私は今日、歯医者に行く
私は今日、すこぶる気分が晴れない。
雨が降っているからではない。
もちろん雨も嫌いだが、それを遥かに上回る程の強敵、私の気分をいとも簡単に揺さぶることのできる確固たる存在、そう歯医者である。
私は今日、歯医者に行かなければならない。
もちろん月々の光熱費を支払うことと同じように、半ば強制的に歯医者には通っているのだが、何を隠そう、私は歯医者が嫌いなのだよ。
(同じくらいに耳鼻科も嫌いなのだがね。)
歯医者というワードを文章の中に含めているだけでも口の奥の方がチクリと痛む程なのに、その上今日は歯医者に自らの足で赴くなんて考えると余計に嫌気がさすね。
歯医者特有の待合室の匂いと、歯医者全体で流れているどこから引っ張り出してきたか分からない、著作権は大丈夫なのかと心配になるようなオルゴールの音楽、それら全てが私の歯医者への足取りを重くしている。
そもそもなんでオルゴールなんだ?
あの音色で落ち着かせようとしているのならば、それはとんだ勘違いをしているよ。
聴覚ではごまかせないほどの視覚的情報で自分は今歯医者にいるということを検知しているのだからね。逆効果だよ、うん、正直。
何なら爆音でBOOWYでも流してくれれば、こちらとしても余韻を感じながら悠々と診察室へ案内されるよ。
歯医者に親を殺されたような口ぶりで話を進めているが全くそういうわけではないよ。
長々といい歳して情けないなと思ったかね?
あくまでも私の問題なので早く大人になれという話なのだが、その一喝に関してはあいにく受け付けていないので、一旦少しだけ黙っていてくれよな。
ただでさえ天気が優れず、大切な一方の腕を傘に充てて不満な中、私は歯医者へ向かうよ。
見慣れた光景も気づけば三途の川だね。
だから雨が降っているのか。
やはり足取りは重い。
お気に入りのラジオを聞いていてもなお気分は高まらない。
でもさ、一回考えてみようよ。
今日歯医者に行かなかったらどうなる?
今日は行かずに、次のいつかに行くとした場合どうなる?
もちろん、子供みたいに歯医者に行くことから逃げ出して、別のことをすることだってできる。
歯医者に行かないでキッザニアで歯医者ごっこをして給料をもらうことだってできる。
でも今日行かなかったら次はいつになるのだ?
そもそも万が一次の日程が決まったとしても(決めることもしないだろうな)、どうして今日行かなかったのに、次は行けるとでも思えるのだろうか。
そう、今日行くしか選択肢はないんだよ。
聞いているか?阿呆。
お前に残された道は、自分で予約した歯医者に自分の足で赴くことだよ。
貴様の足で、貴様の歯を治療してもらいに行くんだよ。
治療してもらえるだけでも感謝するんだな。
ああ、なんて無力なんだろうか。
分かったよ、行ってやるさ!
そうやって歯医者への道のりを進み始めた時、前から彷徨うおじいちゃんが話しかけてくる。
-いい歳して歯医者なんかに怖気づいているのか?坊主。
--別に怖気づいているわけじゃないさ、ただ嫌いなだけだよ。雨の日に傘をささなければいけないことと同じようにね。おじいちゃんだってこんな真昼間に何してんのさ。あいにくこの先の中華料理屋は日曜やってないよ、残念だったね。え?中華料理なんか食べる予定はないって?嘘だね。今僕に自分が知らなかった真実を突き付けられて怖気づいているんだろう?分かっているさ。そういうことはいくつになっても起こり得るんだよ。人生とは気づきの連続なのさ。あ、そういえば僕は坊主じゃないよ。ほらね。ちゃんと自分の目で見てから判断し…(ぼかっ)(思いっきりパンチされる音)
-おっと、歯医者よりも行くべき病院が見つかったみたいだね。そうやってごたごた言ってるから歯も言うこと聞かないんだよ。中華料理屋はやってるよ、なんてったってあそこは俺の店だからね、開けようと思えば開けれるんだよ。情弱だな、坊主。じゃあな。
と、外科医に向かうことを口実に歯医者を回避したい。
彼はその後きちんと歯医者には行きましたとさ。めでたしめでたし。
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