憂鬱へのカウントダウン パパの知られざる苦悩
憂鬱だ。
市が運営する親子体操教室に行くことになった。
子どもの成長を見守るのは素晴らしいことだと思う。
でもママ10に対してパパ1は辛いよ。
アウェイ感がすごい。
いちど見学にいったけどパパはゼロ。
ノンパパ。
子どもを連れていって見ているだけならいい。
いくらでも連れて行くさ。
そして読書でもしながら子どもの成長を楽しむさ。
微笑ましい子育ての1ページじゃないか。
しかし、一緒に参加する「親子体操」は辛い。
何が辛いって?
ママの世界に突然現れた招かれざる客。
「何しにきたの?」
そんな雰囲気をビンビン感じる。
自意識過剰と言われればそれまでかもしれない。
でも僕はどんな顔をして参加すればいいんだ。
妻に言われて仕方なく顔か?
子供に言われて仕方なく顔か?
自分で率先して調子に乗ってきました顔か?
爽やかなイクメン気取り顔か?
どの顔をしても確実に浮く。
なにせ「招かれざる客」なのだから。
お互い気まずい距離感を感じながら貼り付いた笑顔で望む「親子体操」。
参加条件に「パパ不可」と書いておくれよ。
それか「パパのみ」にするか。
いや、全員パパだと余計に気まずいし、無駄なプライド競争が始まる可能性が高い。
血が流れるかも。
一番良いのはどの家庭も両親で参加することだ。
平和的解決。
でもそんな無理な条件じゃ人は集まらない。
市はすぐに体操教室をやめてしまう。
僕に救いはないのか。
今でこそnoteで胸を内を世界に発信しているが、実際はかなり人見知りの僕。
ママと育児話に花を咲かせるなんて無理なはなし。
その人見知りはママだけではなく、我が子以外の子どもにも発揮される。
たまにいる社交性抜群のお子様。
見知らぬおじさんにもフレンドリーに話しかける。
こわい。
さて、どう返答したものか。
難しく考える必要はない。
むこうは何も期待していないのだから。
そう思い適当に返事をする。
すると何故か終わらない社交性の塊のお子様のお話。
人見知りの僕は辛うじて会話を続けることは出来ても、終わらせることは出来ないのだ。
「親子体操」には「ママ」と「社交性の鬼のお子様」に注意を払いながら参加することになる。
こんなにも神経を使うイベントは他にはない。
息子は僕のこんな気苦労など知るよしもなく、普通に参加している。
僕の遺伝子を半分もっているだけのことはあり、社交性は薄い。
君も将来パパのような境遇に立たされるぞ。
社交性の権化のようなパートナーを見つけてこの負の連鎖を止めてくれ。
話を親子体操にもどそう。
悪い面ばかり話してしまったようだ。
子どもと一緒に身体を動かすというのは心身ともに健康的で素晴らしい。
トランポリンや跳び箱など家では体験できない動きも出来るのも強みだろう。
実際、子どもは楽しんでいる。
羨ましい。
僕の純粋な心はどこにいってしまったの?
死んだの?
だれかに封印されたの?
解き放ったらヤバいやつなの?
何も考えず素直に楽しめる人になりたい。
憂鬱の化身と化した僕は親子体操までの数日を無事に乗り切ることはできるのか。
そして、親子体操当日に僕はどんな顔をしてその舞台に立っているのだろうか。
タイムマシンがあったなら、確定している嫌な未来をすっ飛ばすという贅沢な使い方もありだね。
ではまた。