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しあわせのライフハック:岸田奈美「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった 」を読んで

「ギリギリでいつも生きていたい人」なんて誰もいない

今回読んだ本の著者、岸田奈美さんとの出会いはとある友人のツイートだった。”世の中にはしをりさんみたいな人がいっぱいいるんだと思った。”という一文とともに引用リツイートされていたその記事を開くと、タイトルは『スズメバチを食べたルンバ』。

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なるほど、分からん。

スズメバチを?ルンバが?食べた??一見して一生目にすることのなさそうな単語が並んでいた。記事の内容はここでは割愛するが、本当にルンバがスズメバチを食べていた。岸田さん、嘘ついてなかったな…。起きた事象もさることながら、文章の面白さに惹きつけられて、ゲラゲラ笑った。

ちなみに友人に「言いたいことは分かるけど、さすがにルンバでハチ吸い込んだりはしないわ!!」と返したのだが、私はその後家に湧いた蛾を半狂乱で掃除機で吸い込むことになる。やっとるやんけ。

私はよく、生きているだけでネタになると言われる。つい先日は料理をしていて誤って手に包丁が突き刺さったし、飛行機に乗ろうとすればスーツケースが壊れて空港で中身をすべてぶちまけ、仕事に行こうと満員電車に飛び込めば車両とホームの間のわずかな隙間にパンプスが滑り込んでいき、スーツを着た間抜けなシンデレラよろしくけんけんぱで駅員を探したこともある。

岸田奈美さんには、同じようなにおいを感じた。今回の著書で岸田さんは、著書のはじめに以下のように語った。

日常はいつも予期せぬトラブルに見舞われている。 

「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった P.8より 」

分かる。めちゃめちゃ分かる。一歩踏み出すと一つトラブルが降ってくる。自分のその性質を自覚してからは出来るだけ回避しようと努めてもみた。でも避けられないときは避けられないのだ。

KAT-TUNのReal faceを地で行く女という大変不名誉な通り名をつけられたこともあるが、誰しもみんなギリギリでいつも生きていたいわけじゃない。この本は、私みたいなReal face女が毎日ゲラゲラ笑って生きていく方法を、分かりやすくかつ丁寧に切り取って教えてくれている。私にとってこの本は、私専用のライフハック本なのだ。

みようみまねで、生きてみる

周りと同じように出来ない自分。人に迷惑をかけてしまう自分。そんな自分が嫌になることが、よくあった。

みんなが当たり前にできることが、できない。
守るべきルールが、守れない。
どうにかがんばってみても、失敗ばかり。
(中略)
でも、だめだった。27年間生きてきたけど、自分に自信なんてこれっぽっちももてなかった。ドラクエでいうなれば、27年間、ひのきの棒と布の服で、はじまりの村のまわりをぐるぐるうろついてただけだった。

「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった P.41より 」

だからこそ、この数行に首がもげるほど頷いた。それこそ赤べこのように。ただただ頷いて、涙が出た。

ああ、私だけじゃないんだ。この息苦しさを持っているのは。私以外にも、同じことで悩み、苦しんだ人がいる。これは、まぎれもない救いだった。

私はこの本を、私専用のライフハック本だと表現したが、「ライフハック」とは、仕事や生活における様々な「困った」を助けてくれるものである。つまりこの本にも、きちんと私の息苦しさを解消する方法が書かれている。

それが見出しにもある、みようみまねで生きてみることだ。岸田さんはそれを、弟の良太くんから教わったのだと言った。

自分で自分を責めて傷つけたら、いくらでも自分の存在価値は下げることが出来る。生きている必要のない人間にすることも、何もできない人間にすることだって容易い。

でも逆に、自分で自分を認めて、自分のことを褒めて幸せな気持ちにさせて、「心のシャッター閉店ガラガラ状態」から「大丈夫にする」ことだって出来る。例えそれが誰かの真似でも、みようみまねで元気に生きられる。それでいい。目から鱗だった。

私も、「大丈夫になれる」だろうか。岸田さんちの良太くんのみようみまねで。そう思って、まずはやってみることにした。

いつも通りトラブルに見舞われても、まあそんな日もあるか!と笑い、それをTwitterで呟いた。今まで落ち込むだけだったトラブルを、インターネットの向こうで誰かが笑ってくれた。心が、驚くほど軽くなった。

noteがなければ知ることのできなかった神戸のとある男の子の言動で、一人のOLの胸のつかえが一つ、すとんと降りたような気がした。

ありがとう。岸田さん、良太くん。

母と娘として、生きていく

母は強し、という言葉がある。私の母も、めちゃくちゃ強い。女手一つで私というウルトラスーパー問題児を育て上げた、誠に強い母なのである。

岸田さんのお母さんも、強かった。お父さんが亡くなった後、まだ小さかった奈美さんと良太くんを悲しませないため、葬儀の後は子供の前で涙を見せなかったという。

ああ。母という生き物は強い。マジで強い。最強。
子どもを守るという目的のために、こんな風に生きることができるものなのか。
わたしが子どもを生んだら、母のように生きられるだろうか。
ちょっと想像してみたけど、なにも具体的な映像が浮かんでこなかった。
さっぱりわからん。

