こながしんたろう

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  • マスクに関する科学的考察

    「新型コロナ」は科学を無視したウソ・デマの連続です。「科学的真実」を文系にもわかりやすく解説します。

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「陰謀論」こそ「真実」でした

マスクに感染予防効果はありませんでした。 アクリル板は、むしろを感染を拡大させました。 アルコール消毒は人体に有害でした。 ロックダウンや人流抑制は、ただ経済を破壊しただけでした(そのせいで、「経済苦」「孤立感」から命を絶つ人が急増しました)。 ワクチンは1回打てば十分でした(本当は一度も打つ必要がなかった)。 これらは、WHOをはじめ多くの機関の調査研究で明らかになった「事実」です。 「陰謀論」は「陰謀」どころか、紛れもない「真実」だったのです。 「専門家(と

    • そういうことです

      ①「越境攻撃」などというものはありません。 それはただの  侵攻 です。 ②検証もせずにワクチンを打ち続けることは、 宝くじの当選番号も確かめもせず、当たったつもりで高額の買い物を繰り返すのと同じです。

      • ケネディJR.は極めて「科学的」である(感染症専門医なんかより)

        私だって、ケネディJR.の主張を何も疑わずに100%受け入れているわけではありません。 疑問を感じる点は多々ありますが、大事なのは ●ワクチンを再検証する この1点! それこそが、世界を正常化する出発地点になるからです。 前回も書いたように、科学は「再検証」により修正・訂正を繰り返し、ちょっとずつ進歩してきました。なのに、現在はどこの国もコロナワクチンの効果検証を一切行おうとしません。 それどころか、世界中の研究機関が独自に検証を行った研究を「報道しない(させない)」と

        • 「反ワク!」「陰謀論者!」は「金銭的補償を放棄する」宣言です

          アインシュタインの相対性理論は、  光速不変 という観測事実に立脚しています。 それがすべてのスタート。 裏返せば、もし「たった一度でも」光速が不変でなかったから、かの精緻な理論はあっけなく崩れ去ってしまう、ということです。 どんな運動をする観測者に対しても、光速が常に一定(秒速約30万キロ)であることは、幾多の実験で証明されています。有名なのが「マイケルソン・モーリーの実験」(興味のある方は検索を)。 「相対性理論は間違っている!」と唱える人々の中には、光速を測った

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        記事

          「反ワク陰謀論者」→「ワク懐疑派」

          以前に書いた記事。 既に幾つかのメディアは、RFKJr.を「反ワクの陰謀論者」ではなく「ワクチン懐疑派」と呼称を改めつつあります(笑) 手のひらをグルングルンひっくり返し過ぎて、記者さんの手首の疲労骨折が心配です。 来年1月の正式就任時には、 「ワクチン問題に詳しい」 「長年薬害事件に取り組んできた」 となるのは間違いありません。

          「反ワク陰謀論者」→「ワク懐疑派」

          朗報「ケネディJr.厚生長官に」

          情報に早い皆様、とっくにご存じかと思いますが。 てっきり、劇的な効果を狙って来週の11月22日に発表するかと思っていました。そう、1963年11月22日は、彼の伯父がダラスで凶弾に倒れた日ですから。 それなら、いかにも「故ケネディ大統領の遺志を継ぐ者」的な印象を与えられますからね。 ともあれ「朗報」です! しかし、マスゴミさん、「反ワクチン活動家」というステレオタイプな表現、あまりにダサいのでもうやめませんかね? それを言うなら、厚労大臣や日本医師会は ワクチン原理主義

          朗報「ケネディJr.厚生長官に」

          『チ。』について

          「珍コロ騒動」や「マスク信奉」を当ブログでは、しばしば「天動説vs地動説」に例えてきました。 この問題は、言い換えれば「宗教vs科学」であり、科学史を学ぶ上でも、とりわけ面白い逸話の一つです。 人類とは、かくも愚かで、かくも賢いか。 皆さんは、現在NHKで放送中のアニメ『チ。-地球の運動について-』をご存じですか。 原作漫画自体は、数年前に評判になったもの。 「史実とまるで違う」といった辛口批判もあるようですが、こなが自身は、極めてシリアスなテーマを備えた良作だと思いま

          『チ。』について

          米大統領選に関する私見(オマケ記事追加版)

          まず、私自身は決して「トランプ支持者」ではありません。 彼の公約・政策には異を唱える点も多々あります。 例えば、いかにもキリスト教的価値観である「中絶禁止」には、一切の宗教を信じない私は強く反対します。胎児のみならず妊婦自身の生命・健康に関わる問題ですから、(ワクチン接種同様)「自己決定権」を認めるべきだと考えます。 ※中絶の自己決定権を訴える米民主党政権が、ワクチンに関しては「強制接種」を認めようとしたのは、いったいどういう裏があったのでしょうかね? 実を言うと、私は「リ

          米大統領選に関する私見(オマケ記事追加版)

