない。何がしたいの君。

これがさ、魔法を使うと黒が広がる。だからアルテマは魔法を禁止し人から魔法を奪ったが、人はクリスタルを使うことで魔法を生み出し、文明を発達させてしまった。だからアルテマは人の排除を決意した、とかならわかるよ。

何、黒も魔法も自分の理から生み出しました。でも黒に浸食されるのは嫌なので新たな理を生み出します。だから人間を廃棄します。
意味不明にもほどがある。
結局その理もクライヴが灰にして終わり。何なんだその茶番。

何もかも『アルテマの思惑』って言っときゃ許されると思ってるだろ。

この何でもかんでもラスボスのせい、がまかり通るならどうせこの先も全部アルテマのせいなんだろはいはいって気持ちになる。どこまでプレイヤーをバカにしてんだ君ら。くっだらねえ本当に。

ラスダン突入時のムービーとかイフ・バハ・フェニvsアルテマとかトライディザスターとかめちゃくちゃ良かったのに一気に白けた。おもんな。

それから終盤のサブクエストの山に関して、もしかしたら作ってる側は「メインストーリーの尺をなるべく最小にしてラスボスまで早く行けるようにする」と言うサービス心のつもりなのかもしれないが、だとしたらそれは大間違いだ。

ストーリーを早く進めたい人間はラスボスを倒したいんじゃない。物語を見たいんだ。

ストーリークリア後にコンテンツが解放されるMMOと違ってストーリーがメインなんだ。

なのにそのストーリーをおざなりにしたら評価が落ちるのは当たり前だ。
モンハンのようにストーリーよりもゲーム性を重視している作品ならそれでも良いが、君たちが作っているのはRPGなんだろ?

ジャンルによって顧客が求めてるものが違うなんて当たり前の話から始めるか?

ミステリーが好きでミステリー小説買ったのに突然剣と魔法のファンタジー始まったらどう感じると思う?君たちがやってるのはそういうことだ。

いつまでMMO作ってるつもりだ、いい加減切り替えらんねえのか!






◆まとめ

長くなったが以上が私のFF16に対する所感である。

どこに重点を置くかで評価が変わる非常に難しい作品だが、雰囲気ゲーやオマージュ作品としてはかなりの出来であり、中盤からの演出も私は非常に楽しめた。

結局のところ評価を落としている一番の原因は基礎すら出来ていないメインストーリーなのだろう。黄金のレガシーと同じだ。

何度も言うが、これでRPGを名乗っているのは同業他社に失礼だ。せめてロールプレイの意味を調べてから出直してほしい。

雰囲気ゲーとしては100点でも150点でも200点でもあげたくなるし、要所要所の演出もぴか一。そういう部分だけしか見ずに済んだなら間違いなく神ゲーだったと私は胸を張って断言した。

しかしRPGを作ろうとして出てきたのがこれなら50点しかあげられない。ギリギリ赤点。よく出来ているが一次審査の時点でカテゴリーエラーで弾かれる。ちゃんと最低限の募集要項は守りましょう。

黄金のレガシーの感想にも書いたが、私が指摘しているストーリーの欠陥は脚本術の基礎中の基礎だ。少し勉強すれば誰でも理解できる、才能もセンスも必要ない初歩レベルの話だ。

そんな基礎すら疎かなままで金をもらおうというその姿勢こそが、はっきり言って舐めている。だからクオリティに対して評価が悪くなるんだ。

娯楽とは極論、食事やインフラと違って生活には不要なものだ。何かを切らなければならない場合、真っ先に切り捨てられる。

だからこそ最後まで選んでもらうためにも、娯楽を提供して飯を食う人間は舐めた真似はできないはずなのだ。

娯楽は消費者に選ばれて初めて価値を持つ。どんなに作りこもうが、どんなに金をかけようが、どんなに素晴らしかろうが、誰にも選ばれない時点でゴミにもなれない不要品だ。

だからこそ娯楽に許されるのは常にall or nothing.
結果を出せたか否かのみで、中間なんてものは存在しない。

結果は出てないけど面白かったよね、なんて言う慰めの言葉は何の価値も持ちやしない。そんなもので満足なら趣味でやれ。会社の金でやるな。何より娯楽を舐めるな。

そんな地獄で戦う覚悟が君たちに本当にあったのか?
そもそも君たちの立つその場所が、そんな地獄だと言う自覚はあったか?