「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった P.109-110より 」

岸田さんと同じことを思った。私は自他共に認める母性のない女なので、自分の赤ちゃんを愛する想像を今まで一度たりとも出来たことがない。

母一人子一人である私と母は、良くも悪くも距離が近く、見た目も中身もよく似ていた。そのせいで、たくさんケンカもした。始まってしまうといつまでも終わらない言い争いを防ぐため、母と仲良く過ごすため、いつしか私は母にあまり相談事をしなくなった。

それが隠し事をしているような気になって、なんだか後ろめたく思い、ますます母に話せることが減っていく。負の呪縛だった。

ただ、岸田さんのお母さんはこう語っている。

「家族やと近すぎて話しづらいこともあるしなあ。わたしの場合、元気な姿を見せられる家族と、泣きごとをいえる先生や友人がいたから、ここまでこれたんかも」

「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった P.111より 」

家族に、すべてをさらけ出す必要はない。守るために、隠す。愛するために、たくさんの顔を持つ。辛いときに支えてもらわずとも、その分楽しいことを共有しまくればいい。

私の中の凝り固まった「理想の母と娘の呪縛」は、私が周りと比較して勝手に作り上げていたものだったのだと、岸田さんのお母さんの言葉で気づかされた。

家族という言葉は、愛にもなるし、呪いにもなる。それが自分自身の考え方で変わることも、もしかしたらあるのかもしれない。

死ななければ、なんとかなる

この見出しの言葉を、私はこれから座右の銘にしようと思う。実はこの言葉は、岸田さんの本に出てきた言葉ではあるけれど、岸田さん自身が発した言葉ではない。写真家の、幡野広志さんの言葉だ。

幡野さんは余命宣告を受けたがん患者で、審査が通らず家も借りられない。けど、「病人的発想というパワーワード」をもってこの言葉が出てきた。

「死ななければ、なんとかなっちゃうんだよ。だから最近の俺の判断基準は、死ぬか死なないかになってる」

「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった P.189より 」

今、めちゃくちゃ刺さる言葉だと思った。私は不安に駆られると、今の不安要因とは全く関係のないことも持ち出して余計に自分自身の不安を煽りに煽り立てる悪い癖がある。しかも、何の根拠もないとんちんかんな不安を。分かっていても、心の暴走は止められなかった。

本の中に、「悲観は気分、楽観は意思」という1文が出てくる。調べてみると、哲学者アランの幸福論というらしい。悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は自らの意志によるものであるという言葉なのだがまさにその通りで、きっと私が楽観主義でいつも幸せそうだなと思っているあの人も、自分の考え方ひとつで人生をハッピーに生きているんじゃないのか。

そういえば酸いも甘いも噛み分けてきたであろうかの有名な大女優の天海祐希さんも、「え、悩みとかない!その時間もったいなくない?」とけらけら笑っていた。

自分が幸せかどうかは、いつも自分の心が決める。他人に何と言われようと、今死んでないんだからそれで良くないか。人と比べて落ち込むより、その方がずっとずっといい。

幡野さんは、こうも言っていた。

「生牡蠣だって食中毒になるかもしれないけど、みんな食べてるでしょ?おいしいものにはリスクがあって、楽しいことにもリスクがあるんだよ」

「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった P.192より 」

心臓がヒヤッとした。まるで、今まで誰にも見せてこなかった核心を鋭利な刃物で突かれたような。

楽しいことにはリスクがある。何かを得るためには、何かを失う可能性があるということ。昔、遊びすぎていた自分にかけてあげたい言葉だった。身に覚えがありすぎる。過去の私に言えない分、これから生きていく上で、絶対に忘れてはいけない教訓にしようと思った。

きらめきを採掘すること

岸田奈美さんという作家は、どんな絶望の中でも、どんなささいな日常でも「きらめき」を見出して磨いて、それを文章の力で輝かせるのが抜群にうまい。

そして岸田さんの周りには、畢生の大作のようなひと達がごろごろいる。

この二つの奇跡みたいなきらめきが重なり合って生まれたのが、今回読んだ「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった 」のだと、本を読み切った私は実感することが出来た。

これから私は、みようみまねに生きて、自分なりに母を愛し、死ななければなんとかなるわ!と笑い飛ばして生きていく。

誰が何と言おうと、それが私のしあわせになると、この本が教えてくれたから。


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