          なぜ「決定権」を他人に委ねるのか

          記事は読者にこう問いかけます。 この問いに対する答えは、至ってシンプルです。 「自分で調べなさい」 日本人であれば、きちんと9年間の義務教育を受けているはずです。読み書きもできますし、書店や図書館に行けば「細胞のしくみ」をわかりやすく解説した書籍が並んでいます。 いまどき、インターネットで簡単に検索することもできます。 専門家同士で意見対立があるなら、問題の根本を自分なりに読み解き、結論(どちらの専門家がより真実に近いか)を持つことができるはずです。 記事を書いた記者

          なぜ「決定権」を他人に委ねるのか

          権力者と文学センス

          どちらの小説も読んで面白いのですが…… 「そして誰もいなくなった」「オリエント急行の殺人」の“デイム”アガサ・クリスティ作品は、<文学>ではありません。 対して、「シャーロック・ホームズの冒険」「バスカヴィル家の犬」の“サー”アーサー・コナン・ドイル作品は、れっきとした<文学>です。 ちなみに、それぞれの名前の前につく「デイム」「サー」は、当人1代だけに与えられる「貴族」の称号(世襲でない)で、女性は「デイム」、男性は「サー」になります。 このように英国では、一介の小説家

          権力者と文学センス

          2020年にこながの考えたこと

          こながさんは、なぜ一度もワクチンを打ってないの? この質問に対する答えは簡単明瞭。 最初から 「新型コロナは大した感染症ではない」 と知っていたからです。 2019年秋、最初に中国・武漢で呼吸器感染症の症例報告がされ、その原因が「コロナウィルス」の一種であると聞いて、 なーんだ、ぜんぜん心配する必要ないや と思ったものです。今となっては懐かしいなあ。 コロナウィルスは、代表的な「風邪ウィルス」の一つ。 万が一、SARSのように病原性の高い「新種」であれば、死亡率

          2020年にこながの考えたこと

          薬害を防ぐには

          サリドマイド、薬害エイズ…… いずれも共通するのは ①当初は危険性を示す科学的データがなかった ②危険性がわかった以降も、それを隠して使用を続けた 「困窮していない」ことと「裕福である」がイコールでないのと同様、「危険性を示すデータがない」ことは必ずしも「安全である」ことを意味しません。 あくまで「その時点では」の限定つきなのです。 また、お役人は利権(キックバックや天下り)を守るためなら、当該製品の在庫が捌けるまで使用禁止にしないものです。 本気で薬害事件を根絶し

          在庫処分の時間稼ぎ

          ※これはフィクションです。実在の人物・団体とはいっさい関係ありません。 企業が新商品を市場に投入する場合、発売前に必ずモニター調査を行います。一般人希望者を一室に集めて、実際に試作品を使用してもらい、座談会形式で感想を述べてもらったり、細かいアンケートを集めたりするのです。 読者の中には、そうした調査に参加経験のある方もいらっしゃるかもしれません。 例えば、新商品のチョコレートなら、数十人のモニターに試食してもらい、味の感想、売価やパッケージ、キャッチコピーの印象を尋ね、

          在庫処分の時間稼ぎ

          科学論争と名誉毀損

          自身の主張が真に科学に立脚したものであるなら、非科学的な誹謗中傷を繰り返す相手に対し、一貫して「理詰め」で説明し、理解してもらおうと努めるはずです。仮に当の本人には納得してもらえなくても、対決を端で見ている第三者からは、共感と賛同が得られるでしょう。 なのに、どういうわけだか、「推進派」の方々は科学的論争を避けて、すぐに「名誉毀損」を持ち出してきます。これは、多少なりとも科学を志す者には、あってはならない恥ずべき行いであり、「論点ずらし」以外の何物でもない。 科学の世界では

          科学論争と名誉毀損

          他者の自由と自分の自由

          いまだに残党どもが街をゾンビのように徘徊していますが、「マスク教」が全盛を誇ったころ、私は マスクを着ける自由を守りたければ、マスクを着けない自由を守れ と書きました。 「他者の権利を平気で弾圧する」ということは、同時に「自身の権利が抑圧され得ることをも許容した」ということなのです。「他人は駄目だけど自分はいい」という虫のいい話はこの世にありません。 「次世代ワクチン」接種者の入店を拒否する店が増えているんだとか。それを「専門家」先生は、「非科学的(科学的根拠がない)」

          他者の自由と自分の自由

          「バカ」を定義すると

          一般的に、脳のキャパが少なく、たった一つの思いつきで、たちまち上限に達してしまう人のことを「バカ」と呼びます。 さまざまな要素を考慮に入れた複雑な思考が苦手で、どんなことでも「単純な結論」に飛びつきたがります。 例えば、「お金が足りないなら大量に刷りまくればいいんじゃね?」と、結果ハイパーインフレを引き起こす途上国の独裁者のような人です。 困ったことに、そういう「バカ」に限って自信満々で、自己をとんでもなく過大評価しているため(心理学でいう「ダニング=クルーガー効果」)、

          「バカ」を定義すると