見出し画像

笑ってる≠楽しんでる

うっかり笑ってしまったけれど
本当は嫌だった
わたしはひどく傷付いていた

…ということに、その場では気付かなくても、後から思い返して確信する瞬間って、ありますよね。

ドラマ「SHUT UP」の中で、1人の大学生がかねてより憧れていた先輩に誘われるまま性行為をしたけれども、後から性的同意について知識を得て初めて「あれは不同意だった」ということに気付くシーンが描かれていました。

憧れていたのは本当で
誘われて嬉しくて
家について行ったし
お酒も飲んでいたし
戯れにスカートをめくられて
つい笑ってしまった

だから自分が悪い、
自分に非があったと思っていた

けれども違った
性行為には同意していない

わたしはセックスなんてしたくなかった、と。

***

素敵だと思っている
恋愛対象として好意を持っている
でも、性交したいわけじゃない

ここがピンと来ない人って
実は多いのではないか、と思います。

好意が性的欲求と結びつかない
それとこれとは別、という人もいて

よしんば結びついたとしても
したいわけではない、という場合も
あるでしょう。

でも、ロマンスがセクシャルと常に結び付く、一切の抵抗なく繋がる人から見たらそれは、想像し難いことなのかもしれません。

「当たり前」のズレは、怖いものです。

そもそも
相手は自分ではないし
相手の体は相手だけのもの
なんですけどね。

例えば人のペンを使いたいときに
これ、借りていい?と許可をとるのは
ごく当たり前のことでしょう。

それなのに、同意も得ずに相手の体に触れるという著しく傲慢な行為を、自分はしてもいい人間なのだと何故、どうして、いつから、思い込んでしまったのでしょうか。

ドラマの中で描かれた不同意性交は
自宅に誘った先輩側から見れば恐らく

だって俺に惚れてたんでしょ?
望んでたことをしてあげただけだよ
あの時、笑ってたよね
後からそんなつもりなかった、なんて反則だろ
ハニートラップかよ

という発想になるのだと思います。

同じことが、他の局面でも起きているかもしれません。

大御所から見たら「楽しい飲み会」でも
後輩には「しんどい仕事」かもしれないし
呼ばれた子にとっては「地獄」かもしれない

色々な可能性があるし
人によって解釈もそれぞれですから
断定することは出来ませんが

同じ場所、同じ空間で
同じように笑ってい(るように思え)ても

自分から見えている角度とは
別の視点で見つめる人がいる
(かもしれない)ということは

常に意識しておきたい、と思うのです。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集