あの宿題を書いたから。
高校1年生の冬。パッとしない1年間でした。
部活もしていない。
勉強が得意なわけでもない。
家に帰ったらゲームしかすることもない。
ただ図書館に行って、ウトウトしながら単語帳を開く毎日。
あっという間の1年間でした。
そんなあるとき、生物の若い先生が、授業終わりに僕を呼び止めました。
「時間あったら、これやってみて」
そう言って、謎のレポート課題を渡してくれました。
僕としてはほぼ初対面みたいなものですし、
その時はよくわかりませんでしたが、
のちにそのレポートが、私の人生を変えてくれる「宝物」となります。
楽しすぎた宿題
時間はたっぷりあったので、家に帰ってそのレポートの宿題をやってみました。
よく見たら生物とは全く関係なく、
そこには人生についての問いが並んでいました。
「あなたの好きなことは何ですか?」
「あなたの将来やってみたいことはありますか?」
こんな類の質問が、10問ほどありました。
人によっては困る問いかもしれないけれど、
僕は、とっても嬉しかったのです。
「正解」を求められるテスト勉強ばかりのなか、
こうして自由に正解を作っていい問題を出してもらえことが、
楽しくて仕方ありませんでした。
普段は家で机なんか座らないのに、
この日は寝る時間が過ぎても、目をこすりながら
ゲームもしないで夢中に書き続けていた記憶があります。
宿題の意味
あとで聞いた話によると、
先生は、僕の個性を見てみたかったのだと言います。
僕は、生物基礎の授業で出される課題プリントに、いつも一風変わったふざけた回答をしていました。
「双眼実体顕微鏡の使い方について自分で調べてみよう」という課題では、
顕微鏡のしぼりに着目し、
「ぞうきんの正しい絞り方」というテーマでぎっしり書いていました。
(ちなみにそのおかげで、今でも正しい絞り方を覚えています笑。)
そんな姿勢を見て、先生は僕に可能性を感じてくれたみたいです。
宿題の答えには、イエスもノーも言わず、ただ受け止めてくれました。
1週間に1回、宿題のレポートを出したら、また別のテーマを出してくれて、そのやりとりを高校2年生になるまで繰り返していました。
「おならはなぜ面白いか」
「ハゲはなぜ笑いになるのか」
ふざけたテーマを真剣に考えて、原稿用紙3枚分にして提出しました。
回答がどうこうではなく、書くこと自体が楽しかったのです。
自分の内から溢れてくるアイデア、面白いと思える発想に出逢えることが
なにより楽しかったのです。
これこそが勉強だ、と思いました。
あの選択をしたから
あの選択をしたから、僕は勉強を楽しいと思えるようになりました。
勉強とは「覚える」ことだと思っていましたが、
本当は「考える」ことだと気づきました。
あの選択をしたから、僕は書くことが楽しいと思えるようになりました。
書くこととは「答えの結果」に着目するつまらないものだと思っていましたが、
本当は「答えまでの過程」に着目する面白いものだと気づきました。
あの選択をしたから、僕は教育に興味が持てるようになりました。
教育とは「答えを教える」ものだと思っていましたが、
本当は「答えに気づかせる」ものだと気づきました。
だから僕は、書くことを通して、勉強の楽しさに気づいてもらえるような、
教育に携わりたいという夢を持つことができました。
それをごみ拾いと掛け合わせて、
【ごみ拾いライター&ごみ拾いコーチ】として
noteで発信し、自分の道を選択します。
先生は、生物を教える先生ではなく、宝物を見つける先生でした。
あの宿題を書いたから、いまnoteに出会えています。
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