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「書く」ということについて考えてみた✏️🌟

(自己紹介から読みたい方は下のほうに書いてあるので、スクロールしてみてくださいね♪)

最近になって、向かいたい方向・目標、やりたいこと、感じたこと・考えたこと、日々あったこと、1日の中で嬉しかった小さな出来事…などなどを、定期的にノートに言葉で整理するようになりました。

ノートに書くようになったことで、モチベーションを維持出来るようになったし、ごちゃごちゃした頭が整理されてスッキリする。頑張ったこと・嬉しかったことなども書くと嬉しさ倍増だし、記録して後から見返して思い出せるようになったし、いいことがたくさんあった気がします🌟
でも、、、実はわたし、ここ1・2年くらい、書くことや言語化自体、書くことで整理することがとても苦手だったのです。

なぜなら、

感じたことを言葉にしようとすると、自分が率直にダイレクトに感じた感情が、何か違う感情に置き換わってしまう気がしてきていたからです。
言葉にすることで、あえてボカしていた部分がハッキリしてしまったり、フォーカスを当てないようにしていたことが輪郭をもって形になってしまったり。。
あとは、本当はそういうことじゃないのに、いま自分がもっている言葉に当てはめていこうとすることで、本当に感じた本来の感情を、間違えてしまったり、するのではないか。

ちゃんと言葉にするのってエネルギーを消耗する、と思っていて、気持ちにラベリングした方がよいとか、目標や夢や向かいたい方向性は言葉にした方がよいとか、そういう言語化主義の考え方に、ずっと疑問と反感がありました。ちゃんと言葉にするって、『ボキャブラリー = 自分の言葉』を増やすための勉強も必要で、間違った方向に突き進んでしまわないように、ヒートアップしないような他の人からの客観的な目線とか、そういうものも実は大切で、(もちろん、いまはちゃんと言葉にする効用があるのも理解していますし、エネルギーを消耗することは一概に悪いことではない、とも思います。気持ちを処理するだけの、ゴミ箱へポイ、のひとり完結の文章であれば、ヒートアップして感情を吐き出す書き方を否定してもいないです。)

一方で、整理や感情の昇華のさせ方ら分からなかった、その頃(ここ1・2年くらい)のわたしの頭の中はというと、ずっと強めの負の感情や日々の不安、やらなきゃいけないことで心と頭の中がとっちらかっていて、今日を無事に終えること、か、ほんとに「今」だけのこと、か、1時間くらい先のことまでしか考える余裕がなかった。

そもそも、心や頭が最低限ある程度整っていないと、言葉で紙に書いて整理すること、ひとりで言語化して整理して前を向くことも人は難しいんだと思います。

言葉にして紙に書くことで目に見える形で出すことって、ある程度客観的にならないと出来ない作業だと思いました。なぜなら『○○と思った』『○○と感じた』って書けるっていうのは、自分で自分を俯瞰できないと書けないと思うんですよ。ある程度のメタ認知、があるから書ける。
本気でぐるぐる考えてる時って、結構長い間、考えてることすら自覚してないことってありますよね。だから、書くって作業はいったんこれを考えてる、とか、「考える」って、頭の、意識中の作業を物理的に世界に文字に出して具体化した行為だと思うんです。

……と、色々書きましたが、以前のわたしのように、またつらつらと文字に書いて整理出来るようになって、よかった。です。

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前回の自己紹介を読んでくれた方は重複になりますが、わたしは高校の頃精神障がいを発症し、通信制高校、一般の大学を経て、現在障がい者雇用で企業で働いている20代です。

↓略歴を簡単にまとめていますので、気になる方はタップして下のリンクのページで読んでみてくださいね。



今回は書く、書いて整理される、という作業について考えてみました。

See you again!✨
またお会いしましょう✴️🌈



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