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ワーパパとはいったい

noteのお題に「ワーパパあるある」なるものがある。

ワーママというのは聞いたことがある。

労働と育児を両立させている母親を指す言葉だ。


ではワーパパは?

労働と育児を両立させている父親?


なぜママとパパをわける必要があるのか。

ひっくるめてワー親でええやん。


え?

語呂が悪い?
わーおや。
悪くないと思うけどなぁ。


そういえばイクメンとは何が違うの?

おんなじ意味だよね。

イクメンの進化系かな。
イクメンは恐らく死語なんだろう。
最近聞かないし。

当日イクメンと呼ばれていた人々は孫が産まれイクジジへと変貌を遂げたのかもしれない。

いや 働きながらも育児に参加する父親が増えたことでイクメンだと威張れなくなったからだな。

平成の頃はまだ昭和的な思想が残っていて(男が勝手に夢想していただけ)育児は母親の仕事だろうと信じる男が多かった。

令和では絶滅危惧種に認定されている。

珍しくて逆にモテるかもね。

そもそも 育児に参加という価値観がもう古い。

そんな事を外で言おうもんならひんしゅくを買うことになる。


子どもが産まれた時点で働いていれば無条件に全員がワーママとワーパパに進化する。


育児に参加しないという選択肢はもはやないのだ。

さてここで疑問だが育児に参加というのはどの程度の事を指すのだろう。

僕はれっきとしたワーパパであると自負している。

しかし予防注射はいつだーとか細々したことは把握できていない。

妻が先導してくれているから安心して任せている。


これは参加なのか協力なのか補助なのか。


参加というのは主催ではなく あくまでもエントリーして混ぜてもらっている感覚がある。

それでいいのか。

育児協定とか絶対育児とかもっと主体性のある名前にしないと人は動かないよ。


それにどのレベルならワーパパを名乗る資格があるのかわからない。

パパの子育てへの考え方は千差万別。

定義も曖昧。

そんなワーパパのあるあるを答えられるわけがない。

僕が言ってもそれは「ぜんけいあるある」となってしまう。

だから僕の考えるワーパパあるあるは

「ワーパパってなに?」


だな。


殆どのパパがそう思っているのではなかろうか。

「ワーパパになったおぼえはありません」

そういう声が聞こえてきそうだ。


これから父親ワーパパになるっ!

という人は

「父親として最低限のことはしよう」という昭和的思想から「父親して最大限のことをしよう」という令和的思想に変化することを期待する。

そしてワーパパの体現者となって 僕が見つけられなかったワーパパとはなに?という疑問の答えを教えて欲しい。

その頃には僕もワージジになって悟りをひらいているかもしれないけれどね。

noteのお題に「ワージジあるある」が出ることを期待して今から下書きを書いておこう。

ではまた。


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