好きなものって いつの間に好きになったんだろう 「これを好きになりなさい」なんて言われなくても勝手に好きになっているものだ いつしか周りを取り囲み、「自分」を形成するための材料になっている 粘着質な物語が好きだ ハッピーエンドもいいけれど、人間の嫌な部分が滲み出ている物語は見ていておもしろい また、少し不気味なものに惹かれる 見るだけでは足らずに、自分でも描いたりする 不気味なものを見ていると安心するのだ 混沌とした世界を眺めていると、心が穏やかになる そしてまた
とてもよく考えて、 シルバニアの猫ちゃんを購入した よく考えたのは、少し高価だったからだ なぜか目が離せなくて、ショーケースの前を4往復したあとにお迎えを決めた 毎日眺め、うっとりしている 人形なのに命があるようで、愛らしいと感じる ふと思う あの時にとても安価だったら大事にしただろうか 簡単に手に入っていたら、 こんなに大事にしなかったのではないか いやいや、そんなことはない モノは同じなのだからと考えたが、 本当にそうか?と思ってしまう これは極端な例だが、
私はあまり喋らない どうにも雑談が苦手で、「いかに人と話さなかったか」で今日の幸福度が変わる ほとんど会話せずに退勤できた日は、かなり機嫌が良いと思う 周りからはおとなしい性格と思われていそうだが、むしろ真逆だ 『何も考えない』ができないので、 常に何かについて考えて、どこかへ行ってしまう ぼーっとしているのではない 思考が溢れて頭が忙しいのだ だけど不思議 帰路について猫を見ると思考がシンプルになる かわいいな いい匂い そんな幸せな考えで満たされ、今日もよ
猫とわたしの話 猫には兄弟がいて、いつも2匹セットだった よく絡み合って寝ている姿を見ていたし、互いに毛づくろいをしてあげていた 残された子はどこへ行くにもわたしに付いてまわるようになったが、まぁ普通に過ごしている つい先日、ぼーっとしていたら3ヶ月前に亡くなった猫のことを思い出した 大きいカラダにおとなしい性格、まだ1才なのに妙な貫禄があった いかにも強そうな見た目をしていたのに、病気で食欲が無くなり、そのままあっけなく天国へ旅立った 最初に思ったのは、「置いて
こんな小娘が可愛い書いたnoteなんぞ、あまり見られることもないだろう 今から少しだけ遡って幸せな記憶をここに記す あれはおそらく真夜中 夫が帰宅した わたしと猫が眠っているベッドに近づく なぜか左手を握られた 夫が幸せそうに笑っている 意識がはっきりしないわたしは、猫と間違えたのだろうと「猫はここだよ」と説明する 少し間があき、猫のおでこを撫でて「ただいま」と言っているのが聞こえる あぁ、猫と間違えたのではなくわたしの手を握りたかったのだなと納得し、また眠りに
人との距離感がわからない 仕事をしてるときは『職場の人』という前提で話をしているのできちんと棲み分けができる ただ、友だちになりたい人とどう距離を詰めたら良いのか途端にわからなくなってしまう この人興味深いなと思うと、色々すっとばして仲良くしてしまおうとする それと本当にやっかいなのが、こちらの全てを見せれば相手は心を許してくれるのだと思う節があり、言わなくても良い余計なことを言ってしまうのだ 相手は困ると思う そして自分だったらそういうことはされたくない こういう
踏むと音が鳴る木の床のお店で店番をしている 狭くてこじんまりしているけれど、深い茶色の店内が妙に落ち着く カウンターから見える景色は本当に狭くて、狭い通路をまっすぐ行くと2階へ上がる階段がある 階段を上がるとそこはわたしのアトリエで、たくさんの絵が飾ってある 絵はたまにお客様に気に入られて引き取られてゆく そしてまた絵を描く わたしのために、だれかのために そんな妄想をしている私は、電車に揺られながら会社へ向かう まっしろく反射する眩しいオフィスで、パソコンをた
猫がいなくなってから15日経った 亡くなった当日の夜に焼いてもらい、骨になって帰ってきた その骨を小さなカプセルに入れて、毎日持ち歩いている それとは別に、遺骨リングとやらを製作中だ それが完成すれば、もっと身近に猫を感じられる 早く届かないかなと首を長くして待っている 猫が亡くなったことに対して、かなり気持ちの整理がついた 毎日泣いていたのが2日に1回になり、かわいかったなぁともう「過去」にできている そういえばあの動画が見たい とふと思った そうだ、声が
