カセットのような日々を変えたのは、青春の痛みだった :「オートリバース」を読んで
「あの頃」頑張っていた私たちへ
ーーねえ、小泉、
高階、死んじゃったよ。
『オートリバース 巻頭より』
この巻頭の1文に、頭を鈍器でがつんと殴られたような衝撃が走った。
え、まって、そういう話???呑気にページをめくった私は激しく後悔をする羽目になった。これ、もっと心して読むべきだったのでは。
『オートリバース』と出会ったのは、私の自担である猪狩蒼弥くんがこの本を原作としたラジオドラマに主演すると決まったからだった。
親衛隊の話と聞いて、私の知らない時代のアイドルの話を知ることが出来るかも!とわくわくした気持ちで読み始めた私には、結果として文頭の一撃なんて目じゃないくらいの衝撃と、苦しさとが心にこびりつくことになるのだけれど。それでも、読んで良かった。
なぜならこれは、今まで自担のために頑張ったことのあるオタクたちみんなにめちゃくちゃぶっ刺さる話だから。
オタク、基本的に自担との思い出ってたいてい昨日のことみたいに思い出せると思っていて。Blu-ray録画か?ってくらい鮮明に覚えてたりする。昨日の晩ご飯はすでにちょっとおぼろげなのに。
あの日劇場で見た、舞う桜吹雪。暑い夏の日に沢山の人がひしめく中、ステージを見上げて目が合った一瞬。双眼鏡越しに見た、衣装の煌めき。
アイドルのオタクをしたことがある人は、きっとそんな風に切り取って、スクラップして、大切に大切にとっておきたい記憶たちが一人ひとり心の中に存在するんじゃないかな。そういう記憶って今思い返すとなんだか切なくて、青春っぽくて、愛おしくてたまらなくなる。ちょっと泣けてきちゃったりもする。少なくとも私は。
今回このnoteは、そんな”愛おしい記憶たち”を持つ人に読んでもらいたくて書いている。みなさんにとっての「あの頃」を思い返しながら、ぜひ。
懸命に息を吸えば、それは誰かの「好き」になる
これはアイドルに限らずだけれど、好きな人が出来たらどういう行動を取るかって人によって180度違うと思う。
心の奥で想いをずっと燻ぶらせる人、嬉しさのあまり周りに伝えまわる人、信頼できる人とだけこっそりと想いを共有する人…人の数だけ、想う形がある。
「歌うときに息を吸い込むんだけど、それがなんかいいんだよ」
<中略>
小泉今日子は歌うとき、誰かのためにその胸の中にあるものを出しきるためか、懸命に懸命に息を吸う。その仕草はプールで少女が一生懸命泳ぐときの息継ぎみたいで、なぜか愛おしいのだ。直はそれをうまく説明できる自信がなかったし、自分だけのものにしておきたかったから、それ以上は説明しなかった。
『オートリバース p50より』
自分だけの好きを心の中に大切にしまっておきたい気持ちに、首がもげるくらい共感した。
「好き」を人に伝えたいという感情と、自分の中に留めて独り占めしたいという感情が天秤にかかる。オタクなら誰しもが一度抱いたことのあるもどかしいジレンマなんじゃないかと思う。
それと同時に、やっぱりいつの時代もオタクは着眼点が細かい。
「声」が好きなだけじゃなくて、「息を吸うところ」が好きなのだというチョク(直)の言葉で、同じようなことを言っていた友人や私の発言を思い出した。
落下物を拾って吹いて飛ばすタイミングが絶妙に計算されていていいとか、ダンスするときに手の人差し指だけが伸びているのがいいだとか。各々自分の中の自担に向かって手放しに好きを投げる。
それはだれかに共感してもらえなくてもよくて、言葉に出すことがしたかっただけなのかもしれないと、チョクに気づかされた。
手放しに好きの感情を吐露することは楽しい。ただ、手放しに好きだけを追い続けることは、とびきり難しい行為でもあるのだと思う。
どんな感情も、すべては愛に化ける
家族のことや、学校のこと。現実世界に存在するチョクはひどく大人に見えた。すべてのものを達観していて、諦めているようにも。
母親が自殺未遂をした時だってそうだ。感情を全く表に出さず、家族の大きな節目も受け流していく。親衛隊にいるときのチョクとは別人のようだった。
はじめは、チョクも高階も、コイズミが好きだという感情だけで収録に向かい、親衛隊になった。家庭環境が複雑な二人は、現実の世界を無いものにするかのように親衛隊の活動にのめりこみ、”居場所”を見出していく。
私にとっての居場所は、ジャニーズのアイドルだった。
自担が笑っていると、それだけで楽しかった。自担が頑張っているから、私も頑張れた。親衛隊の仲間みたいに、私にも同じ目的を持つ仲間がたくさん出来た。
どんなに現実でつらいことがあっても、自担を見ることで忘れようとしたし、つらさも、悲しさも、応援の熱量に変えた。
それは世の中への行き場のない怒りでもあり、救いを求める叫びでもあり、このどうしようもない場所でようやく見つけた光への永遠の誓いだった。ここに集まる人間にはここ以外に居場所はないのだ。今までの嘘や今までの仕打ちに対する怒りを全部声にして叫んだ。
