【塾】褒める比較対象は過去の自分

こんにちは、私は個別指導塾で塾講師を数年続けていました。
中学受験、高校受験、大学受験にむけての勉強法の指導を行ったことがあり、教務可能教科は理系科目です。

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褒めの指標はデータ中心であるべき????

私が塾講師だったころ、客観的に褒めるという行動を意図的に制限していたことがありました。

褒めるという行動には、対象行動の肯定によるその行動の継続性を強化するといったねらいがありますが、受験など勉強において褒め方というものは難しいものです。

勉強において、自分のがんばりを評価する指標はテストの点数や偏差値など数値であることの方が多いため、生徒によっては自分の偏差値を見て落ち込むことも少なくありません。

たしかに偏差値などのデータは客観的な指標であり、他者と比較した自分の学力の程度を知ることができますが、他者と比較したデータのみが勉強の指標になるというわけではありません。

他者と比較したデータのみを参考にすると、実際に自分がやってきたことはどうだったかという内省の機会が失われることがあります。

また、塾講師目線だと評価の指標がデータのみだと褒める回数が減ってしまうことになり、行動の強化が行われなるといったデメリットが発生します。

偏差値が下がっても褒められるところはある

以下の文は塾にいた頃によくあったケースです。
「勉強をたくさんしたが、偏差値がよくならなかった。」

偏差値がよくならなかったのは、してきた勉強には意味が無かったからだとする未完の原因が行った勉強自体であるという考え方は散見されますが、実際そこに因果関係があるかどうかは注意深く考える必要があります。

偏差値の上下には以下の要因が関係していると言えます。

1.受験者の学力分布が変化した
2.対策した(しなかった)問題が出題された
3.対策が十分(不十分)であった
4.制限時間内に解けた(解けなかった)

1,2,4に関しては広い意味で言えば勉強不足と言えますが、純粋な勉強の効果が反映されるのは3のみです。

つまり、純粋な勉強が原因で偏差値が上がらなかったとするのは他の1,2,4が原因である可能性を捨てていることになります。(1に関してはどうしようもないですが・・・)

勉強したけど偏差値が上がらないというよりは、行った勉強以外に行わなかった勉強があったので偏差値が上がらなかったという因果関係があるという風に考えられますね。

このように考えるとき、してきた勉強に意味が無かったということは否定することができます。

むしろやってきたことを振り返って、ここができるようになったなど成長を感じられる箇所がある場合にはそこを褒めることが可能です。
このように行動自体を肯定することによって、他の行動(例えばしてこなかた他の単元の勉強)にも前向きになれるのではないでしょうか?

褒める行為には、行動を促すちからがあると考えます。
過去の自分と比較することが何よりです。さようなら。

余談

褒めるところが無いときは、その生徒は勉強自体をサボっています。







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