貯金魔
母方の祖父は関西の人で、少しは「持っている」はずなのに、お小遣いやお年玉はほとんどくれなかった。その代わり、誕生日やクリスマスでなくても、パッと何かを買ってくれることがあった。ただ、調子に乗ると「無駄遣いしたらあかん」と釘を刺されたが、本当に必要なもののためには、案外すっとお金を出してくれた。
自分が貯金魔になったのは、この祖父のせい(おかげ)である。卵の形をした赤いプラスチック製の貯金箱をもらったのがきっかけだ。祖父がコインを入れてみせると、卵がゆらゆら動いた。それがおもしろくて、お金が手に入るたびに(いつも10円玉だったが)卵をゆらゆらさせては喜んでいた。
赤い卵が10円玉でずっしり重くなり、ヒビが入ってきた頃、別の貯金箱をもらった。いわゆる「パックン貯金箱」だ。PACKMANの手にあたる部分にコインを乗せて押すと、勢いがついて口が開き、お金を食べてしまう仕掛け。やはりその動きがおもしろくて、お金をどんどん入れたいのだが、100円玉くらいの重さがないとうまくいかない。残念なことに、気前よく100円をくれる大人が周りにおらず、なかなかコインを放り込む機会はなかった。
それでも、手に入ったコインは必ずPACKMANに食べさせ、少しずつ貯めていった。壊さずにいつでも開けられるタイプの貯金箱だったので、時々中身を確認しては、ニンマリしていた。次第に10円玉よりも100円玉が増えていった。
パックン貯金とは別に、ついでに自分の誕生年に発行された硬貨も集めるようになった。これには大人も比較的協力してくれたものだ。
中学生くらいになると、500円玉貯金を始めた。最初はただ集めていただけだったが、そのうちに目標ができる。原付バイクを買うのだ。当時、16歳の誕生日が来たらすぐに原付免許を取るつもりだった。まだバイトなどできなかったし、定期的にお小遣いをもらっているわけでもない。それでも、大人の手伝いをしてお駄賃をもらったり、手持ちの100円玉を500円玉に両替してもらったりしているうちに、少しずつ貯まっていった。
16歳になって免許を取り、とうとうホンダのブルーの原付を手に入れた。品定めのために何度も通ったバイク店のおばさんが、500円玉貯金のことを知って「えらいね」と褒めてくれた。身内は誰も褒めてくれないものだから、うれしかった。そうだ。貯めてみるものだ。そして貯め込むだけではなく、使ってみるものだ。
大人になった今も、貯金は大好きである。「増やす」のは苦手でも、貯めるのは得意だと自負している。要は相当のケチなのだが、自分が本当に欲しいものにはパッとお金を使い、家族に驚かれることがある。その心理はうまく説明できないけれども、無駄遣いをするのが嫌いな分、人や自分を喜ばせるためであれば、お金を使ってもいいと考えている。そのための貯金だ。
そういえば、大学生の頃に祖父から「株をしたらええで。賢いからできるやろ」と、何度もすすめられた。どうやら孫を使って自分も一儲けしようと考えたらしい。当時、祖父の言うことを聞いて面倒くさがらずに株の勉強をしていれば、今頃は「増やす」ほうも上手になっていたかもしれない。
残念で仕方がない。