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ジェイムズ・ティプトリー・jr『たったひとつの冴えたやりかた』※微ネタバレあり
日本で最も有名なティプトリーの作品といえば、押しも押されぬ『たったひとつの冴えたやりかた』だろう。宇宙に家出をした少女コーティが、脳に寄生した生命体シベローンと共に旅をするこの短編は”泣きSF”の古典として、今でも新品が本屋に置かれている。
ただこの短編、ティプトリーファンからはそこまでウケがよろしくないようで、かくいう僕も好きな作品に挙げる事はない。何故ならこの作品はこれぞティプトリーというような読者を突き放す冷徹さはなく、むしろ終盤はややくどいくらいに泣かせにくる“らしくない“作品だからだ。
しかし最近になって読み直してみると、今までとは違った見方でこの作品が好きになってきた。なので今回はティプトリー好きからみた『たったひとつの〜』のレビューを書こうと思う。
・『たったひとつの〜』はティプトリー版の夏目漱石『こころ』
夏目漱石の『こころ』は、それ以外の夏目漱石の作品を知っていないとなかなか解釈が難しい。漱石といえばこれが芸術だと断言せんばかりに、自信満々の強い作家のイメージだと思う。少なくとも僕はそう。『こころ』の登場人物の中では「向上心のないやつは馬鹿だ」と言い放ったKが若い漱石にあたるだろう。しかしこの『こころ』という作品は、そんな強い若者Kを、なにもかもを諦めた先生(晩年の漱石?)が殺す物語になっているのだ。漱石がこれを最後に書いたと思うと、いろいろと感慨深いね。
一方、ティプトリーの『たったひとつの〜』も同様、実はこれまでティプトリーが描いてきた作品のとことん逆をやっている。
・理性が本能に負け…ない⁈
理性vs本能は、ティプトリーが何度も描いてきたテーマのひとつだ。そして100%理性が負ける。個人的ベストは『愛はさだめ、さだめは死』。生き物の本能に抗ったモッガディートが迎える、あのラストは何度読んでも衝撃的だ。他にも『スローミュージック』で川の誘惑に抵抗するシーンや、『ラセンウジバエ解決法』でウイルスによって増長された暴力性と理性のたたかい等々。挙げれば枚挙にいとまがないし、むろん理性が勝ったためしもない。
しかし『たったひとつの〜』コーティとシロベールの二人組は、互いに力を合わせて生物としてプログラムされた本能に打ち勝ってしまう。その勝ち方もただの気合いではなく、本能を欺くために知恵を使って乗り越えるのだ。気持ちではなく知恵というのがティプトリーらしいし、どこか理性に対する希望を感じるね。うーん、らしくない!
・人類が滅亡…しない⁈
ティプトリーあるあるのひとつが「なにこの話?」と雲を掴むように読み進んでいたら、気がつくと人類が滅亡していて頭を抱えるパターン。人類滅亡エンドの個人的ベストは…とか言っちゃったらネタバレなので、ここは我慢します。(理性が勝った!)
そのティプトリーがまさか人類をどストレートに救う話を書くとは…。
・逃避…しない⁈
ティプトリーの描く逃避話でよく指摘されるのは、しがらみからの解放と、それと同時に自分を構成する一部分を失ってしまうという喪失感。ちょっと前に感想を書いた『接続された女』でも、主人公が嫌悪する自分の醜い容姿から生まれ変わる解放感はしっかり描いている一方、アイデンティティを失う恐ろしさを読者に突きつける。ティプトリーの逃避は表面的にはポジティブだが、けして読者をハッピーな気持ちにはさせない。
物語の序盤、コーティは地球の生活に我慢がならず、両親に黙って地球を飛び出してしまう。ここまではいつものティプトリー。しかし彼女はそのまま逃避に走るのではなく、最後には地球を救うために奮闘するのだ。
・コーティは女性…らしくない⁈
ティプトリーと言えばジェンダー。ジェンダーの理解に貢献した作品に贈られるティプトリー賞が存在する通り、彼女のジェンダー感はSFファンのみならず多大な影響を与えている。とくに彼女の描く女性は秀逸で、ただの男性の写し鏡には終わらない。
ティプトリーの女性の多くは何かに依存して生きていたりする一方、束縛から解放されようともしている。特徴的なのは、それらが単に女性が弱いからという描き方はしないところ。『男たちの知らない女』では強い男のパートナーを取っ替え引っ替え乗りかえて生きてきた女性が登場する。はじめは「何かに依存しなければ生きていけない弱者」と男性側には映るが、最終的に男性が絶対にできないような大それた事をやってのけ、なぜ弱者のはずの女性があんな事ができたのか?と男性陣を困惑させる。
要するにティプトリーの女性はある意味強いが、それは男性的な主体的強さとは違う。奔放でこだわりのない、特定の方向を持たない強さといった感じだろうか。猫みたいな?
しかし『たったひとつの〜』のコーティは何かに寄生するどころか自分がシロベーンに寄生され、シロベーンを率いて人類を救うためにヒロイックな活躍をした。ちなみに脳に寄生された異星人と意識を共有する女性キャラクターはコーティ以外にも数人いるが、寄生した異星人を自ら引っ張って行動するのはコーティだけだろう。個人的にコーティは大好きだし、ティプトリーの中でも屈指のヒロインだと思っている。けれどティプトリーがこれまで描いてきた女性像とは、ちょっと異なる気がするのは否めないところ。あそこまでストレートに善人なキャラクターも、コーティくらいだと思う。
ここまでわざわざ項目別に書いたけど、どれも根底では繋がっているよね。彼女の作風を決定付けた『エイン博士の最後の飛行』からずっと一貫して描き続けていた、人類に対する絶望と、本能と性を強烈に肯定する一方で、その抗いようのなさ。しかし最後に彼女が書いたのは希望だった。これを書いた後、夫の遺書に従って認知症が悪化した夫を射殺した後、自らも自殺する。
一応言っておくけど、ぼくは彼女の自殺と『たったひとつの〜』を安易に結びつけて評価するのはあまり賛成しない。彼女の自殺はかつて日本の文豪たちがしてきたような、絶望の果ての自殺っていうイメージはないし、何しろ『たったひとつの〜』はそんな話ではないからだ。ただし彼女の作品群を追った上で『たったひとつの〜』を読むと、やっぱり感慨深いと思う。
ぶっちゃけ過度に泣かせようとする文章にはちょっと白けるんだけど、それでも最後のシーン、満身創痍で必死に意識を保ちながら、コーティとシロベーンが太陽に突撃してゆく後ろ姿は思い出すだけで泣きそうになる。小さな二人が、まるでティプトリーの希望を一身に背負っているようだ。