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仕事ができる人、の時代は終わるかもしれない

日々、社内外の人たちとやり取りしていて、思うのです。

仕事が正確とか速いとか決断力やリーダーシップがあることよりも「性格がいい」とか「やさしい」とか「機嫌が一定」であることの方が重要ではないかと。

だいたい、能力が高く「自分は仕事ができる」と認識している人は、そうでない人、例えば凡ミスをちょいちょいやらかす人、記憶力がよくない人、頭の回転が遅い人のことなんかを見下す傾向にあります。

以前も同じ話、しましたよね?
また忘れちゃいましたか。
あの件、まだでしょうか。
あと5分で回答ください。

わたしの肌感覚で恐縮ですが、こういう、個人の能力は確かに高いけれども周りに威圧感や劣等感を与える人のせいで全体の仕事が停滞することって、よくあります。

1人ひとりの能力はさほど高くなくとも、心やさしい人たちで進めた方がそれぞれの弱点を補い合えるし、ひとつひとつの行程に無駄な軋轢が生まれない分、結果的にうまく行くことが多い気がするのです。

「仕事ができる人」のせいで結果が思わしくないのに、業績悪化で「仕事ができる人」はますます荒れ、職場の雰囲気は暗くなり、発言も減っていき…

そういう悪循環、珍しくないのではないでしょうか。

それに、どんなに仕事ができる人間よりもAIさんの方が正確で速いので、今の「仕事ができる」認識が根本から覆る可能性は大いにありそうです。

時代によって評価基準は変わります。

平安貴族は今よりも記憶力が重要視されたでしょうし、江戸の武士はデータ処理の速度を求められなかったでしょうし。

現代には様々なツールが存在するので、人的ミスは減らせるし、記憶力の代わりにデータはクラウドに保存できます。人の凸凹な能力を補って、均一化を図ることができる。

そうしたら最後に残るのは結局、性格と機嫌のよさなのではないかと思うのです。

今はまだ、人の悪口ばかり言って部下の邪魔をして部署の士気を下げ、自分の機嫌の善し悪しで周りに無駄な気を遣わせるなどもはや悪影響しか齎していないのに、声が大きい為にリーダーシップがあると誤解され、何となくの雰囲気と社歴の長さで役職が付いている人とかよく見かけますけれども、そういう人たちがきちんと淘汰されて、罵倒も忖度も足の引っ張り合いもない、互いを思いやれるやさしい職場が当たり前のものになるといいなと思います。

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