フレンドリー科で自習
最初にあれの答え合わせをやって、
とりあえず鎮まらせよう。
それからこれを読んで、
教科書のここからここまで進む感じかな。
大事なのはこことこことこの辺か。
それ以上深入りしても難しそう。
それをどうやって説明しようか。
黒板にどう書(描)こうかな。
たぶん、こういう感じの言い方で
こうで、こうで、こういう順番が
伝わりやすいかな。
授業に行く前は、当たり前だけど
そんなふうに50分のシナリオを
メモ、ないしは
心に作っていく。
いくらメモして行っても、
何度も脳内シミュレーションしてみても、
緊張したり、
偶発的な事件が(しょっちゅう)起こったりするので、
ぱっと、頭から言うべきことが
吹き飛んでしまうこともある。
昨日は授業中、ふと気になった
ソクラテスとプラトンの年の差を、
黒板の前で計算しようとしたら、
スイッチが入って引き算が出来なくなって、
高校生に計算してもらった😊。(43歳差だそう)
シナリオが現実の彼らに合うかも、
やってみないと分からない。
やってみないと分からないから、
その授業の最初のクラスは
ほんとうに緊張する。(特に新しいほうの学校は…。)
季節、気温、時間帯、何の授業の後かにもよる。
だけど、思う。
やる内容や作業は、
あらかじめ考えておかなければ
授業にはならないだろうけど、
9割は、台本通りでいいと思うけど、
でも、最後の1割は
台本ではなく、
わたしがそのことについて、
知り、考えている、心の中を
そのまま、教卓の上に
そっと置いてみせるような
自然な授業ができないかな。
教室の生徒たちのちょっとしたざわざわや、
自分の緊張…で、
簡単に崩れてしまうような、
抱っこひもから布団へ降ろされる
とある赤ん坊の眠りのようにもろい
わたしの思考を、
静かに取り出して
そこに置いて見せることはできないかな。
いつかまた、この仕事を辞めるまでに
そんな日は来るだろうか……?
テスト週間の自習中、
想像より真面目で落ち着いた
フレンドリー科(おしゃれ科の後輩)を
眺めつつ、考えているわたし。
「先生~、テスト何が出ますか~~?
プリントから~? 教科書から~?」
ふわ~っと、質問が飛んでくる。
「どっちかというとプリントかな。
でもまあ、
まず、教科書を読んでみないと分かんないんじゃない?」
と、わたし。
まず、教科書を読む……か、と、自分で思う。
心の中に、わたしの教科書が出来るまで
教科書ともっと仲良くなったら、
そういう授業もできるのかも。
「…おい、ボスが見とるぞ…。」
誰かの声に、みんなが一斉に廊下の方を向く
「や、そっちじゃなくて、渡り廊下…。」
みんなの頭が、一斉に反対側に向いて確認して、
ちょっと不自然にさりげなさを装って
教科書の上に視線が戻る。
わたしからは渡り廊下は見えないが、
なるほど、それで真面目なわけだ……。
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