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気持ち悪い、から好きの再確認をした。

風邪が、胃に来ました。

…いいのかな?
この表現で。

風邪ウィルスが胃に取り憑いたらしく、この数日、吐き気と切なさと気持ち悪さと戦っていました。

風邪症状というのは全部嫌なものですけれども、頭痛・発熱・鼻水・鼻詰まり・喉の痛み・咳・痰、この辺りのやつで苦しむことはあっても(この辺りのやつも全部来て最後に残ったのが「気持ち悪い」だったのですけれども)気持ち悪い、というのは弱小な子ども時代を過ごしたわたしにとりましても、あまり例を見ない嫌さ加減でした。

気持ち悪いは、すべての道を閉ざす。

せっかく仕事を休んだのに、本もnoteも読めないし、書けもしない、ネットやECサイトをうろつくことも、最近お気に入りのラジオを聴くことすら出来ない。
何ひとつ出来ない。

わたしは本当にこれらのことを、好きだと思っていたのだろうか?
好きと思っていた昨日が1年も、いえ10年の昔のことのように思え、あれは夢まぼろしだったのでは?と疑念が湧くほど、悉く何も出来ませんでした。

だから寝る…しかないのですが、寝てばっかりいると、もうひとつの大きな症状、頭痛が酷くなるという悪循環。

寝ると頭痛に苛まれ
起きると気持ち悪い

どうしろって言うんだ…

ふと、山田詠美の『ぼくは勉強ができない』(手に取らずにいられないタイトル!)に登場する、礼子のことを思い出しました。

気分が悪くなってる間ってね、なんにも考えられなくなるの。すごく利己的な自分に気付くのよ。優しさとか思いやりとか、まったく役に立たないのよ。世界情勢がどうなるとか、環境保護が叫ばれてるとか、そういうことが、意味をなさなくなっちゃう。あー、気持悪い、吐きそう。それが自分のすべてになっちゃうの。(前後略)

山田詠美『ぼくは勉強ができない』

わかる、わかるよ礼子…。
わたしもちょっとラジオ聴いてみて「体調良さそうでいいな」としか思えなかったよ…。

この本を読んだのは随分前で、その頃は「具合悪いときとか、お腹減ったときとかそうなるよねー」くらいにしか感じていなかったのですが、その記憶がムォンと蘇ってくる、ということが、ままあります。

しつこいようですが、わたしには友だちが1人しかおらず、心優しき夫との2人暮らしなので、こういう、どうってことないことを何となく雑談で話す、みたいなことはあまりないのですが、そんな人間関係めちゃ狭人間でも、本の中で邂逅することもあるのです。

本を開けば、いつだってまた会える。
本はいい。
気持ち悪いときは読む気になれなかったけれども、わたしはやっぱり本が好き、と再確認した話でした。

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