ダメで愛おしい私たち〜『とりあえずお湯わかせ』の感想
雑誌に紹介されていた柚木麻子さんのエッセイ『とりあえずお湯わかせ』を読んだので感想を書きます。
コロナ禍の日記
コロナ禍の日記は桜庭一樹さんの『東京ディアストピア日記』を読んだけど、こちらとも趣が全然違った。桜庭一樹さんは一人暮らし、柚木麻子さんは旦那さんと乳幼児の息子さんの三人暮らしと家族構成が異なる。
また『東京ディアストピア日記』は、コロナが流行り始めた2020年の1月頃から書いているのに比べて『とりあえずお湯わかせ』は2018年の1月からの日記だ。
読み比べてみると、書く人が違うと捉え方が全然違う!という部分と根底にある感情は変わらないなという部分が混じりあっている。やっぱり『武漢日記』も読みたいな。
綱渡りな子育て
『カップ焼きそば』の章で柚木さんが疲労で夜明けに泣いて騒いで、旦那さんに息子さんと一緒に実家へ移動させられるという事件が起こる。子育てや仕事で寝れていなかったのが原因だが少し考えてしまった。
もし柚木さんのお母さんが近くに住んでいなかったら?
旦那さんが出張や単身赴任でいなかったら?
心配してくれる旦那さんじゃなかったら?
どれかが欠けていたら、ご本人もしくは子どもに何らかの危険が及んでいたんじゃないか?と思ってしまう。虐待事件を起こした親とそうじゃない親を分ける壁はそんなに頑丈ではないのでは?と思ってしまった。
ダラダラする時間だって必要!
『今日もなにもできなかった』の章では遅く起きて散らかった部屋での1日のルーティンを書いている。あまりのダメっぷりに読んでいて恍惚としてしまい、勉強の予定をぶん投げてコンビニに行ってハーゲンダッツを買って抹茶ミルク(ダマ入り)と一緒に食べた。
ものすごく幸せで、満ち足りた時間だった。
規則正しい生活、目標を掲げてそれに向かって努力する。それ自体は素晴らしいけど、人間って機械みたいにはいかないのだなとしみじみ感じた。ダラダラすることで身体が休まったり、心がホッとすることがあると思う。
目の前のことを楽しむ
『スティホーム工夫疲れ』の章でコロナ禍を少しでも楽しむために常に脳をフル回転していた作者。近所の公園で息子さんと一緒にベンチでぼうっと空を眺めたことで、今までそんな時間がほとんどなかったことに気づく。
常に「映える」ことを考えていた柚木さんとは少し違うかもしれないけど、私は常に先のことばかりを考えているなと気づいた。先のことを考えるといっても「こうしたら効率がよい」とか「こうしたら時間を有効に使える」とかだ。それをしなかったら困るわけでもなくて、どちらかというとおすすめぐらいのレベル。
それなら今を楽しんだ方が有意義かもしれない。
まとめ
このエッセイはかなり著者の赤裸々な毎日を書いている。ダメな部分やだらしない部分がたくさんあって落ち着くんだろうな。何も手につかないときは、私もとりあえずお湯をわかそう。