何を選んでも、あなたはあなた
わたしは、人のことにあまり興味がありません。
そのことで今まで周りの、自分に興味を持って欲しい人たちから「寂しい」とか「わたしに興味がないのね」とか「ほんとに俺のこと好きなの」とか言われてきました。
思い起こせばそれは幼少期からで、「○○先生、今度結婚するんだって」とか「○○ちゃん、習い事始めたんだって」とか、学校生活で得た情報を母に伝える度に、母から質問を受けて困惑した記憶が浮かびます。
「結婚?誰と?先生同士?お仕事は続けるの?」
「知らない…」
「習い事?何の?ピアノ?そろばん?」
「知らない…」
よく「なんでそのくらいのこと聞いてこないの!ふつう、疑問に思うものでしょう」と叱責されたものです。
誰と誰が当事者にあたるのか、そのことで周囲にどのような変化がもたらされるのか、具体的にはどのようなことを…といった詳細を多くの人は知りたいと思うものであって、自分にはその類の興味関心が相対的に見て著しく低いらしい(そして母は比較的高い)ことに気付くまで、わたしは右往左往し続けました。
無いものはどこを絞っても無いもので「だって、知りたいと思わないの?そんなに冷たい子だったの?」と詰め寄られても、人に興味を持つよう努力しても、その性質を変えることは不可能でした。
わたしは今も、事実そのものにはさほど、興味を持ちません。
聞いたとしても「へー」くらいで、すぐに忘れてしまいます(記憶力が低いせいもありますが)。
裏返せば、どんな選択をしたとしてもその人はその人であり、その人そのものの価値や存在を脅かすものではないと認識している、とも言えるように思うのです。
結婚しようが不倫しようが離婚しようが
どんなことを学ぼうが学ぶまいが
あなたは、あなた。
世間一般では眉をひそめられるような選択をしたとしても、それが取り返しのつかない、手痛い失敗であったことに本人が後から気付いたとしても。
あなたはあなたで、わたしがあなたを好もしく思う気持ちに変わりはない、と思うのです。
ただ、そこに至る過程や、なぜそれを選んだのかという心の動きには興味があります。
だからきっと、余計な情報を極力削ぎ落し事実のみを伝える新聞や、浅い想像で形作られている(ように見える)ワイドショーや週刊誌よりも、人の心理に深く切り込んだ小説という形態の書物に、わたしは心奪われるのでしょう。
わたしは一見人嫌いのようで、もしかしたら人間というものをとても興味深く感じているのかもしれません。