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恩田陸の理瀬シリーズについて語りたい

前回の投稿で「読書感想文が苦手」と書いたにもかかわらず、今回は好きな本の話をしてみる。

恩田陸先生の理瀬シリーズ(別名三月シリーズ)は、私の愛読書だ。
シリーズを構成するのは以下の作品である。

『三月は深き紅の淵を』
『麦の海に沈む果実』
『黒と茶の幻想』
『図書室の海』(短編・「睡蓮」)
『黄昏の百合の骨』
『朝日のようにさわやかに』(短編・「水晶の夜 翡翠の朝」)
『歩道橋シネマ』(短編•「麦の海に浮かぶ檻」)

☆待ちに待ったシリーズ最新作『薔薇のなかの蛇』が2021/05/26に発売予定!(歓喜)

シリーズと言っても、物語同士の世界は繋がっているような繋がっていないような感じで、主人公「水野理瀬」も登場したりしなかったりする。
それでも、確かに「その世界である」と感じさせるような独特の謎めいた雰囲気が存在するのだ。



私が理瀬シリーズに夢中になった理由は、正直「琴線に触れたから」としか言いようがない。
ストーリーの面白さや登場人物の魅力は言うまでもない。各作品がどこかで繋がっていることを示唆するような展開にもワクワクさせられる。
しかしそれ以上に、心に押し寄せてくるような描写があまりにも凄かった。

私が最初に手に取った『麦の海に沈む果実』では、特にラストにかけて一気に物語の世界に引き込まれてしまい、自分がまるで近くで見ているような臨場感があった。
本を読んだだけで、こんなにドキドキしてどっと疲れることがあるのかと思ったくらいだ。読み終わった後にしばらく「うわー…」と放心してしまったのは初めてだったと思う。

本記事のタイトルで「語りたい」と書いたけれど、あらすじや印象に残ったシーンなどを書いてしまうとなんだか本の魅力が薄っぺらくなってしまいそうなので控えておく。
けれど、一つだけ私が忘れられない言葉を書いておきたい。

女の子は作られる。

この言葉が「睡蓮」(『図書室の海』に入っている短編)に出てくる。
これを見た時、水野理瀬や理瀬シリーズを象徴している言葉のようでハッとした。私は何故かいつもこの言葉を反芻しながら理瀬シリーズを読んでいる。



思い返せば、最初に『麦の海に沈む果実』を読んだのは偶然だったけれど、「最初に読んでおいてよかったな」と思う。
理瀬シリーズの読む順番に関しては、刊行順や水野理瀬の時系列順をおすすめする人が多いのかもしれない。
けれど、最初に『麦の海に沈む果実』を読むことで、水野理瀬の魅力をより感じられ、シリーズ全体の繋がりもより楽しめるのではないかと思う。(個人的な意見なので確証はないけれど…。)



理瀬シリーズを手に取るまで、六番目の小夜子、ネバーランド、夜のピクニックなどの有名どころは既に読んだことがあった。
それで恩田陸作品をなんとなく知った気になっていた。
ところが、理瀬シリーズを読んで私は恩田陸作品の沼の深さに気がついてしまった。

本が好き、それなら絶対恩田陸。

本の帯に書かれていた言葉である。
購入当時、どこかの出版社の恩田陸作品すべてにこの帯が付いていたのかもしれないけれど、このシリーズの魅力をあまりにもストレートに表している言葉だと感じたから、今でもよく覚えている。
まさに私は、「本が好き、それなら絶対恩田陸。」としか言えない、素晴らしい読書体験をすることができたのだ。



ここまで読んで興味を持った方がいらっしゃったら、是非理瀬シリーズを手に取ってみてほしい。
そして最後に、「薔薇のなかの蛇」の発売まであと少し。楽しみで仕方ない!!!

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