魔法の言葉
近年、「冷やしグルメ」が流行っている。夏になると飲食店や食料品店など至る所で「冷やし~」という宣伝やのぼりを見かける。
冷やし中華など元から冷たい料理はもとより、最近は冷やして食べるイメージのないグルメまで「冷やし~」と謳って売り出されているようだ。
冷やしラーメン、冷やし担々麺、冷やし焼き芋に、冷やしカレー。
どこもかしこも「冷やし」だらけ。
この「冷やし」というワードが好きだ。
このワードがあるだけで涼しさを感じる。
最近、この「冷やし」というワードに関してある発見をした。
先日、父が遅めの朝食で、とっくに冷めてしまった味噌汁をよそおうとていた。
それを見ていた母が「温めようか?」と言うと、
父はそれに対してこう返した。
「おれは冷やし味噌汁でいいや」
ちょうどその場にいてぼっとしていたが、これを聞いた瞬間、衝撃が走った。なるほど!と。
ただただ冷めてしまった味噌汁も「冷やし味噌汁」と表現するだけで、なんか美味しそうな気がする。「あえて冷やしました」というようなニュアンスがあるし、まるで元からそういうメニューがあるみたいである。「冷えても美味しいよ」、いや、むしろ「冷えていて美味しいよ」という印象さえある。
「冷めた味噌汁」と捉えるよりも、「冷やし味噌汁」と捉えて食べた方が気分的に美味しくいただけそうだ。これは発見である。
たぶん父はそこまでの事は意図しておらず、咄嗟に口をついて出ただけなのだろうが、ひそかにそのワードチョイスに感心した。
「冷やし」
まさに魔法の言葉。
万能ワードである。
シチューが冷めていても「冷やしシチュー」
チャーハンが冷めていても「冷やしチャーハン」
肉まんが冷めていても「冷やし肉まん」
すき焼きが冷めていても「冷やしすき焼き」
これから冷めた食べ物を前にした時は「これは冷やし~である」と暗示をかけて食べるといいかもしれない。冷めてしまっても、ありがたく食べられそうだ。
言葉の力はすごい。
魔法の言葉を発見してしまった。