思い出すじかん
猫がいなくなってから15日経った
亡くなった当日の夜に焼いてもらい、骨になって帰ってきた
その骨を小さなカプセルに入れて、毎日持ち歩いている
それとは別に、遺骨リングとやらを製作中だ
それが完成すれば、もっと身近に猫を感じられる
早く届かないかなと首を長くして待っている
猫が亡くなったことに対して、かなり気持ちの整理がついた
毎日泣いていたのが2日に1回になり、かわいかったなぁともう「過去」にできている
そういえばあの動画が見たい
とふと思った
そうだ、声が聞きたい
あのたくさん鳴いていた動画を見ようとカメラロールを遡る
遡れば遡るほど、元気でまるまるとした猫が出てくる
触れたい、匂いをかぎたい
気がつくとボロボロ泣いていた
なんだ、まだ全然ダメじゃないか
これを書きながらも目から涙があふれてくる
匂いも、さわり心地も、まだ全然忘れていない
忘れたくないし、ずっと覚えていたい
「あれは全部ウソで、実は生きてましたー!」なんてドッキリだったらいいのに
こんなことを考えてしまうのは、猫自身がまだ忘れてほしくないからだろうか
記憶はいつか薄れる
どんなに大きな出来事も、時間が経てば思い出になる
あなたの骨をこれから指輪にして、私が死ぬまでずっと一緒だから、絶対忘れてやらないからね
早く生まれ変わってきて、また私のところへおいで
そんな気持ちで、今日も生きる