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書きたいことが止まらない
ここのところ、書きたいことが溢れて止まりません。
そういう時期はたまにあって、わたしには(わたしだけじゃないのかもしれないけど)バイオリズム、のようなものがあります。
とにかく本を読みたい週間
音楽を聞きたい週間
何も頭に入らない週間
そして、書きたくて仕方ない週間。
わたしは自分のことを、その時々で広がったり縮まったりするコップのようなもの、と認識しています。
広がっているときはとにかく文字を追って
縮まっているときは上手に吸収できなくなって
音楽の枠だけの隙間が空くときもあれば
余裕ゼロで何も入らなくなるときも。
文章や
音楽や
出来事や
映像や
会話や
日常の何やかやで満杯になったわたしのコップが時にふるふるっとして、そこから今まで溜め込んだあれこれがザザーっと出てくる。
それが「書きたくて仕方ない週間」なのかな、と思っています。
今起きたこの出来事も書きたい。
昨日のあの話も書きたい。
前から思っていたあの問題についても
ずっと感じていた違和感についても
あれも、これも…
頭の中が忙しなく巡って、シナプスがピカピカと通信して過去と今とを繫ぎ「あのときのモヤモヤはこういうことだったのか(も)!」とひらめきが止まらないのです。
…
でもわたしの記憶力は吹けば飛ぶほどしかないので、ちょっとしたアクシデントがあれば、または少しでも時間が過ぎてしまえば、すぐに消えてしまいます。
チャンスの神様には前髪しかない(丁稚なのかな)と言いますが、わたしの記憶力にもまた、猶予はないのです。
だからわたしは書きたい週間中、アイデアが浮かぶと、ところ構わずnoteを開き、題名と概要をサッと書いて閉じ、また歩いて浮かんできたことをnoteを開いて書いて、みたいなことを繰り返しながら日々を過ごします。
ただ、周りの方の迷惑になってはいけないので、前方・後方・両サイドを確認し、立ち止まっても支障がないと判断した場所を選びます。
注意一秒、怪我一生ですからね。
そうして最善の注意をして毎日を過ごしていた…つもりでしたが、電車に乗り込むときについ、チラッとスマホを見たら車掌さんから
「スマホやめて足元見てください!」
と大声で注意されて動揺し、ネタが飛びました。
無事に乗り込んで動悸がおさまるのを待ってから一生懸命、何を書こうとしていたのだったか考えましたが、全然記憶は戻りません。
…
ネタ返せ!
…と、一瞬車掌さんを恨みそうになりましたが、彼は何も悪くありません。
あの方は、ご自身の責務を果たしただけ。
自分なりに注意を払っているつもりでしたが、傍から見たらわたしは「乗降中にスマホを見ている危ない人」であり、実際そうなのですから。
注意一秒、怪我一生ですからね。
(二度目)