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思考と読書

noteが書けないのなら、無理をするのはやめようと心がけてみた。

無理はしない無理はしない無理はしない
壊れるぞ壊れるぞ壊れるぞ
と意識し過ぎて無理をしないことに一生懸命になりすぎてしまう。

結果、のんびり風呂読書(フロドク)を始めたが
気がつけばインプットする!が目的となり内容が頭に入ってこない。

描写だの段落だの心境だの。しまいには書き手の裏側の話まで知りたくなってしまう。
ほとんどビョーキだ。
もう認める。
私がnoteを始める前は、素直に本を読んでいたと思う。
ただ展開に驚愕したり感動して涙を流したり
主人公のセリフに心を揺さぶられたり、魂まで射抜かれてしまったり。

何か本を読んだとき誰かに感想を聞いてほしいけど私には語彙力がなくて感想をまとめられないため、家族に勧めて感想を聞く。
娘たちは気が向けば読むといった感じ。

Z世代の娘たちから出る言葉は私にとって新鮮で、私の考えが至らなかった細部まで読み込んでいたりするとショックを受ける(笑)

「ここまで無知のまま生きてきてしまった。他の人の言葉選びがすごいの。」私が本をパラパラめくりながら言うと
娘たちは
「インプットしたいなら本と映画とマンガとかがいいんじゃない??」と言う。

私は「あとは、会話?かな?
ニュースとバラエティーとラジオ?」と返す。

それからすっごくくだらないこと。
くだらないことの中に楽しいが沢山隠れている。
くだらないは、時に大真面目で発見させてくれる。

会話の流れで双子1が「私って楽観的なんだよね」
と言ったので
思わず
「楽観的な人って他人の苦しみって理解できる?想像がつくの?」聞いてみた。

双子1「苦しいことがゼロだったわけではないから、わかる範囲は想像できる。」

じゃあそれ以上は?経験したことのない苦しみを告白されたらあなたならどうする?

「人生の課題にしていくんだろうね。だってわからないことだらけだから。」

「そうだね。同じ経験をするのは無理なんだよ。だから想像する。想像で追いつかない部分はインプットしたことから想像していくしかないのかもしれないね。」

娘たちとの会話で、私が風呂読書をする意味が分かった気がした。
いま文章を書いていて頭の中が整理されてきた。
人の気持ちも人の苦しみも、自分のことのように捉えて解決していくことは無理が生じてしまう。

これからも、自分の思考に囚われず読書を続けていきたい。


それでは



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