法服を着た烏合の衆
悲報:この国は完全に終了しました。
THE END
立法・司法・行政が「三権分立」どころか、分かちがたくがっちり絡み合って一つに融合しています。かてて加えて「政教分離」も見るも無残に踏みにじられ、戦後民主主義の終焉となりました。
もしかすると、1945年8月15日をもって地球上から消滅していたはずの極東の小国が、何かの間違いでかろうじて延命していただけなのかもしれません。
野中しんすけさんの動画から
明らかに憲法に抵触する「人権侵害」以外の何物でもない「マスクの強要」を最高裁があっさり追認してしまいました。
理由は
あのときは仕方なかった
「正義」や「真実」より「同調圧力」を尊重する判決ですね。
お隣韓国の「情緒法」よりもはるかに酷い。
法執行機関が絶対に吐いてはいけないセリフです。
未来永劫、多大な禍根を残すことになるのは間違いありません。
まあ、それ以前に「日本」という国がなくなってしまうでしょうけどね。
その屁理屈が許されるなら、いくら法を破ってもオールOK!
裏金議員も、今話題のお笑い芸人も
あのとき(の雰囲気)なら仕方なかった
ナチスによるユダヤ人大量虐殺ですら、
あのとき(の雰囲気)なら仕方なかった
と正当化できるわけです。
裁判所が「雰囲気」や「秩序」を持ち出したら、完全な責任放棄。
「雰囲気」に流されて、そのときそのときで判決がころころ変わるようでは、法への信頼性は失われ、誰も従わなくなります。
裁判所が自ら法治国家を破壊することになるのです。
大事なのは「科学的真実」ただ1点。
それだって、新たな発見により覆されることはありますが、その時点で「最も確かだと考えられる知見」に従うことが、判決の一貫性を担保することになり、信頼感を生むのです。
この裁判で問われたのは、「議場の秩序」ではありません。
「マスクの科学的妥当性」です。
それがなければ、マスクの強要は明らかな「人権侵害」となります。
各分野の科学者を証人として呼び、「マスクをすることに本当に意味があるのか?」を調べなければいけなかったのです。
「マスク有効説」を唱える学者先生は、合理的疑いなく、きちっとそれを証明しなければいけません。証明できない限り、「マスクに意味はないもの」と推定しなければいけないのです(無罪推定の原則)。
証明責任は「マスクは有効」と主張する連中にあります。
でも、最高裁の判事なんて、そろいもそろって極度の科学音痴、はっきり言えばトウヘンボクばかり。ろくな「法哲学」すら持っていない烏合の衆(法服姿はまさにカラス)。
難しいことはわっかりませーん!
そりゃそうでしょ。だって、「今何が問題なのか」すらわかっていないのですからね。
仮に日本がなくなっても、いずれ「マスクなんて無意味である」ことは、科学が必ず証明します。
そのとき、情緒に流され間違った判決を出した最高裁の面々は、「何も考えないノータリンの集まり」だったと嘲笑されることになるでしょう。
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