初週売上300万本。これがFF16の現在公表されている売上本数であり、世間からの評価だ。これを多いと思うか少ないと思うかは人によるだろうが、私はこの売上を厳しい目で見ている。

ただし、初週で300万本しか売れなかったからじゃない。
二週目以降の売上が全く出ていないからだ。

累計売上本数が何本にしろ、ゲームの売上において私が重視するのは作品の売れ方だ。

私はゲームの評価を行う場合、初週売上本数にはあまり意味がないと考えている。理由は様々。

例えば旧FF14は誰もが知る失敗したオンラインゲームとして悪名を轟かせ、ついには新生するまでに至った誰の目にも失敗した作品だが、そのサービス初日は同接10万人を越えるゲームだった。

例えば最近サービス終了で話題になっていたブループロトコルも、初日の同接は20万人を超えたと言われている。

或いは小説(というかライトノベル)やマンガなんかでも、1巻の売上は絵の力、2巻からが内容の力とよく言われるがつまりそういうことだ。

初週の売上はその作品の実力じゃない。その作品に寄せられた期待の大きさだ。

初週の売上の300万本は、先人たちが築き上げたファイナルファンタジーと言うブランド力と、FF14を立て直した吉田直樹の名前。
そして会社の多大な広告費で持ち上げてもらった300万本でしかない。

吉田Pも長い目で売れることを目標としている、なんて言ってた以上、そのことを理解しているはずだ。

そして結果は初週でパッタリと売上が止まった。スクエニからは期待に届いてないとハッキリ言われた。

これでまさか『十分な成果』とでも言うつもりなのか?舐めるのも大概にしろ。

そろそろ甘えた遊びの時間を終わりにして、本気で娯楽を作ることに臨んではどうか。

何時間残業したとか開発に何人携わったとかいくらの金がかかったとか過去に何を作ったとか、そう言う自己満足の類が一切許されない、結果が全ての地獄にそろそろちゃんと向き合ってはいかがか。

こういう言い方をするとプロに対して失礼だと言う意見をたまに返されるのだが、私からすればその発言自体がプロを舐めている。

金をもらってるからプロなんじゃない。誰かに選ばれるからプロなんだ。プロだから凄いはずだとかいう舐めた前提で物を語るのをやめろ。
そしてこの作品は選ばれなかった。少なくとも選ばれたと言える成果じゃなかった。

それでも商品を出せれば誰でもプロとでも言うつもりか?そんなのは舐めた仕事をしても人の命には影響がない世界だから許される文言だ。

リコールなんて制度があるのは何故か考えたことがないのか?
だから娯楽を舐めている、プロを舐めていると言っているんだ。

売上本数で世間の評価を語るのが気に入らないならば、もっとリアルな話をしよう。

今のご時世、本当に面白いゲームの情報というものは探しに行かずとも勝手に流れてくるものだ。

その証拠に私は全く興味のないジャンルのゲームでも情報だけは中途半端に知っているものがいくつかあり、今では立派なエア馳せ人、エア牢人、エア勇者、エア狼etcを兼任している。