4日前、ねこが亡くなった まだ1歳9ヶ月だった 白血病ウイルスからくるリンパ腫で、いろいろな手を尽くしたが治ることはなかった 神さまはなんていじわるなんだと本気で思った こんなひどい仕打ちって、ないよ ご飯を食べなくなってから1ヶ月の闘病生活だったが、なによりも猫が苦しそうにしている姿を見るのが1番辛かった もう会えないことが悲しくて仕方ないけれど、猫が苦しそうにしているのを見ているよりずっといい 我が家にはもう1匹ねこがいる 亡くなった子とは真逆の性格で、天真爛漫
猫と夫とお気に入りの香水があれば生きていける …って思ったけどそんなことはなさそうだ 大好きな友だちとも遊びたい 姉と妹には定期的に会いたい 思い立ったら絵も描きたいし、海にも行きたい 気に入った服を買って、たくさんの本を読み尽くしたい たまには犬も撫でたい たくさんの愛情がほしい わたしってば強欲 全然質素になれない 死ぬまでにやりたいこといっぱいあるし 行きたいところも山ほどあるし ちゃんと人間してる 死ぬまで好きなことやって生きたい 神さまが願
あぁダメだ よくないこころで満たされてしまう 寒いからだろうか 確信はないが、だいたい冬の終わり、このくらいの時期にこころのバランスがおかしくなる 昔より少しだけ、人を頼れるようになった 『つらい』という気持ちを、身近な人に打ち明けられるようになった 家にいる時はずっと猫に話しかけている 猫にとっちゃ大変迷惑だろうが、言葉がわからないことを良いことに「なんだかわからないけど悲しいんだよ〜」などと声かけしている さて、ここまで書いて思ったこと あ、ここからは読んでくれな
本、映画、絵を描く 「わたし」にとって大切な趣味である 「わたし」はよく思い詰めるようで、起こってもいないことを不安に思い、ひとりで焦りの穴から抜け出せなくなるみたいだ はたから見ても「ちょっと落ち着けよ」と言いたくなるだろう どうやら簡単にやめられるものでもないようで、習性というか、身に染み付いている 深みにハマってしまうと、きっかけがない限り抜け出せない どんどん悪い方向へ考え、思い詰めてしまう 趣味はいい たちまち「わたし」を忘れさせてくれる 本を読んでいる
やらなければならないことがあるのに、手をつけられない 忙しいというのは言い訳で、なんだかんだ理由をつけてやらないだけだ それまではきちんと出来ていたのに、あるきっかけを境に1度サボったら続けられなくなってしまった そんな自分に嫌気がさす ふと目線を下に落とすと、私のひざの上で猫がゴロゴロ言いながら気持ちよさそうに眠っている 撫でるとゴロゴロ音は大きくなり、猫に寄り添うように耳を当てると生きている音が鮮明に聞こえて安心感を覚える 私がどんなにダメ人間でも、猫は私のこ
会話が苦手だ そのため会話のテンポが合う人を大好きになってしまう まぁそれは置いておいて よく、1人でイマジナリーフレンドに話しかけて会話の練習をする イマジナリーフレンドといっても架空の人物ではなく、現実にいる誰かと2人で語り合うという空間を頭の中で作り上げるというものだ 実際に話しかけているように語るため、相手の反応も想像する 相手が言いそうなことを相槌として打ってもらい、自分の考えを一気に話すというのがルーティンだ もちろん相手がいないので自分の考えを一気
好きなことがたくさんある ゲームに読書、飽きたら散歩 気の向くままに絵を描いて、寝る前にギターを弾く こんなにも好きなことがあるのに、いつか飽きてしまう 仕事は大変 週に5日も重い腰をあげて出社する 5日頑張れば待ちに待った休日フィーバータイム のはずなんだけれど 年末年始やゴールデンウィークなどの大型連休で、バランスが崩れてしまう 外出し、お金を使う 帰宅してから「こんなにも使ってしまった」と後悔する 土日程度ならいい息抜きになるのだが、連日休みとなるとたく
なんだか最近になって自分のことを理解してきた気がする 心が動くものや、心地よいと感じる人との距離感 実は喋るのが苦手かこととか こうして文章に書き出すことはできるけれど、自分の考えを人に話すときは言葉に詰まる もはやそれぞれの作業に没頭して話さなくてもいいような関係性がとても心地よい その人が好きで一緒にいるというよりかは、『その人といるときの私が好き』が強いと思う 私は私にとても興味があるけれど、他人は私には興味がないと思っていて 興味がない人のつまらない話を