<中略>
どれだけ怒りを叫んでもそれはすべて愛に化ける。直は自分の体の底にたまった怒りを吐き出して、それと同じ量の愛で満たされていった。
『オートリバース p104-105より』
まさに、コイズミに対してチョクが向ける愛と同じだった。
自分の中のマイナスな感情も、愛を叫ぶことで昇華される。温度のない世界に彩りが増すような感覚。チョクに感情移入して、涙が出た。
チョクは私以上にきっと親衛隊という居場所に固執していたし、高階だってそのはずだった。でも二人は、なぜかどこかで、すれ違ってしまった。彼らの心の向きがどんどん別方向に行っている描写が増えてきては、ただただ手放しにコイズミを応援していた2人が脳裏を掠め、心がきりきりと傷んだ。
努力が報われた先にあるもの
親衛隊は、確かに努力が報われる場所だと思う。親衛隊はコールや電リクをすることでアイドルに夢や希望を託すし、それをアイドルはまた夢として親衛隊に返す。
今の私だってそうだ。私は自担に夢を託している。もっともっと上に行ってほしい。たくさんの人に愛されて、知ってもらって、5人で伝説になってほしい。少しでもその手助けになるならと、日々努力をする。
ただこの本で、2人の努力が報われた先にあったものは高階の死だった。高階が死んだのは親衛隊をしていたからではない。でも私は生写真のおじさんの「何かを得るとき、ひとは必ず何かを失うんだ」をいう話を思い出した。
何かを得るならば、対価を払わなければいけない。2つのものを同時に得ることはできない。高階が入院をしたことで、前みたいに2人でただ楽しく過ごせる毎日が戻ってきた。その様子があまりにも切なくて、胸がつぶれるみたいに苦しくなった。
時をカセットテープみたいに巻き戻すことが出来たら
人の記憶は、匂いと密接な関係を持っているという話を聞いたことがある。このチョクの1文で、それをふと思い出した。
匂いは時々そういう悪戯をする。掘り起こされた記憶は遠いくせにうるさい。
『オートリバース p168より』
帝国劇場のロビーの匂い。夏の六本木の、じめっとしたようなアスファルトの匂い。ロクシタンの桜の香水の匂いは、いつも私を春の新橋演舞場に連れていく。
きっとみんな、記憶に紐づいた思い出の匂いがある。懐かしい記憶を思い出して、想いを馳せて、戻りたくなったりもする。
どうしてこんなに戻りたくなるんだろう。
それを懐古厨と呼んだりもするけれど、チョクの言う通り、掘り起こされた記憶というのは昔のことのはずなのにどうしてか昨日のことみたいに思い出せてしまう。きっとそれだけインパクトが強いからなのだろうし、思い出はよく美化されるから、というのもあると思う。
これは今の私にはまだ答えが出ないし、出なくてもいいかなと思った。きっと今、今日のことも、数年後には思い出になって、懐かしく感じているだろうから。
トンボは、これから何を見るのか
『オートリバース』には、トンボがしょっちゅう出てくるし物語のキーになる。高階の目と、オニヤンマの目が似ていること。その目の色はエメラルドグリーンであること。
ドがつくレベルの田舎で育った私はオニヤンマを見たことがあったはずだけれど、目の色までは覚えていなかった。調べてみたら本当に綺麗な緑色をしていて、光に当たると確かに瞳の外側が薄いエメラルドグリーンで、キラキラ輝いていた。
でもその綺麗な目は、死ぬと黒くなるらしい。高階の病室にチョクが持って行ったオニヤンマも、ゆっくりとエメラルドグリーンが遠のいていった。
その描写はいのちが消えるさまを表すにはあまりに綺麗で、でも生々しくて、重石のようにのしかかってきた。
そして、次の一文にもトンボが出てくる。
トンボはその先に陸地も船もないことを知らない。ただ波を避け、波がつくる風に飛ばされてそれでもただひたすら飛んでいく。沖に行けば行くほど絶望の波は強くなるのに、それを振り払うように必死に羽根を動かしている。それが海と呼ばれるもので、自分などに越えることができないものだということをトンボは知らない。
<中略>
トンボは自分がオニヤンマという名前で呼ばれていることも知らない。
『オートリバース p161-162より』
これはチョクのことでもあり、高階のことでもある気がした。これから先に待ち受ける未来を暗示しているようで、心がざわざわと音を立てるような。
それと同時に、私はHiHi Jetsのことを夢想した。明日、いよいよ「青春ラジオ小説 オートリバース」の放送が始まる。
5匹のトンボたちがわたる海は、これから彼らに何を見せるのか。できれは、行く先は絶望ではなく希望であってほしい。越えられないと言われた海も、強く飛んできっと越えてほしい。
オートリバースからもらったもの。それは”アイドルという名の青春”を追う痛みと、その記憶を思い出した時の確かな愛おしさだった。
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