或いはインディーゲームと呼ばれる小規模なものでもいくつか面白そうなものの情報が勝手に入って来るし、実際それでいくつか買った。

そしてそう言ったユーザーの盛り上がりこそが新たなユーザーの呼び込みに繋がり、二週目以降の売り上げを作り上げていく。AC6などが顕著な例だろう。

では聞きたい。FF16にはあったのか?そう言ったユーザーの盛り上がりが。

どんなに一部のユーザーが持ち上げようと、人とは実に正直なものだ。言葉ではなく行動で己の真意を語ってしまう。

何かを作るのは大変なことだ。それを広めるのも大変だし、ましてや対価なくそれらを行うのはもっと大変だ。

だから大抵は何かを体験して、消費して、「楽しかった」で終わってしまう。何かを生み出す側に回ることは殆どなく、次のコンテンツを求めて去っていく。

口ではどんなに擁護出来ても、何かを無償で生み出すほどの労力は払えない。行動までは起こせない。それが人だ。

しかし、中にはそれをやってしまう人間がいる。対価がもらえるわけでもないのに、何かを生み出そうとする人間がいる。そんな人々が大きなムーヴメントを起こすことがある。それはなぜか。

もちろん承認欲求から来る場合もあるだろうが、一つの大きなムーヴメントを起こすような熱は、そんなチャチな理由だけでは起こり得ない。

あちこちで話題になり、情報が溢れかえり、興味ない人間ですらエアプレイヤーにしてしまう。それほどの勢いを生み出すには、火付け役となる一次作品が必要なのだ。

良い作品に触れると、人は感性を刺激される。感性を刺激されるとインスピレーションが溢れ出し、この思いつきを何かに残したいという衝動に駆られる。

その衝動がついに抑えきれなくなった時、人は何かを生み出す側に回るのだ。

だから人は感想を書く。絵を描く。小説を書く。マンガを書く。時にはゲームを作る側になり、時にはそれらの良さを語る立場になる。

溢れ出る衝動をぶつけ、レシートのような感想文が生まれる。バカみたいな厚さの小説が生まれる。狂気的な書き込みが施された絵が生まれる。そうしてまた誰かのインスピレーションを刺激し、新たな何かを生み出していく。

その連鎖はやがて大きな熱となり、一つのムーヴメントを起こして様々な人を巻き込んでいくのだ。

そこでもう一度問いたい。FF16はどうだった?

どうして私はネタバレ避けなど一切していないにも関わらず、精々トルガルを撫でられるくらいの情報しかこのゲームについての情報を知らなかったのか。

この一年間、なぜネタバレらしいネタバレも踏むことなく、FF16の完全初見プレイを楽しめたのか。

そういう界隈が大好きそうなミドのこともルサージュ卿のことも、この作品をプレイするまで全く存在を知らなかったのは一体なぜだろうか。

なぜ私はクライヴとジルのことしか知らなかったのだろうか。

発売当時、一体どんなムーヴメントが起きたのか。今になって私がその答えを知る由はないが、その問いに対する答えこそがFF16に対する世間の評価そのものなのだと考えている。

結局、吉田Pもあれだけ散々批判してきたFF病患者の仲間入りをしてしまったようだ。

誰が、何を求めているのかより自分たちが何を作りたいのかばかりを追求し、結果会社を傾ける。
本当に良いもの、の定義を決めずに目に見える良さばかりを追求する。

そういう姿勢が今のスクウェア・エニックスの業績に結果として出てきているというのに。

次のFF、ひいてはスクエニ作品を買うかはわからない。元々RPGが好きな人間なので面白そうなら買うと思うが、正直もうスクエニには期待していない。

今まではハーヴェステラのような、ちょっとズレてて結果も振るわなかったがそれでもプロ根性を感じるようなゲームもあったが、これからのスクエニにはそれも期待できそうにない。

これからスクエニが出すのはきっと、FF16やFORSPOKENのような、行きすぎた自己満足が開発費となって己の首を締め上げる、誰をターゲットにしているのかさっぱりわからないながらも金だけはかかっている作品ばかりになるのだろう。

質とは量を積み重ねた先にこそ生まれる。そんな当たり前のことすら知らないのだから、私から言えることはもう何もない。

悲しいことに、あれだけ好きだったスクエニ作品のメインターゲット層から、いつの間にか私は外れてしまったらしい。

ならば私が最後にできるのは、貴社ますますのご隆盛をお祈りすることくらいだろう。

面白いRPGが出来たらまた呼んでくれ。
手のひらを返して土下座する準備をずっとしておくからさ。

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