一期一会
振り返れば、2023年は高校野球、プロ野球、大リーグと、野球界の話題が多い年だった。その中でも今年最後の大ニュースといえば、大谷翔平選手のロサンゼルス・ドジャースへの移籍だろう。そしてドジャースといえば、1967年に訪れたドジャースタジアムを思い出す。
それは日本からわざわざベースボールを観に行く人などいない時代、野茂英雄選手が日本人として初めて入団する30年ほど前のことである。シリコンバレーのメンローパークに滞在していた当時、せっかくならやはり大リーグの試合が観たいと、ナイターに出かけた。西宮球場や甲子園球場によく通っていた私は、まずスケールの違いに圧倒された。とにかく広い。対戦相手は忘れたが、リフレッシュタイムの「セブンスイニング ストレッチ」に騎兵隊の格好をした騎馬軍団が球場内を走り回るのには驚いた。20頭はいただろうか。元気よく駆け回る様子に胸が躍った。
今回、大谷選手がドジャースを選んだのは、球団の持つ魅力もその理由のひとつだろう。とくにオーナー会社のグッゲンハイム・ベースボール・マネージメントに惹かれたのだとおもう。契約発表の時に大谷選手のそばに立っていた筆頭オーナーのマーク・ウォルター氏には、確かに他球団の関係者には見られない品のよさと魅力を感じた。さすがグッゲンハイムだ。
ロサンゼルスで野球観戦をした前年は、ヨーロッパにいた。滞在していた英国から、夫の愛車コルチナ・ロータスでイタリアを旅行したことがあった。1966年当時のシチリアは怖いマフィアの島だと恐れていたが、ローマの知人に「車での移動なら大丈夫、ぜひ行ってきなさい」と勧められ、出かけてみることにした。緑と赤のミシュランガイドを1冊ずつ携え、ローマから南に下った。名所旧跡と宿泊・食事の情報は、この2冊があれば心強い。
ナポリを過ぎると、侘しいけれども明るい風景に変わった。途中、兵隊に車を停められて尋問(?)される場面もあった。イタリア半島最南端のレッジョ・ディ・カラブリアからは、フェリーでシチリア島メッシーナへ向かった。
そのフェリーの上で、オリンピック・イタリア代表の射撃選手に出会った。同行していた監督が英語を話し、「1964年東京オリンピックに行ったんだよ」と教えてくれた。気さくな監督の傍らで、オリンピック選手は手を組んで静かに立っていた(調べてみると、どうやらエンニオ・マッタレッリという人らしい)。ちょうどクリスマスの頃で、甲板は少し冷たい風が吹いていたが、空も海も青く澄み渡り、射撃選手の目も見事な空色で澄みきっていた。眼がいいんだ。きっと、的がくっきりはっきりと見えるのだろう。あのきれいな瞳は忘れられない。
メッシーナに到着し、シチリア島を左外周りで一周することにした。遺跡好きの私は、心を弾ませながらアグリジェントを目指した。今でこそ世界各地の遺跡は整備されて歩きやすく、人で大賑わいだが、1960年代のイタリアではアッピア街道の墓や塔の廃墟で暮らしている人々がいたものだ。
アグリジェントはギリシャ神殿の遺跡で、小高い丘の上にあり、木々に囲まれていた。誰もいないし、遺跡を囲む柵などもない。丘を目指して歩いて行くと、突然、木陰から杖を持ったオッサンが現れた。よく日焼けした顔で、身なりから推測するに、羊飼いなのだろう。こちらへ寄ってきて、手のひらをぱっと開いて見せた。手にはコインが乗っていた。「これ、どうだい? 買わんか?」と言っている。あっ、古代ローマコインだ、欲しいなとおもったものの、お金を出したりしたら最後、身ぐるみ剥がされるか、バラバラッとマフィアが木陰から現れるのではないかと怖くなった。いらんいらんと断って一気に神殿まで上り、写真を撮ってから取って返し、そそくさと車でその場を離れた。
結局、オッサンは別に何もしなかったし、断った時点で「そうかい」というふうにスッといなくなった。やっぱり、あのコイン買えばよかったか。今でも残念でならない。
「一期一会」は茶道の心得を表す言葉だが、一生に一度だけ会った人や行った場所のうち、自分の宝になっているもののことであると、私なりに解釈している。ドジャースタジアム、イタリアの射撃選手、アグリジェントの羊飼いは、どれもずっと大切にしている宝、「私の一期一会」である。
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