マルコ・ポーロ(1/2)
『東方見聞録』の著者、旅行家として有名なマルコ・ポーロは、1254年9月15日ヴェネツィアのカンナレージョ地区の裕福な商人の家に生まれました。
1269年に、父ニコロと叔父マッテオは、第一回目の中国への旅から帰ってくると、翌年17歳になったマルコを連れ、第二回目の東方へと出発します。ニコロとマッテオの最初のモンゴル滞在で、クビライ・カン(チンギス・ハンの孫)から二人は、大使としての待遇と任命を受け、クビライからローマ法王への信書を手渡すことを依頼されていました。
それは、世界についての最新の知識と情報を得るために、教授できる適当な人物をローマからさし向けてほしい、という要望の手紙でした。
1270年ポーロ家の三人は、ドメニコ会の修道士二人を伴い、船で黒海まで行き、1271年陸路に入ると、イラク、イラン、中央アジアを経て1274年元の都、上都に着きます。
しかし途中、モンゴル皇帝の教授役を務めるはずだったドメニコ会の修道士二人は、あまりの陸路の旅の厳しさに怖じ気づきます。そして、とてもこんな危険で野蛮なことはやってられないと、ローマへ引き返してしまいました。
ローマ法王の勅命を受ける修道士ですから、第一級の知識人たちだったのでしょうが、ポーロ家の人たちのような商人とは、心構えが全く違っていたのでしょう。
単に商人と言っても、当時の商人は、多くが貴族階級でありながら、同時に船乗りでもあり探検家でもあったのです。ヴェネツィアは、そうした「冒険する職人」である商人たちによって支えられていました。
マルコ・ポーロと父ニコロ、叔父マッテオは、三年以上の厳しい陸路の旅を終えると、モンゴルの宮廷で大歓迎を受けました。クビライは、ニコロとマッテオとの再会を喜び、国中を存分に視察する許可も与えます。特にマルコをことのほか気に入り、すぐに自分のアドヴァイザーとして、また揚州の総督にも任命しました。
17年間の滞在の間に、中国ならではの特産物から、輸出入の税金等、また都市行政まで常に関心をもって観察しました。
1291年、ポーロ家の三人は、モンゴルの王女を花嫁として、ペルシャの王家へ送り届けるという役目を果たした後、1295年、24年ぶりに故郷ヴェネツィアへと帰ります。
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