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人生最初で最後の(?)クレーム電話

30代半ばだった15年ほど前、人生で初めてクレームの電話をかけたことがある。
その時のことをなんとなく書きたくなったので、以下に綴ってみる。

◆◆◆

電話。
それは吃音(きつおん、どもり)のある私にとって、何より苦手なものの1つである。
対面で話すのはまだましだが、電話となると声だけが頼りである。

表情やジェスチャーを交えず、相手の表情も見えない状況で、声のみで用件を伝えなければならないことは非常にハードルが高い行為で、長年にわたり辛酸をなめてきた。

そんな私がとあるスポーツ関連施設であまりに屈辱的な場面に遭遇し、どうしてもクレームをせずにはいられなくなり、意を決してその施設を運営する本社に電話をかけたのだった。

◆◆◆

発端は、同じく吃音のある友人のDさんと一緒に某スポーツ施設へ出かけた時のこと。
受付でDさんが利用希望の旨を伝えようとする。
なかなか声が出てこない。
声を発しようとしてもがき、身をよじらせるようにしている。

受付の中年女性が急に眉をひそめ、不愉快そうに顔を背けるようにし、軽蔑しきった目でDさんをにらみつける。

私は愕然とした。
それまで生きてきて、どもる人に対してこれほどまでに嫌な顔をする接客業の人に出会ったことがなかったからだ。

◆◆◆

私自身、何度もみじめな経験をしてきた。

子どもの頃は雑貨店の天井からぶら下がるようにディスプレイされていた商品を買いたくて、意を決して「あれを…」と指さして言いながら声がつまってしまうと、「『あれ』じゃ、わかりません」とバカにしたような顔で言われた。

大学生の時にはファストフード店で「チーズバーガーセット」と言えず、「これを…」と言いながらメニューを指さすと、アルバイトの高校生に「口で言ってください」とぶっきらぼうに言われた。

大人になってからは、ある店に予約の電話をかけた際、どうしても名前が口から出てこず無言が続くと、「ご自分の名前も言えないようでは困りますねえ」とため息をつかれた。

◆◆◆

私だって普通に言えるものなら言いたい。
でも吃音という不思議なものにとりつかれた人生を生きていかねばならないという現実が、常に目の前にあった。

世間の皆が皆、吃音について知っているわけでも、受け入れてくれるわけでもないのだから、多少は心無い扱いを受けても仕方ない。

いちいち騒ぎ立てていたら身が持たない。

なるべく波風立てず、スルーして世の中を渡っていかなければならない。

そう思って我慢してきた。

◆◆◆

しかし、である。
Dさんに向けたその女性の目つきだけは見逃すわけにはいかないと思った。

まるでくさい汚い生ごみでも見るような目だった。
そして横で見ていたどもる私自身もまた、生ごみ扱いされたように感じた。

「その態度はないでしょう」と抗議したくてうずうずしたが、口に出すことはついぞできなかった。

◆◆◆

帰宅してからしばらく考え、本社にクレームの電話をしようと思った。

が、なかなか勇気が出ない。抗議の電話なんて、人生で1度もかけたことはなかった。
悶々とする中、3日考えてそれでも我慢できなければ電話をかけることにした。

そして3日後。私は携帯電話を手にしていた。
緊張で手に汗をかきながらも、吃音のことで話をするのだから、むしろ思いきりどもりながら話したほうが説得力があるだろうと思うと、少し気が楽だった。

◆◆◆

呼び出し音が鳴ると、すぐに若い女性の声がした。
ちゃんと話が伝わるだろうかと思いながら、息も絶え絶え経緯を説明する。女性はじっくり耳を傾け、丁寧に謝罪してくれて、責任者に変わりますと言った。

しばらくして男性が電話口に出た。
女性からある程度話は聞いたようで、さらに私に詳しく状況を尋ね、平謝りし、その受付スタッフの外見的特徴を訊いてくる。そして言った。

「本人を特定して謝罪させますので、改めてお電話を差し上げてよろしいでしょうか?」

私は迷った。
あの女性と話すなんて嫌だったし、どんな態度をとっていいかもわからなかった。
それに、上層部から言われてしぶしぶ口にするのであろう謝罪の言葉なんて聞きたくもない。
「ご本人からのお電話はけっこうです」と答えた。

そして、今こうして謝罪してくれている本社の人たちが悪いわけではないのにと思うと、急に自分が嫌なクレーマーのように思えて、気まずくなった。

「まぁ、でも、受付の女性は悪気はなかったかもしれないのに、私の過剰反応だったかもしれないですよねぇ」と、私はおもねるように言った。

「とんでもございません。お客様が不愉快な思いをされたのですから、すべてこちらの不手際でございます」

徹頭徹尾、丁寧に対応してくれた。
本社の人も感じが悪くて、かなり苦しい電話での戦いになるかと思っていたが、拍子抜けだった。

誠実に応対してくれたことに感謝を告げて、電話を切った。
人生初のクレーム電話。放心状態でしばし床に大の字になり、天井を見つめていた。

◆◆◆

アラフィフになった今の私なら、もしも接客業の人からどもることで度を超えて侮蔑的な扱いをされたら、吃音という事情があることを説明し、「その態度はないんじゃないですか?責任者の方を呼んでいただけますか?」ぐらいのことは言えると思う。(たぶん)

とはいえ、加齢と共に、そして5年前にうつ発症という打撃を食らってからは、どもることはわりとどうでもよくなり、そのおかげか吃音の症状は軽くなってきたので、そういう場面に出くわすことは今後ないかもしれない。

◆◆◆

15年前の人生最初で最後の(?)クレーム電話。
あの時の私けっこう頑張ったじゃんと、今、ぼんやりと思い返している。

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